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イタリアのロマネスク 
15 Marzo 2017

第3回 

 オトラント
陽気なモザイク、悲劇の礼拝堂、ノルマン人の夢の痕 

  
文と写真  Saba彩子 


●プーリア州海岸線には歴史香る街々
オトラントに行きたかったのは、イタリアブーツの踵という立地もあるけれど、一度見たら忘れられない楽しい床モザイクがあるからだ。プーリア州は、実はイタリア食材の台所だし、海岸線にある街々はノルマン王朝時代の12世紀ルネサンス香る、歴史好き、ロマネスク好きには大興奮の州だ。

それにサルデーニャや中北部のポツンと離れた修道院聖堂と違って、大して行きにくくもない。なのにあまり知られていない。とても残念だ。モルフェッタやトラーニなどは大聖堂が海に突き出して、真っ青な空と海を背景に地中海ならではだ!その爽快な風はローマやフィレンツェでは決して味わえない。

写真トップ@オトラント大聖堂の床モザイク
写真上Aオトラント歴史中央地区、航空写真(提供)

●ぐるっと海に接している町、オトラント
オトラントなんか街全体がぐるっと海に接しているから、海岸線広場を散歩しながら、海の向こうはアフリカだとか、ここからギリシャやオリエントに出帆したのだとか、十字軍時代とか、イスラムとの戦いの最前線になって悲劇が生まれたとか、壮大な歴史に思いがどんどん飛んで行ってしまう。

●堂々とした城壁をくぐって歴史地区に
オトラントの駅はイタリアの街にありがちで歴史中央地区から離れている。良いことだ。歴史地区に入るには城壁をくぐる。良い感じだ。私のような中世愛好家には城壁は非常に重要だ。中世の人々は城壁内で生活した。伝令とか商人でもない限り夕方早くには市内に帰る。でないと街の扉が閉まってしまうからだ。締め出されたら命に関わる。城壁の外には村八分になった者や狼がうようよしている。この街の扉という概念は、現代人には想像もつかない。

街全体が家のような感じだから市民は皆家族。イタリア人のとてつもない郷土愛は中世に起因するのではないか。だってローマ帝国は巨大過ぎて壁など無かったし、ローマに壁を作り出した時には西ローマはもう崩壊寸前だったのだから。ということで、堂々とした壁に穿たれた門をくぐる。それにしても凄い厚みだ。

写真上Bオトラントの要塞(城)、航空写真(提供) 

●時代や武器の歴史と共に変化する城壁の形
メッサピア人という紀元前に居た民族の頃から城壁を作っていたらしいが、何度も壊され作り直し15世紀に今の姿になった。城壁の形は時代と共に、というか兵器開発の歴史と共に変化する。大砲の弾が爆発しなかった時代とその後では根本的に考え方が違ってくる。ルネサンス期以後ギザギザした形が一般化するが、中世は要所要所に巨大な円柱のような塔を建てる。敵は壁のすぐ側まで来てドンドン突いて穴を開けようとするのを、塔の上から雨霰と矢を放って撃退するのだ。戦争はいつの時代も嫌だ。存在しなければいいのに、残念ながら歴史は戦争で彩られていて、英雄とは大抵大勢を殺した人なのだ。

●大聖堂奥の礼拝堂には無数の骸骨が
大聖堂奥には聖母子像の礼拝堂がある。が、よく見ると礼拝堂の壁三面に巨大なガラスが嵌っていて、その中には無数の骸骨がひしめいている。知らないとアッと驚く光景だが、これは1480年にオスマントルコがイタリアを征服しようとした「オトラントの戦い」で命を失った人々だ。とても入りきらなかったので分骨された。中央祭壇には石がはめ込まれていて、それはなんと頭を落とすためのまな板として使われた石だという。それでも改宗しないで殉教を覚悟した人々だったが、メフメト二世の突然の死で助かったのだった。

写真上左Cオトラント大聖堂のファサード    写真上右D大聖堂奥の「オトラントの戦い」殉教者の礼拝堂

●楽しくおかしい大聖堂の床モザイク
メフメト二世が急死しなければ、ペテロとパウロの殉教の地、教皇のローマを擁するイタリアはエルサレムのように大勢のイスラム教徒が住む国だったかもしれない。歴史から私たちは学ぶべきで、現代社会もよく考えなければと思いながら、気を取り直して床を見よう。これがオトラントのメイン料理。シエナの床も素晴らしいが、これはもっとずっと楽しくおかしいのがいい。

写真上左Eオトラント大聖堂の床モザイク

●床全体を「命の木」で総括する壮大なモニュメント
ちっとも上手くないが、どんな人たちが作ったのだろうか。1163年から2年かけて、ギリシャ系イタリア人が主導して作った。しかし自由で大らかな表現で、めちゃくちゃそうでいて実は床全体を「命の木」で総括する壮大なモニュメントだ。正面入り口から入ると、そこは木の根元で、旧約の有名な話があちこちに見える。バベルの塔とダビデはかなり目立つ。梯子を上っている人は素っ裸だ。ノアの箱舟もある。

写真Fオトラント大聖堂の床モザイク全体像(印刷物から)

天使に追放されているアダムとイブはどっちが男か女か不明。たぶん言い訳がましく抵抗している方がアダム。ロマネスクの十八番の謎の動物たちも大活躍。聖堂奥へ進むに従い、「12ヶ月」とか「宇宙」などの象徴を表した円が並んで行く。とても写真に収められないから、全体像のポスターと聖堂解説の本を買った。

●ノルマン帝国の歴史を甦らせる石の「要塞」
後ろ髪引かれる思いで、小さいが堂々たる聖堂を後にし、要塞(城)へ向かう。1067年にノルマン人に建築が開始され、13世紀、15世紀と増改築された。ノルマン帝国の歴史は戦いの歴史だが、ヒーローの歴史のようでもあり、特にロベルト・グイスカルドや神聖ローマ皇帝フェデリコ二世(母親はノルマン皇女、シチリア王としてはフェデリコ1世)は傑出した人物で、この要塞(城)はその二人によって造られた。

写真上左G要塞(城)       写真上右H要塞(城)と広場(夜が素敵)  

歴史の本を読んでおこう。そうすればここでどんなことが行われていたか想像する事ができる。何も知らなければただの石の塊のようだが、知っていれば剣や武具がガチャガチャぶつかる音まで聞こえそうだ。石の塊といえば、呆れることに壁の厚さが5メートルを超すところもある。

写真上左Iギリシャ正教の聖ピエトロ聖堂       写真上右J同聖堂内フレスコ画

オトラントは古代ギリシャ時代から栄えた港で、様々な民族と宗教が渾然一体となって歴史を作ってきた。今は静かで夜は限りなくロマンチックだ。

筆者プロフィール
Saba彩子(サバサイコ)
こんにちは。Saba彩子(サバサイコ)です。東京生まれ。渋谷、青山、新宿辺りに出没。美大とイタリアの外国人大学卒業。デザイナーを10年ほどやった後、大学院に行き直し、中世の木彫磔刑像と巡礼について修士論文を書きました。現在は通年で首都大学東京オープンユニヴァーシティ、放送大学では集中講座を受け持っています。内容は西洋美術史とイタリア史に関するもので、詳細はその時々により様々です。ボクシング、ロック、芸術映画、欧米社会派犯罪ドラマが好きです。 「人はパンのみに生きるにあらず」を実践していけたら最高です。 美術と主にイタリア関係のサイトをやってるのでどうぞよろしくお願いします。 http://www.fedesperanzacarita.com   http://tutto-italia.seesaa.net

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