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南イタリア モザイクの旅
15 ottobre 2012

第1回
  ナポリ国立考古学博物館


持丸 史恵


●アレクサンダ-大王の「イッソスの戦い」
アレクサンダー大王(紀元前356〜前323):古代マケドニアの英雄王(在位前336〜前323)。東方遠征によって空前の大帝国を建設、ヘレニズム時代を開いた。アレクサンドロスとも言う。(学研キッズネット・サーチより引用) 

写真トップ:@「イッソスの戦い」のモザイク
写真左:A「イッソスの戦い」のモザイク全景  写真右:Bナポリ国立考古学博物館

この歴史上の英雄について語る際、必ず登場する肖像画。(写真@)教科書や歴史の本で見覚えのある方が多いのではないでしょうか?が、これが、小さな大理石片を並べて描いたモザイク画で、しかもそれが現在、ナポリの国立考古学博物館(写真B)にあるものだということは、案外知られていないかもしれません。
巨大な建物の入り口から入り、真ん中の広いロビーを抜け、大きな楕円形の階段、向かって左側を上がった中2階が一連のモザイクの展示室の入り口。さらに一番奥に、そのモザイクがあります。(写真A)

紀元前333年、マケドニアのアレクサンダー大王が、ダレイオス3世率いるペルシア軍を屈服させた「イッソスの戦い」。縦3.13m、横5.82mと、壁一面を覆うモザイクは、アレクサンダー側に欠落も多いものの、その戦闘の激しさを伝える迫力のある表現で観るものを圧倒しています。

写真上:CD「イッソスの戦い」のモザイク 部分


大王はもちろんのこと、そこに描かれている人それぞれの表情の豊かさ、荒い息遣いが聞こえてきそうな、躍動感にあふれた馬たち。遠目にはモザイクとは思えないのですが、近寄って見ると確かに、すべて細かく刻んだ大理石や色石を埋め込んで描かれています。テッセラと呼ばれる石片は、それぞれわずか数ミリ四方。そのテッセラの数は合計で100万個に及びます。(写真CD)

これは、ナポリ近郊、ポンペイの遺跡群の中、通称「ファウノの家」にあったもの。ポンペイの中でも、最も広く、豪華な邸宅の1つ、その床を飾っていました。四角く切った色石を並べて床を飾る舗床モザイクの手法は、紀元前5-4世紀には、ギリシャで既に発展・普及していましたが、それに遅れること1世紀ほど、ローマ共和国内でもモザイクが床の装飾に使われるようになります。

●喜劇の役者を描いた二つのモザイク
「イッシスの戦い」の2つ手前の部屋に、小さいけれど、はっと目を引くモザイクがあります。ギリシャから大量に「文化」を輸入し、必死に模倣していたローマ人たちにとって、ギリシャの演劇文化もまた、憧れの1つでした。コンメディアと呼ばれる喜劇の役者たちを描いた2つのモザイクは、このナポリ考古学博物館が所蔵するモザイクの中でも最も古く、紀元前3世紀末のもの。(写真EF)

写真上:EF喜劇の役者たちを描いた2つのモザイク

細かなテッセラの微妙な色使いで表現された、シニカルで生き生きとした芸人たち。ポンペイの「キケロの家」にあったこれらは、サモのディオスコウルデスというモザイク師のサインが入っていることでも稀少な例です。

●動物や魚、鳥類を図鑑のように描いたモザイク
紀元前2世紀末から1世紀にかけて、より細かなテッセラ、微妙な中間色を多用することにより、まるで筆で描いたようなモザイクが多く作られるようになります。動物や魚、鳥類などまるで図鑑のように写実的なのもこの時代の特徴です。(写真GH)「イッソスの闘い」もこの頃のもの。

 写真上GH:動物や魚を描いたモザイク

「鳩のいる水盤」。(写真I)金の水盤、そこに集まる鳩たち、水面の輝き、とその完璧な美しさに思わずため息が漏れます。この図像は、紀元後1世紀、ローマの博物学者プリニウスがその著書「博物誌」の中で、「ペルガモンのソソス」というモザイク師が考案したもの、と記していますが、当時からよく好まれたテーマでした。

 写真上左:I「鳩のいる水盤」のモザイク 写真上右:J「闘鶏」のモザイク

そして、もっとずっと簡略化したスタイルではありますが、「北イタリア編」で紹介した、ラヴェンナのガッラ・プラチディア廟の中にも、この図像が登場しています。(ガッラ・プラチディアについては、http://www.japanitalytravel.com/back/mosaici/2011_09/09.html 参照) キリスト教の世界では、鳩は聖霊、水は洗浄、すなわち洗礼の水を表し、その意味するところは完全に変わっているとはいえ、500年の時を経たのちのラヴェンナで、根強くギリシャ・ローマ文化への傾倒が見られるのは、大変興味深いことです。

もう1つは、「闘鶏」。(写真J)2羽の雄鶏が中央の台の上に置かれた商品をめぐって闘う様子は闘鶏そのものですが、アクイレイアの大聖堂では、これをもじって、「鶏と亀の闘い」を描き、それをキリスト教と異教の寓意としました。(写真と「鶏と亀」解説はhttp://fumiemve.exblog.jp/11625638、アクイレイアについては、http://www.japanitalytravel.com/back/mosaici/2011_06/06.html )ここでもやはり、古代ローマの文化が脈々と受け継がれています。ちなみにこの博物館には、ご丁寧に試合に勝った雄鶏が表彰されている姿を描いたモザイクもあります。

●色ガラスを使用した「モザイクの柱の家」
そしてローマ人たちは、モザイクに、石の代わりに色ガラスを使うことを考案します。初めはおそらく、光と色の効果を狙って石のモザイクの間で少し使うなど、限定的、試験的な利用だったのではないでしょうか。それも、当初は割れたガラスなどをいわゆる廃品利用していたのが、やがて、わざわざモザイク用のテッセラとしてガラスを作るようになります。

 写真上KL:「モザイクの柱の家」の円柱

「モザイクの柱の家」の円柱と、同じ部屋に展示されているモザイクは、ガラスのテッセラが使われています。(写真KL)床ほど丈夫である必要がない壁や柱の装飾には、発色のより豊かで透明感のあるガラスが重宝されたのでしょう。壁のモザイク装飾とガラスのテッセラと、どちらが先に「発明」されたのかわかりませんが、お互いになくてはならない存在となって、この後、大きく発展していくことになります。

ポンペイの邸宅に、古く遠き英雄、アレクサンダー大王の戦闘場面が描かれていた理由はよくわかっていません。その写真が、2000年のときを経て、歴史とともに世界中に普及することになろうとは、邸宅の主も想像もつかなかったことでしょう。


著者プロフィール持丸 史恵(Mochimaru Fumie)
ヴェネツイア在住。横浜市出身。通訳、コーディネート業など。
2000年秋より1年ペルージャで過ごしたあとヴェネツィアへ。日本では縁もゆかりもなかった美術史を楽しくも苦しみつつ学び、ヴェネツィア大学を卒業。在学中より、美術史の中でもとくに古代から中世にかけてのモザイク美術にハマる。イタリアを中心に、各地に点在するまだ見ぬモザイクをいつか制覇したいと夢見ている。
日々の様子は、ブログをどうぞ: 「ヴェネツィア ときどき イタリア」http://fumiemve.exblog.jp


南イタリア モザイクの旅 データ
Dati
■ナポリ国立考古学博物館
Museo Archeologico Nazionale di Napoli

Piazza Museo Nazionale, 19,  80135 ? Napoli
Tel. 081 4422149
URL :http://museoarcheologiconazionale.campaniabeniculturali.it
開館時間:9:00-19:30
休館日:火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
入場料:8ユーロ



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