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12 July 2001


第6回
チヴィダーレ・デル・フリウーリの国立考古学博物館

(ウーディネ県 フリウーリ=ヴェネツィア・ジュリア州)

Museo Archeologico Nazionale di Cividale del Friuli
(Udine, Friuli-Venezia Giulia)




海神オケアヌスあるいはナティゾーネの擬人像(1〜2世紀)


イタリア文化財省 編集協力記事
Con la collaborazione del Ministero per i Beni Culturali e le Attività Culturali


ナティゾーネ川右岸に位置するチヴィダーレ・デル・フリウーリ(フォールム・ユウリイForum Iulii──ユリウスのフォーラム)は、イタリアの北東の峠を防衛するための要衝の地に、紀元前50年頃にユリウス・カエサルが建設した都市である。発掘された考古学的遺跡から、おそらく古い時代の城壁の上に建てられたものと思われる。それによれば、原始時代から鉄器時代にかけて人々はこの場所に居住し、さらにケルト文明が続いた後、ローマ人によってそれらの民族が吸収されたらしい。建設者の名前をとってフォールム・ユウリイ(ユリウスのフォーラム)と呼ばれ、その構造はローマ軍の野営地に倣って南北と東西に走る幹線道路を中心として、居住区域が広がっていた。カエサルの時代からアウグストゥスの時代にかけて(時期は定かではない)自治都市(municipium)となり、スカプティアのトリブスに属する4人の行政官によって統治された。

アウグストゥス時代にイタリアが11の州に分割され、ユリウスのフォーラムは第10州に含まれた。この地方は後にヴェネティアとイストリアVenetia et Histria と名づけられる。マルクス・アウレリウス帝は、ゲルマン民族のクワディQuadi族やマルコマンニMarcomanni族の侵入を防ぐために長大な市壁をめぐらせた(168年)。こうした出来事がイタリアおよびアルプス防衛網(Praetentura Italiae et Alpium)を建設するきっかけとなり、それに続いてユリウスのフォーラムは東アルプスの防衛システムに組み込まれ、後のコンスタンティヌス時代には、タルサティカTarsatica(フィウーメFiume)からガイルGail渓谷(カリンティアCarinthia)まで伸びていた、ユリウス・アルプスの砦(Claustra Alpium Iuliarum)の大がかりな防衛システムに加わっていた。

5世紀には州都となり、ヴェネティアとイストリア(Venetia et Histria)の総督所在地となった。その移転の理由は度重なる外敵の進入を食い止めることにあったとはいえ、イタリアはやがて屈する運命にあった。ゴート族の侵入や18年間に及んだゴート族と東ローマ帝国との戦い(535−553年)を経て、イタリアの人口は減り、峠も無防備の状態だった。アルボインAlboinoに率いられたランゴバルド族の侵入(568年)を阻むものは何もなかった。ユリウスのフォーラムはさしたる抵抗もせずに占領され、イタリアにおける最初のランゴバルド公国の首都となった。この都市の古代史はこれをもって幕を閉じる。


●国立考古学博物館

1817年にミケーレ・デッラ・トッレ・ヴァルサッシーナ伯爵Conte Michele della Torre Valsassinaによって創立され、かつては貴族のデ・ノルディスDe Nordisが所有していた館に置かれていたが、1990年6月2日より、博物館はドゥオーモ広場の東側の奥に舞台背景のごとく建つ旧ヴェネト地方施政官庁館Palazzo dei Provveditori Venetiに移された。この館の設計はアンドレア・パッラーディオAndrea Palladioに帰せられており、施政官セバスティアーノ・クェリーニSebastiano Queriniによって正面に刻まれた銘文によれば、1581年から1596年にかけて建設されたようである。

ヴェネツィア共和国の崩壊(1797年)、オーストリアの支配といった数奇な運命にさらされた後、イタリアの法務官裁判所となり、最後にはフリウーリ=ヴェネツィア・ジュリア州考古学・建築・芸術・歴史文化環境保護局によって行われた長期にわたる修復作業をへて、ランゴバルドの考古学的遺物を専門とする国立考古学博物館となった。実際、大ランゴバルド展の開催とともに博物館はは正式に開館した。その展示は常設のものとなり、中世初期部門──今なお拡張されつつある──の主要な部分をなしている。現在、展示物は1階と2階に陳列されている。

1階には石碑が並んでおり、ローマ時代、初期ビザンティン時代、中世初期、ロマネスク時代、ルネサンス時代に分類されている。

玄関ホールには、ローマ時代および初期キリスト教時代の見事な床モザイクの断片が展示されている。海の神(大洋神オケアノスあるいは神格化されたナティゾーネ川)を表した1〜2世紀頃のモザイク(写真)が特に有名である。さらに注目されるのは、ユリウス・フォーラム政府Resp(ubblica) Forum(iuliensium)がマルクス・アウレリウス・アントニヌスM. Aurelius Antoninus(カラカラCaracalla)帝に捧げた彫像の台座と、大神官に任命されたヴェッティディウスT.Vettidioの埋葬祭壇である。

玄関ホール奥の小部屋にはローマ時代の碑文(主に墓碑銘)や浮き彫り、建築物の断片、柱頭、さまざまな神に捧げられた奉納用小祭壇が置かれている。

2階への階段に続く通路には、ダルマチアから出土したギリシャ語とラテン語の墓碑名を含むチェルナザイCernazaiコレクションが展示されている。なかでも、扉を表した浮き彫りは注目に値する。

2階の中央ホールには、ローマ時代にカルニアCarnia(東アルプス地方)の中心地であったズリオZuglio (Iulium Carnicum)のフォールムから出たおびただしい数のブロンズ製品が置かれている。芸術的な質の高さと並外れた大きさの点で、近年の修復によって再構成された、ユリウス=クラウディウス帝の一族であるトーガをまとった人物像が表されたブロンズの小盾が目を引く。さらに、行政官のブロンズの肖像彫刻とクラウディウスClaudius帝の治世下(41−54年)で重要な軍事的任務についた著名な人物、ガイウス・ベビウス・アッティクスGaius Bebius Atticusに捧げられた銘が注目される。

1階の南翼の3室のうちの2室には、4世紀から9世紀にかけての聖体用祭壇や小円柱、大理石の柵、柱頭、付け柱、コーニスの断片がならんでおり、最後の1室にはロマネスク時代(12−13世紀)の浮き彫り──空想的な動物を表す中世の動物装飾──のほか、同時代の小付け柱が展示されている。

博物館の中庭には、ユダヤ墓地から出たヘブライ語の石碑やさまざまな時代の紋章が置かれている。


●ランゴバルド族

2階はランゴバルド族に関する展示が7室にわたって展開する。陳列品は時代順にならんでおり、ユリウスのフォーラムに最初に定住したランゴバルド族の手工芸品を展示しているが、そのほとんどは輸入品で、最も古いサン・ジョバンニ・エ・チェッラSan Giovanni e Cella墳墓跡(6‐7世紀前半)から出土したものである。つづいて、定住後にイタリアの地で作られたランゴバルド美術の作品の数々が展示されている。なかでも魅力的なのは、いわゆるジズルフォ公Duca Gisulfoの再利用されたローマ時代の石棺と備品一式(7世紀半ばすぎ)──1874年にパオロ・ディアコノ広場Piazza Paolo Diaconoで発見された──を展示する部屋である。

イタリアにおける最初のランゴバルド公国の首都であったチヴィダーレの美術は、一例を挙げれば、サント・ステーファノ・イン・ペルティカS.Stefano in Perticaの墳墓跡(7世紀初頭)から出土した調度品においてその頂点に達する。展示に付随して、見学者の理解を深めるために新しい解説の方法が試みられており、ガラスケースの上部に配されたパネルによって、ランゴバルド族の風習や展示されている品がどのように使われたかがわかりやすく説明されている。

近年になって、ランゴバルド展示室にはさまれた2階中央広間において、ランゴバルド時代の金貨コレクションが一般に公開された。ヴェローナのアルベルト・バッザンAlberto Bazzan氏が根気よく収集したこのコレクションは、フリウリ地方の芸術的および歴史的文化遺産の再発見と有効利用の計画に基づきウーディネ-ポルデノーネ貯蓄銀行財団Cassa di Risparmio di Udine e Pordenoneによって買い上げられた後、フリウーリ=ヴェネツィア・ジュリア州文化財保護局に委託され、チヴィダーレ・デル・フリウリの国立考古学博物館に常設展示されることになった。コレクションは34枚のランゴバルド金貨からなり、中にはきわめて希少で、公式の文献にも載っていないものも含まれており、その数と重要性からいって、この種のコレクションでは世界で3番目のものであるとみなされている。


●スパドーネ(長剣)のミサ

当地の伝統行事のうち、特に注目されるのは1月6日のチヴィダーレのドゥオーモにおける荘厳ミサの中で、マルクワルド・ディ・ランデックMarquardo di Randeck(1365-1381)がチヴィダーレに来たことを記念する剣の儀式が再現されることである。剣の柄には、アクィレイアAquileiaの総大司教叙任の日である1366年7月6日の日付とともに彼の名が刻まれている。同日、スパドーネのミサの最後に、マルクワルドのチヴィダーレ入場を再現する歴史的な行列が行われる。中世の町並みを背景に、時代の衣装を付けた200人以上の人々が市内を練り歩く。儀式はドゥオーモ広場でクライマックスを迎え、それが行われる仮設舞台の背景となるのは、博物館の建物である旧ヴェネト地方施政官庁館の堂々たるファサードである。


チヴィダーレ・デル・フリウーリ国立考古学博物館(MUSEO ARCHEOLOGICO NAZIONALE DI CIVIDALE DEL FRIULI)

住所:Piazza del Duomo, 13 - 33043 Cividale del Friuli (UD)
Tel:(国番号39)0432-700700 / Fax:0432-700751
E-mail:musarcheo.civ@libero.it
開館時間は現時点では次の通り:土曜・日祝日 8:30〜20:00、 平日 8:30〜19:30
                     月曜 9:00〜19:30
                     入館は閉館30分前まで(1月1日を除いて休館日はなし)
入館料:4000リラ、18歳から25歳までのEU諸国民は2000リラ
     18歳未満および65歳以上のEU諸国民は無料
(年間入場者数はのべ平均25,000人)


 翻訳:小林 もり子
 東京都出身。東京芸術大学大学院修士課程修了(イタリア・ルネサンス美術史)。
 1992年よりイタリア在住。 共訳書:「ボッティチェッリ」(西村書店)


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