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奥山陽子のハラハラ、イタリア日記
15 dicembre 2010
第2回 ナポリ編 (1)  
ホテル探しからイタリア語学校へ


奥山陽子

●ホテル探し
4月上旬、思ったよりも寒いミラノに音をあげてとにかく南を目指して訪れたのが、サンタルチアの歌で子供のころからなじんでいたナポリ。淡いけれど南国を思わせる陽射しを受けながら、まずは旅行案内書で選んでいたホテルに電話をする。英語が何とか通じ空き部屋があるとのこと、タクシーをひろう。いつも外国でタクシーに乗るときのように何かぼられるのではないかとはらはらどきどきしていたが、法外な値段ではなく到着。

部屋は鮮やかなマリンカラー。錨など船のモチーフもうまくコーディネートされていてまあまあである。ところがシャワーつきのはずが便器と洗面器しかなく呆然としていると、なんと便器の上にシャワーヘッドがついていた。これではシャワーの後でトイレを使うには床も便座もびしょぬれとげんなりするが、これも経験とあきらめる。
日本円を貸し金庫に預けに行くとそのようなサービスはなく、他の客のまん前で一枚二枚と万札を数え始める。そして破けたハトロン紙の封筒に押し込んでデスクの上に置かれてしまった。まあ日本のお札の価値は皆知らないだろうし、ここは1万リラが600円換算の国なので大金とは思っていないのかもしれない(ユーロ導入の前だったので)。

食事に出て10万リラ札をだすと5万リラ札ぶんのおつりしかくれない。早速始まったと思いここは頑張ろうと、身振り手振りで奮戦、何とか取り戻す。先がおもいやられて少し憂鬱になってしまった。ここはメルジェリーナという港のまん前で、カプリやイスキア行きの船が出ていて、また漁港でもあるらしく水揚げしたばかりの魚を埠頭で売っていて、食欲がそそられる。でも後で聞いたところによると、冷凍ものの魚を解凍して船に積んで沖から来るケースもあるとか。


●最初の冒険
数日過ごして四つ星ホテルに移ってみる。丘の上にあり庭も整備されていて部屋のバルコニーからはベスビアス火山がまん前に見える。部屋も広々、もちろん浴槽もついていて久しぶりにお湯の中で手足をのばせた。

翌日からはバスや路面電車、ケーブルカーを朝から夕方まで乗ったり降りたり、でも乗客をちろちろと観察しているうちにイタリアの素顔に触れているような気になる。ある日細い金のネックレス(8千円くらいのもの)をしていたところ、向かいに座った30代くらいの女性が手まねで外してバックに入れるようにと合図をする。そのとおりにするとよしよしというようにうなずいてくれた。それ以来、もともとアクセサリーはしないほうなので素顔で黒い布製のバッグもブランドが見えないように裏返して目線もあわせないようにと気をつけていた。

丘の上のホテルまでは一本のバス道路しかなく、交通渋滞も日本並かそれ以上なので、ある日、丘の上に遠く見えるホテルを目指して徒歩で帰ろうと試みた。
はじめは普通の街並みだったのが上るにつれて貧しさを増し、戻ろうかと思わないでもないがそれにはあまりにも来すぎているし、別に怖いけれども危険というほどでもないと優柔不断に歩いていると、とうとう貧民窟のようなところに迷い込んでしまった。戻るにも戻れないし、“私は透明人間である” と自分に言い聞かせ進んでいくと気のせいか誰も私のことに注目していないよう。息をころしながら通りすぎたときにはもう金輪際こんな経験はしたくないと思った。後でちょうどその日にナポリの貧しい地域で60何歳かの日本人男性が行方不明になったと聞いてショックだった。


●イタリア語学校へ
3週間も居たので、後半はさすがに何かしなくてはと思い、ホテルのフロントでイタリア語学校を紹介してもらった。全くイタリア語はできないのですがと、半端な英語で電話をかけると翌日来るようにとのこと、行ってみるとなんといきなり試験。話が違うと思いながら答案用紙を見ると何も判らない、これは物理の試験以来だと嘆息しながら名前だけでもと思うが姓と名をどちらに書くのかも判らず適当に。やっと国籍と思われる項を見つけ馬鹿なことにJAPANと書いて提出。同じく試験を受けた10人くらいが次々と呼ばれるのに私は最後に。中年の女性にイタリア語で話かけられるがチンプンカンプン、だからイタリア語は全く判らないといと予め云ったのに。結局あなたに適当なクラスはないわ、といわれ、個人レッスンを翌日から1日4時間申し込むことになった。

なんと今まで必要に迫られて勉強した事がなかった事実に気づく。なぜなら教師の一言一句が吸い込むように頭に入り、でもすぐ忘れるが、4時間があっという間で昔授業中に眠気と戦っていたのが嘘のよう。でもナポリのロマンティックな海岸のテラスで動詞の活用などを覚えなければならず、やはり準備は必要だったのではとちらっと考えるが期限のある旅でもなし、これもひとつの贅沢と考えることにする。

日本人は20代の女の子数人と得体の知れない中年の男性がひとり、食事をおごって情報を収集する。女の子たちはイタリア語の語学留学兼アバンチュールといった感じ。学校の先生とも仲良くなり中華料理をいっしょに食べにいく。ここの中華料理はイタリア料理よりも安く味はまあ贅沢云えないというくらいの感じ。もうすぐ結婚するのだが彼はナポリには仕事が無くミラノで働いていて、結婚後も別居になるとのこと。イタリアの南と北の経済格差をはじめて耳にしたのであった。



著書プロフィール
奥山陽子 (Okuyama Yoko)

東京に生まれ、北海道大学工学部建築工学科卒、丹下健三のもとで東京カテドラルのコンペ、広島平和公園聖火台、聖心女子大学などのプロジェクトに参加。その後、創成社建築設計事務所を開設し住まいと住環境をテーマに住宅や集合住宅の設計、住宅地域計画などを行う。1990年代には日本建築家協会理事もつとめた。  

それまでに培ったアートへの素地と憧憬は、独自の手法によるアート作品制作へと向い批評家や愛好家の支持を得て、イタリア国内および国外での個展などへの参加となった。その作品はイタリア以外にも、アメリカ、フランス、イギリスなどで収集されている。1999年よりイタリア在住。 サイト:www.yokookuyama.com 創成社建築設計事務所 http://www2s.biglobe.ne.jp/~yko/sss/ (写真右上:筆者、ニューヨークでの展覧会会場で)            




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