|
|||||
|
|||||
15 gennaio 2011
|
|||||
![]() ●ホームステイ 学校がホームステイ先を世話してくれることになった。ちょうど居あわせた同じく学生である60代後半と思えるイギリス人に、同じアパートということで連れていってもらう。聖書から抜け出てきたキリストのような風貌の人で、会話に慣れるために敢えてホームステイをしているとのこと。 街の中心にあるアパートの6階で、ナポリの街のようにかつてはどんなに豪奢だったかと思われるが、いまは落ちぶれた老貴婦人といったたたずまいである。 私にあてがわれた部屋は10畳くらいで小さなバルコニーもあるが、家具はぼろ机と大きなソファ、アンティークの素晴らしいタンスとグレーのスチール棚。他の家具はいいとしてソファで寝るのはどうかと思うが、とりあえず借りて無理だったらまたホテルに戻ればいいと考える。6階までのエレベーターは日本円で言えば2〜3円の硬貨を入れないと動かず、私はよく小銭を忘れて立派な大理石の階段を荷物を抱えて上る羽目になった。 ホームステイというよりも間貸しに近く、韓国人歌手でサンカルロ劇場オペラのプリマドンナの代役という女性が特別待遇で滞在中、それに例のイギリス人と日本人の若いコックであった。ちなみに私の前住者も日本人だったとか、学校にはかなり日本人の学生が居た。
栄華をしのばせる鏡張りのアンティーク家具や猫足のソファのある居間は入ってはならないとのこと。初めての経験で少々みじめである。 8畳くらいのダイニングキッチンにくつろげるようにとテレビがおいてある。バスルームはキッチンから入るようになっており、シャワーとトイレ、洗面器は雑巾も洗えるようなもので早い話が使用人用のものとみえる。がっかりしたけれどあの貴族風の英国紳士でさえ耐えているのだとあきらめる。 このバスルームではある日鍵が開かなくなり、日曜の午後であいにく誰もおらず30分も閉じ込められた。大きくて重いアンティークな鍵は、それまでいつも開けていたのが嘘のようにしぶとかった。幸い戻ってきた人に助けられたが、それ以後鍵に関してはナーバスになった。日本では鍵は回せば開閉するのが当たり前だが、こちらではコツが要り、私宅に滞在する友人たちも玄関ドアで悪戦苦闘している。 ●家主のマウロ 年の頃40代と思われる家主のマウロは陽気というよりも繊細で、夕方になるとシャワーを浴び香水のにおいをただよわせて、足のさきまでおめかしをして鼻歌を歌いながら出かけて行く。ゲイという噂もあり、洋服部屋を見せてもらったら3畳大の部屋が洋服や靴でいっぱい。男性はみなお洒落なのか街でも紳士用のブティックが多く、買いたいと思ってみると男物で残念だったことが度々あったほど。 マウロは一度昼食をごちそうしてくれたが、味はツナとトマトソースだけなのに絶品、パスタは大ぶりのペンネで座ってから10数えるまで待つというくらい、ゆで加減が計算されていた。
●ナポリ料理 課外授業で料理教室をすると聞いて行ってみた。丘の上の高級住宅街の中の一軒で、その家のご主人が教えるのである。モダンで広いキッチンで、野菜のパスタになすとトマトとモッツァレッラのオーブン焼き、ナポリ独特の揚げ菓子などを作って見せてくれて、我々は時々簡単な作業を手伝うだけ。できあがるとそこの家族といっしょにフォーマルにテーブルセッティングをしてディナーを楽しむというものであった。 少々塩がきついが美味しく、会話も弾んで楽しそうだったが、ひとりお地蔵さんのように座っている私にとって語学の重要さを痛感する一夜であった。 家を出るときにはケーブルカーはとうに終わっていて、幸い若いアメリカの軍人さんが車で来ていたので、家まで送ってくれた。もし彼らが居なかったら、あの坂道をどうやって帰ったのだろう。学校の行事でも油断できない、と気をひきしめたことであった。 東京の事務所でピッツァの出前を取る時など、仕方なく一片をお義理で食べるというほどのピッツァ嫌いだったが、滞在も残り1週間を切ったころ試しにマルゲリータを食べてみた。それもホテルのそばの何と言うこともない店で。 とろけたチーズの風味、薄くてほどよい感触の生地の美味しいこと、それからは虜になってしまい機会のあるごとに食べたが、どこも遜色がなかった。その後ローマやヴェローナ、ミラノなどでも試してみたが、何となくもの足らない。知り合いのコックも、ナポリと同じ釜を創り、同じ材料で同じコックが作ってもナポリの味にはならないとか言っていたが、空気なのか、水なのか、不思議である。 ●魅惑の街ナポリ ナポリは大都会で幾つもの丘があり、ケーブルカーで上ってみると思わぬ繁華街があったりしてドラマティック。また過去の栄華が、うらぶれ、すすけた見事な大建造物からうかがえて何とも心が残ってしまう街である。 ナポリに魅せられて絶対に戻ってくると心に決めたのに、ナポリだけは止めなさいと、イタリアをよく知る日本人に加えてイタリア人にも反対されたので、それっきり訪れる機会がなかった。今年こそは行ってみよう。
|
|||||
|