JAPANITALY Travel On-line

イタリア旅行情報サイトJAPAN-ITALY Travel On-line
ローマこだわり歴史・文化散策
 
月5回発行、
JITRAメルマガ
登録はここから!

メ-ルアドレス入力

メルマガ案内
15 novembre 2008


第1回
サンピエトリーニ( ローマ石畳考 )







上野 景文

ローマは石畳の似合う都市(まち)だ。古刹や堅牢な建造物の足許にはやはり石畳がふさわしく、アスファルト道路は馴染まない。シックな背広には革靴でなければ駄目だというのと同様に。このローマから古刹(古い教会)を除いたらローマでなくなってしまうのと同様、石畳抜きのローマも考え難い。逆に、六本木ヒルズが幾つも並んでいるようなモダニズムの都市では、コンクリートかアスファルトが良かろう。

実は、編集部からは、「貴氏はバチカンに来ているのだから、名刹(めいさつ:由緒ある寺院)の話をして欲しい。」との依頼だったので、石畳み談義は期待に反するのかも知れない。が、この夏から秋にかけローマの至る所で石畳道路が修理のために掘り返されている様を目の当たりにして、「これぞローマ」と感じ、初回はこれしかないと思うに至った。

写真トップ:聖ピエトロ広場はサンピエトリーニ (玄武岩)の石畳で、黒みがかって見える
写真下左:聖ピエトロ広場の石畳、黒みがかったサンピエトリーニ(玄武岩)が整然と並ぶ。敷石のサイズは13×13cm
写真下右:聖ピエトロ広場中央部には、ポルフィド(斑岩)の赤みがかった石畳もある


●バチカンの聖ピエトロ寺院の石畳
ところで、石畳道路と言えばアッピア街道、アッピアと言えば古代ローマが想起されるが、帝政終焉により中世になると、石畳道路造営は一旦下火になったという。石畳の道路や広場が再び造られるようになったのは、ローマの場合、15−16世紀頃という。

典型例をバチカンの聖ピエトロ寺院・広場に見る。この寺院・広場が現在の姿となったのは、かの天正少年使節に謁見したことでも知られる法王シスト5世の治世(1585-90年)末期だった。それ以前は、寺院のキューポラは今よりずっと小型だった。広場も今より狭隘(建物だらけ)で、石畳はなかった。

同広場に行かれた方はお気づきかと思うが、敷石は、中心部(すなわち、オベリスク周辺部)には、やや赤みがかった部分があるが、それ以外、つまり広場の大層は黒に近い。前者はポルフィド(斑岩)、後者はサンピエトローニ(玄武岩)の色だ。因みに、ローマ市内の石畳の大半は、玄武岩によるので概して黒っぽい。が、より高価な斑岩が使われているところもある。特に、テルミニ駅から徒歩5分で行ける共和国広場・三越前から、真っ直ぐ1`にわたり南西に伸びるナツィオナーレ大通りはよく見ると赤みを帯びている。同大通りに斑岩を使用する贅沢が許されたのは、かつて、王族の面々が、ナツィオナーレの南端にあるクィリナーレ宮(元々は法王宮殿、イタリア統一後は王宮となり、現在は伊大統領官邸)から、北の端にある王室菩提寺ともいうべき聖マリア・デリ・アンジェリ寺院までの往復に、屡々同大通りを使用したからだ。


写真左:ポルフィド(斑岩)の石畳(ナツィオナーレ大通り)。表面はかなりすり減っており、赤みも減じている
写真右:ポルフィド(斑岩)の石畳(さる建物の入り口)。赤みが強い。円形模様がユニーク


因みに、サンピエトリーニとは、聖(サン)ピエトロから派生した語であり、ローマ・イタリア中部では、斑岩であれ玄武岩であれ、聖ピエトロ広場で使われている敷石はどれも含む。何れも火山系岩石だが、伊中部は火山が多いため、入手の苦労はない。これに対し、全国的には(中部以外では)、サンピエトリーニは玄武岩だけを指す様だ。また、北のボローニャ地方では、サンピエトリーニと言うべきところを、ボロニーニ(ボローニャからの派生語)と言うそうだ。ボローニャも石畳文化の中心の一つであるだけに、地元の人々の自負心が伺われる。

更に北に目を転じると、ベネチアでは、たとえばサンマルコ広場は中世までは土面だったという。中世末期になり、同広場は「煉瓦畳」となった。最終的に石畳となったのは18世紀になってからだ。因みに、シエナのカンポ広場は今でも「煉瓦畳」だ。かつてのサンマルコ広場の如くに。

写真左:石畳修理状況(ナツィオナーレ大通り)
写真右:ナツィオナーレ大通りでは、修理のため一車線が完全にブロックされている(南西方向をのぞむ)


●ナツィオナーレ大通りの修理工事
さて、ローマのナツィオナーレ大通りに話を戻そう。同大通りでは、この夏から石畳修理が始められ、現在(10月末)なお進行中だ(良くてギリギリ年内完了か)。見てみれば分かることだが、自動車の重圧で凸凹になった道路を滑らかなものに復するために、まず敷石を全ては剥がし、ガタガタになった下地(通常コンクリート)を再整備し、その上に砂を敷き、その後に石を埋め込むというプロセスだ。殆どが手作業なので半年はかかる。同大通りの南からはフォリ・インペリアリ通りがコロッセオに向かって南東に伸びるが、此処も修理中だ。当然のことながら、修復期間中は交通大渋滞なのだが、市民が怒り猛っているっているという話は聞こえてこない。

各敷石のサイズはおよそ13−15センチ四方と、日本の寺院によくある石畳の敷石に較べ、遙かに小型。一つ一つの石は人の歯の形状に似て、下に向かって細くなるので、敷砂の土台に埋め込むのは簡単。ただ、急なスロープでは、砂に替えてタールをまぶした小砂利を土台として敷き詰めることがある。砂だと、「土砂降り」の時流されてしまうおそれがあるからだ。

考えてみれば、石畳道路の造設・補修は、アスファルト道路に比し格段に効率が悪い(前者の造営コストは後者のおよそ4倍との試算あり)。加えて、車で走るともろに振動を感じよう。雨の日は滑りやすく、バイクがよくひっくり返っている。勿論ハイヒールの淑女向きではない。何かと問題の多い石畳道路のこと故、ローマでも少しずつアスファルト道路が増えているという。が、アスファルト化は交通量の多い大通り中心で、ナツィオナーレのような由緒ある通りや、裏通りは、旧来の風情を保っている。その背後には、伝統を壊すべきでないという市民の無言の意思があるのだろう。

以上要するに、バチカンや古代遺跡ほどでないにせよ、通りや広場の石畳もまた、ローマのアイデンティティー形成の一翼を担っていると言えそうだ。すなわち、種々問題があるにも拘わらず、石畳が長年守られて来ている事実の重みに留意したい。ローマ散策は中々に楽しいが、時折足許にも注意を向けたいものだ。足許にも、否、足許にこそローマらしさが横たわっているだけに。
(本稿作成にあったっては、奥山書記官、コロー職員の協力を得た)

著者プロフィール
上野 景文(Ueno Kagefumi) 駐バチカン特命全権大使 
1948年生まれ。1970年東京大学教養学部を卒業し、外務省へ。英ケンブリッジ大学経済学部修士課程修了。スペイン公使、メルボルン総領事、駐グアテマラ大使、国際研修協力機構理事を経て、2006年より駐バチカン大使。文明思考家、アミニズム論考家としての顔を持つ異色の外交官。著書に「現代日本文明論ー神を呑み込んだカミガミの物語」(第三企画)ほか。論文、エッセイ多数。

http://www.japanitalytravel.com
©  JAPANITALY.COM srl - MILANO 2000 All rights reserved.