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16 luglio 2009


第3回
修道会と騎士団  







上野 景文

ローマの都心を散歩すると、中世の面影を残すローブ姿の修道士や、尼僧姿の修道女を多く見かける。ローマは、聖ピエトロ寺院や聖マリア・マジョーレ寺院といった「古刹・名刹の都市(まち)」,すなわち、「教会の都市(まち)」であるだけでなく、「修道院の都市(まち)」でもある。

そう、ローマないしその郊外には、欧州最古のベネディクト会を筆頭に、フランシスコ会、サレジオ会、ドミニコ会、イエズス会といった名門から、学校経営を通じ日本でも馴染みのある聖心会、ラサール会などまで、多くの修道会が本部を置いている。それらを訪ねてみるのも一興だ。
写真トップ:フラーレ研究員とテンプル騎士団裁判記録復刻本
写真左右:バチカン近辺で見かけた修道士、修道女


●多様な活動を展開する修道会
ご承知と思うが、修道会は、「神に一生を捧げる修道士(女)」、すなわち、「プロ(の聖職者)」だけから成る組織だ。その意味では修道会は、「プロ」である司祭と「アマチュア」である信徒の双方から成る(教区の)教会とは異なる。「プロ集団」の修道会には、2つの流れがある。一つは、トラピスト会のように、神への祈りに専念する観想修道会。もう一つは、イエズス会のように学校、病院、福祉施設の経営等、社会奉仕を手がける活動修道会。世間に馴染みがあるのは、修道士が社会と交わる後者の方だ。

修道会は学校経営のプロだ。日本での実績もすごい。修道会が日本で手がけている教育機構(幼稚園〜大学)は何と9百弱もある。早い話、上智大学、栄光学園、六甲学園(以上、イエズス会)、聖心女子大学(聖心会)、清泉女子大学(聖心侍女修道会)、南山大学(神言修道会)、サレジオ学院(サレジオ会)、ラサール学園(ラサール会)など、全国を代表するような有名校が目白押しだ。これら9百校の在籍者は25万人近くに及ぶ(カトリックの信徒は僅かだろう)。と言うことは、この50年間にざっと2百万人のOBが巣立った勘定となる。この数字は、日本のカトリック教徒数45万人を遙かに凌ぐ。
学校、福祉だけではない。医薬、香水づくりから、農業、酪農まで、かれらの活動は実に多様だ。中には「変わり種」もある。かつては、法王により武具使用を勅許された修道士もいた。騎士とも呼ばれたこの特別の修道士を中核とする騎士団は、十字軍遠征の盛んな11〜13世紀に一世を風靡した。特に聖ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団、テンプル騎士団が有名だ。

写真左:イエズス会本部(バチカン近傍)、写真右:ラサール会本部(アウレリア) 


●「鍵穴」で有名なマルタ騎士団
このうち、エルサレムに設立された聖ヨハネ騎士団につき一言。当初医療支援活動を目的として設立されたが、同騎士団は次第に軍事力を蓄え、14世紀始めに地中海のロードス島を支配し、以降「ロードス騎士団」として地中海世界でイスラム勢力とにらみ合った。16世紀になると、オスマン帝国により同島を追われマルタ島に移った(マルタ騎士団と改称)。18世紀末に同島を追われ、ローマに本部を移したマルタ騎士団は、今日なお「国家」を自認している。その意味ではバチカンに似たところがある。現に、バチカンに派遣されている多くの大使がマルタ騎士団も兼任している(ただし、日本は国家として認めていない。よって、私は同騎士団には派遣されていない)。かれらの本部はアベンティーノの丘にあり、聖ピエトロ寺院のドームが見えることで有名な鍵穴がある門は、見学者があとを絶たない。

写真左:マルタ騎士団本部(アベンティーノの丘)、写真右:フラーレ研究員と筆者


●テンプル騎士団 700年を経て「名誉回復」
他方、ダン・ブラウンのミリオンセラー「ダビンチ・コード」にも出てくるかのテンプル騎士団。クレジット・カードの原理を思いついたと言われる同騎士団は、「邪教にとりつかれた」として、14世紀初めに仏国王フィリップ4世に大弾圧を受け、2千人の騎士が拷問・虐殺された上、廃団・財産没収となった。財政の膨大な赤字に悩んでいた仏国王は、騎士団の政治・経済力が巨大化したことを背景に、かれらの財産を取り上げる目的で弾圧したとの見方が昔からあったが、興味深いことに、英国やスペインで、テンプル騎士団の系譜を自認する幾つかのグループ(欧州全体では同騎士団の系譜と言われているグループは百位あると言われている)が、「同騎士団を異端として罰したのはいわれなきこと」として、近年名誉回復を求めた(この点については、2005年2月8日付け読売新聞・夕刊の「海外の文化」欄の拙文を参考願いたい)。

この名誉回復の要求の動きには伏線があった。実は、7−8年ほど前、バチカンの秘密文書館のフラーレ研究員が、文書館内を歩いているとき、はみ出した本に躓いたことがあった。ところがだ、彼女を躓かせた羊皮紙の大型の古書こそが、女史が長年にわたり探し求めていたテンプル騎士団に対する裁判記録だったのだ。女史が「発見」した記録を精読すればするほど、当時の法王クレメンス5世は騎士達が敬虔なクリスチャンであることにいささかの疑問も持っておらず、よつて、法王がかれらを異端処分すると言うことはあり得ないことが明らかとなった。そういうことだと、弾圧は、資産をねらって仏国王が強引に仕掛けたとの見方がより説得力を持つ。英、スペインの騎士団の末裔が彼女の「発見」に勇気づけられたことは言うまでもない。

女史の「発見」をも視野に入れれば、「そもそも破門といった処分はなかったのだから、名誉回復の必要はない」という議論が可能となろう。多分バチカンの立場はそんなものだろう。もっとも、「口が硬い」ことで定評のあるバチカンが、騎士団の名誉回復の問題に関し、発言することは期待できない。何はともあれ、女史の尽力もあり、2007年10月に、同裁判記録の復刻版799部が、バチカン秘密文書館協力の下、伊スクリニウム文化財団より、刊行され、連番第1号は当然のことながら、法王に献呈された。原本と同じく、「縦2米、横0.5米」と巨大な復刻本は、シミの1つ1つまできちっと再現されており、頒価は何と5900ユーロ(およそ百万円)もしたという。また、昨年(08年)8月21日付けのバチカン直営紙オセルバトーレ・ロマーノは、フラーレ女史の「発見」を踏まえれば、テンプル騎士団が邪教に走ったという見方には根拠がないことは明白との記事を掲載した。
この様に、復刻本が刊行されたことや、オセルバトーレ・ロマーノ紙の報道を通じて、騎士達の「名誉回復」は十分果たされたと見て良かろう。現に、法王庁のさる幹部は最近私にその旨明言した。

そう、此処ローマでは、修道会に関する話はもとより、騎士団に関する話題も、臨場感に溢れる。  

著者プロフィール
上野 景文(Ueno Kagefumi) 駐バチカン特命全権大使 
1948年生まれ。1970年東京大学教養学部を卒業し、外務省へ。英ケンブリッジ大学修士課程修了(経済学)。スペイン公使、メルボルン総領事、駐グアテマラ大使、国際研修協力機構理事を経て、2006年より駐バチカン大使。文明思考家、アミニズム論考家としての顔を持つ異色の外交官。著書に「現代日本文明論ー神を呑み込んだカミガミの物語」(第三企画)ほか。論文、エッセイ多数。

本稿準備にあたって多大の協力を得たフラーレ研究員に心より深謝すると共に、助力を得た大使館の等々力書記官、イアロッチ職員にも感謝したい。



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