いつもの様にシエナからカッシア街道をロ-マ方面へ。どこまでも続く穏やかな緑の渓谷は、まるで砂浜に打ち寄せる波のようでなんとも心がやすらぎます。右手の丘の上にモンタルチ-ノの村を眺めながら、さらにバスは南下します。そして国道沿いに、こんもりとしたかわいい小さな糸杉の森がみえてきたらサンクイリコの村まではもうすぐです。
「ボスケッティ・デイ・チプレッシboschetti dei cipressi」 という愛称で親しまれている糸杉の小さな森、今ではオルチャ渓谷のそしてトスカ-ナのシンボルの一つともなりました。一度は見ておきたい、とっておきの風景のひとつです。第8回目となるシエナの小さなボルゴのご紹介はオルチャ渓谷の玄関口に位置する村、サンクイ-リコ・ディ・オルチャSan Quirico d'Orciaです。
写真トップ@小さな糸杉の森
写真上左A12月のオルチャ渓谷の朝焼け 写真上右Bサンクイ-リコ村のコッレジャータ(聖堂参事会教会)
●サンクイーリコ ディ オルチャの歴史
シエナ県南部のアミア-タ山の麓にひろがるオルチャ渓谷は2004年にユネスコから世界遺産として認定されました。この美しくなだらかな丘陵地と北側のアッソ渓谷を分けるようにサンクイ-リコの村は位置しています。また西にモンタルチーノ、東にはピエンツァと周囲を町にかこまれたこの村の標高は約410m 人口約2780人、村の起源はエトゥルリア時代にさかのぼります。オセンナ(Osenna)とよばれる集落があったと伝えられている大変古い歴史ある町です。
また中世初期の時代には、ドイツの皇帝派が町の権限を有し1155年には赤ひげ王ことフェデリコ・バルバロッサがローマへ向かう途中にここを訪れ、教皇庁から送られてきた枢機卿らとサンクイ−リコの村で会談を行っています。それを記念して現在も毎年6月にはバルバロッサ祭が開催され中世の衣装を身につけた人々などが村を盛り上げます。その後この村は12世紀後半にシエナ共和国に属しますが1559年、スペインの支援を受けたフィレンツェ軍によりシエナは攻略されてしまい、サンクイーリコの村もフィレンツェ公国の領土となってしまいます。そして1677年にはトスカーナ大公コジモ3世によって当時のローマ教皇アレッサンドロ7世(シエナのキージ家出身)の甥で枢機卿であったフラビオ・キージに対し、封土としてサンクイーリコ村が与えられました。
写真上左Cサンクイーリコ村中心部を南北に走るフランチジェナ街道 写真上右:D城壁外から見るサンクイーリコ村の中
●ローマとフランスをつないだ小さな村
かつて無数の巡礼者たちが聖地を求めて行脚する時代がありました。スペインのサンディアゴ ディ コンポステ-ラ、ロ-マのサンピエトロ寺院、そしてキリストの聖地 エルサレム、この三大聖地をつなぐ街道は海側へ山側へと複雑に入り組んでいました。いったい当時の人々はどんな思いでこの気が遠くなりそうな距離を歩いていたのでしょう。
そんな中フランスとロ-マをつなぐ街道のひとつが現在のシエナ県を通過していました。それはVia Francigena フランチジェナ街道(フランス街道ともいう)と呼ばれており、巡礼者だけでなく多くの商人や騎士たち、また外交のための主要道として利用されていました。そしてこの街道に沿った村や町は発展していきます。これはシエナの話ですが、まさにこの街道がシエナの町の中心を通っていたことにより、銀行業や商業などが大きく繁栄し中世初期にはヨ-ロッパで指折りの商業都市の一つとなりました。また長旅で疲れきった巡礼者たちを迎え入れ給仕や看護を提供する救護所が9世紀頃にはすでに町で機能していたといわれています。
写真上EF村の入り口にあるサンタマリアデッラスカーラ救護院の分院
シエナはヨ-ロッパ最古の病院 がある場所としても有名です。サンタマリアデッラスカ-ラ救護院とよばれていたこの病院はハシゴ(小さな階段とその上に十字架がついている)をシンボルマ-クにもっています。この紋章がついている建物や教会を見かけたら、そこはサンタマリアデッラスカ-ラ病院の分院であり、その場所がかつて巡礼者たちの救護所であったということになります。フランチジェナ街道沿いにはこのように小さな分院がところどころにみられます。そしてこの小さなサンクイーリコ村は、南北にこの街道が抜けていたのです。現在のVia Dante Alighieriにあたり、ローマ方面から村へ入ったすぐのところには現在もサンタ・マリア・スカーラ救護院(分院)がのこされています。
●サンクイーリコ村を歩こう
現在も中世時代の城壁に囲まれているサンクイーリコ村、残念ながら第二次世界大戦中に南端にあったPorta Romana(ローマ門)は破壊されてしまいました。しかし東のピエンツァ方面へ抜ける多角形の塔のような形をした見張り門Porta dei Cappuccini (カップチーニ門)は保存状態がよく、当時の面影を感じさせてくれます。さあ町の北側(シエナ方面)から村の中へと入っていきましょう。メインストリートであるvia Dant Alighieri(ダンテ・アリギエーリ通り)を歩きながら、まず目を惹くのはバラ窓がなんとも美しい聖堂参事会教会 コレッジャータ (La Collegiata dei Santi Quirico e Giuditta)です。
写真上左Gバラ窓の美しいコッレジャータ 写真上右Hジョバンニピサーニとその弟子たちによる彫刻が見事なコッレジャータ側面の扉
もとは8世紀頃に建てられた小さな教会(Pieve di Osenna)でしたが、12世紀末にロマネスク様式として再建築され、13世紀末には左右に翼廊が加えられ現在のラテン十字型をもつ教会となりました。3つの異なる時代につくられた扉とそのまわりに施されている見事な彫刻、そしていくつにも重なるアーチはシエナ県でも他に類を見ない美しさです。教会内部にはシエナ派の画家で大変活躍したSano di Pietro(サーノ・ディ・ピエトロ)作の聖母子と聖人たちを鑑賞することができます。また主祭壇背後のコーロとよばれる聖職者祈祷席はすばらしい寄木細工でデザインされています。これはシエナのドゥオーモで使われていた一部が運ばれてきたとのことです。
さて教会をでるとすぐ左手にはバロック建築がすばらしいカールロ・フォンターナ設計のキージ宮殿Plazzo Chigiがあります。これは当時のローマ教皇アレッサンドロ7世(シエナのキージ家出身)の甥にあたる枢機卿のフラビオ・キージのために建築されました。広い館内の各部屋には、ローマで活躍していた芸術家らによる美しいギリシャ神話などの天井画を鑑賞することができます。
写真上I右はキージ宮殿:キージ家は18世紀までこの村で生活をしていた
広場に再び戻ると向いにはルネッサンス様式のプレトリオ宮殿があります。建物の壁には当時の歴代執政長官たちの家紋がはめこまれています。そして左方向にはPorta dei Cappuccini(カップチー二門)へとつづくVia Poliziano (ポリツィアーノ通り)があり中世の家が並ぶ趣ある狭い小道になっています。
●ワインやオリーブオイル、特産品のお店
メインストリートのVia Dante Alighieri(ダンテ・アリギエーリ通り)を南方面へ散歩を続けていきましょう。オルチャ渓谷の畑でとれるワイン・オリーブオイルまたはペコリーノチーズや生ハム、ハチミツのお店などが建ち並んでいます。またおいしいレストランやエノテカそして家庭経営のホテルやB&Bなど、小さなサンクイーリコ村ですが土日は観光客でにぎわいを見せています。
写真上左Jサンクイーリコ村のチーズ屋さん 写真上右Kエノテカではワインの試飲も可能
お店をぶらぶらみて歩きながら比較的大きな広場にたどりついたら、そこはリベリタ広場Piazza della Liberita'です。大きな時計がついた鐘楼がある教会はサンタ・マリア・ビタレータ教会S.Maria di Vitaletaです。教会内部の中央祭壇にはフィレンツェ出身の彫刻家で有名なロビアーナ家による作品「聖母マリア(テラコッタ)」と木製彫刻の「受胎告知マリアと大天使ガブリエルの像」をみることができます。
写真上Lサンタ・マリア・ビタレータ教会
●イタリア式庭園とサンタ・マリア・アッスンタ教会
広場へふたたび出て門に向かって歩くと、左手に「HORTI LEONINI」と書かれた小さなレンガ造りの入り口があるので中に入ってみましょう。これは1540年にDiomede Leoni(ディオーメデ・レオーニ)という人物によってつくられたイタリア式庭園で、幾何学模様的なデザインになっています。
写真上左Mイタリア式庭園の様子 写真上右Nイタリア式庭園入口