さわやかな天候が続いている初夏のイタリア。水色の空にぽっかりと浮かぶ白い雲、その大きな影は風に乗り丘の上をゆっくりと移動していきます。あと2週間もすればシエナ周辺の広大な地には一気にひまわりが咲き始めます。まるで黄色いじゅうたんの上を走る小さな車、田舎へ出向けば必ず出会える風景です。イタリアの夏!といえばやっぱりひまわり畑を想像せずにはいられません。慣れ親しんだ花だけれど、見ているだけで元気と勇気をもらえる太陽のような存在です。
写真トップ@秋祭り「フェスタ・ディ・ルーカ」の様子
写真上左Aサン・グズメ村へのバスからの眺め 写真上右Bバスからは馬のいる景色も
第10回目をむかえるシエナの小さなボルゴのご紹介は毎年ユニークなフェスタ「Luca Cava ルカ・カーバ」が行われることでも有名なSan Gusme サン・グズメの町をお届けします。聞きなれないどこか不思議な響きをもつこの村の名前、その由来は9世紀に建てられたボルゴの入り口にある小さな教会に奉られた双子の聖人、聖コズモと聖ダミアーノからとられたと言われています。4世紀に殉教し、医師でもあった彼らは、中世からルネッサンス時代にかけての絵画によく描かれています。
写真上Cぶどう畑の上に広がるサン・グズメ村
1.サン・グズメ村へ
シエナの街をぐるりと囲む城壁にある門のうちの一つ、ピスピーニ門(Porta Pispini)またはFSシエナ駅前からバスは出発します。途中アルビア渓谷を通過し、また1260年に起源をもつ皇帝派 (シエナ軍)対 教皇派(フィレンツェ軍)が戦いを繰り広げた場所、モンテアペルティMonteapertiを左手にみながらバスはゆっくりとカステルヌオーボ ベラルデンガCastelnuovo Berardenga方面へとすすんでいきます。道中両脇に果てしなく広がる大地、羊たちの群れをみることも度々です。のんびりとした風景を楽しみながらバスは約1時間で目的の村サン・グズメに到着します。
写真上左D村に残る中世時代からの門 写真上右E村の中心Piazza Castello広場
●サン・グズメ村の様子
標高465mの小高い丘の上に広がる小さなサン・グズメの村、町には2つのポルタ(門)があります。どちらも中世時代のオリジナルで古い石造りの門、ゆるやかなアーチは上から軽く押さえたような形をしています。この小さな村には教会が2つだけ、どちらも歴史ある建物ですが1900年代に修復がなされていてネオクラッシックスタイルとなっています。また中世時代に敵から自身の領土を守るためにつくられた城壁、今では美しくボルゴを包み込み、また町の中心にあったといわれているお城は改築がくりかえされ現在では村で暮らす人々の住居となっています。
写真上左F当時お城は改修され人々の住居に 写真上右:G夏の食卓に欠かせないトスカーナ産生ハムとメロン キャンティクラシコの赤ワインで
周辺を葡萄畑に囲まれたこの地域で生産されるワインはキャンティークラッシコ!毎年秋に開催されるフェスタでは各ワイン農家がブースを出し合い自慢のワインやビンサント、グラッパなどを一般客にテイスティングさせるサービスがおこなわれます。またマイルドで口当たりのよいオリーブオイルが生産されることでも有名、トスカーナ産のエキストラ・バージン・オイルはくせがなくどんなお料理にも合うといわれています。
2.ユニークな秋祭り 「 La Festa di Luca 」
トスカーナ州シエナ県の小さな村々で年間を通じて開催されるフェスタは今までに本連載で紹介をさせていただきました。今回はたいへんユニークなエピソードが有名なサン・グズメ村で毎年9月に行われるお祭り「La Festa di Luca '' (ルカ・カーバ)」についてお届けしたいと思います。
●テラコッタ製の男性人形像「ルカ・カーバ」
村のポルタから出てすぐの場所にあるテラコッタ製の小さな男性人形像、よその村からサン・グズメ村へとつづく道を上がってくれば一番に目に付く場所に、まるでこの村を代表するキャラクターの様な感じで飾られています。なんとこの男性、農作業服を着てかがんでいるのですが、麦わら帽で大事な部分をかくして用を達している姿なのです!小便の部分が小さな噴水になっていて、なんだか田舎らしいユニークな感じがします。そしてこの人物がLuca Cavaルカ・カーバ、フェスタのタイトルともなりました。
写真上左H村の入り口にある小さなフォンターナ、村のシンボル、テラコッタ製の「ルカ・カーバ」 像
写真上右I村の入り口近くにある聖コジモ・ダミアーノ教会
話はさかのぼること1888年、この村の農家で働くジョバンニ・ボネーキさんという男性がいました。しかし彼はある悩みを抱えていたのです。それはサン・グズメ村の住民や村を通りかかる人々があちらこちらでおかまいなしに立小便など用を達するため、村は悪臭を放っていたからなのだとか。「立小便禁止」などの看板を立てたところでその当時、文字の読み書きができる人はまだ少なく、また家屋の中にでさえトイレが設置されていない時代だったのです。そこで彼は考えました。誰もが理解できる目印を置いてそこを公衆便所とすることで愛するサン・グズメ村をもっと暮らしやすい場所にしよう、また糞尿は畑の肥やしとして再利用すればいいと。彼は自分の土地の一角を住民に提供し、そこに自身で彫刻した人形を置きました。これが先に話していた男性が用を達している像「ルカ・カーバLuca Cava」です。ボネーキさんが名付け親で架空の人物ですが、この像を置いたことで村は美しく生まれかわり人々のモラルも高まったといわれています。
写真上左J村のおいしいレストラン、日差しが強くても木陰に入れば涼しい 写真上右K村のあちこちにかわいい花
時はながれこのユニークなでき事は次第にトスカーナのみならず各地方にも知れ渡ることとなりました。しかし残念な事にこのユーモアあふれる像をからかい、サン・グズメで暮らす人々を笑いものにする心ない人々がでてきます。ある日このうわさに恥を感じ、耐え切れなくなったサン・グズメの住民の誰かが「人形像=ルカ・カーバ」をやっかい物扱いし、近くの湖へ投げ込むという事件がおこってしまいました。1930年頃のお話しです。
●失われた像を再現
時が経ち1970年代になってからのこと、この出来事を知り心を動かされた一人の人物がいました。彼の名はシルビオ・ジーリ。 当時イタリアの主要テレビ局 Rai Unoなどでディレクターを務め、またテレビ・ラジオなどでも人気のショー番組司会者だった人物でサン・グズメからほど近いカステルヌオーボ・ベラルデンガCastelnuovo Berardenga出身の男性です。彼はこのストーリーを、テレビネットワークを通じてユーモアを交えながらおもしろおかしく、しかしプロフェッショナルに公表、サン・グズメ村にもう一度、失われた像を取り戻そうと呼びかけたのです。
その後住民投票がおこなわれましたが過去につらい経験をもった村の人々の意見は様々でした。しかしなんとか合意をとることに成功、新しい像の制作はシエナの陶器アーチストと風刺漫画デザイナーの手によって実現されました。そして堂々と村の入り口に今度はサン・グズメ村のシンボルとして「ルカ・カーバ」が帰ってきたのです。このユニークなスタイルの像(農民がかがんで用を達している姿)と一緒に次のようなメッセージがタイルに記されています。
写真上右Lシルビオ・ジーリ氏による人々へのメッセージ
「 王様、皇帝、教皇、哲学者、詩人、農民、工員労働者・・人間が日常生活でおこなう生理的な行動。からかわずにあなた達自身のこととして考えよう」といったニュアンスでしょうか。
皮肉や、からかい、またそれを長年に渡って受けてきた村人たちが抱く羞恥心、これらすべてを逆手にとらえて人間くさいユーモアあふれるジョークとしながらも、人としての道徳意識を高めることに努めたシルビオ・ジーリ氏、国民から愛される存在だったトスカーナ出身のタレントがおこした出来事はたちまち有名となりました。人を笑わせ楽しませる仕事のなかにプロとしての才能をエレガンスに発揮し、イタリア人らしい郷土愛に満ちた彼の存在は偉大です。彼は1988年に亡くなってしまいました。
写真上左Mフェスタの様子 写真上右N昨年のフェスタではカンパーニア州からおいしいトマトとモッツアレーラチーズの嬉しい差し入れ