ペルージャのホテルから眺めていたAssisiへ向かう。イタリア広場からエスカレーターでバスターミナルまで行き乗合バスに乗った。1997年初めて訪れた直後ウンブリアを地震が襲った。あれから15年振りだ。
乗合バスはあちこち停まり遅いがおもしろい。50分かかりサンピエトロ広場に着いた。ピエトロ門を入ったすぐ右にサンピエトロ修道院がある。ロマネスクの地味なたたずまいだが中に素晴らしいプレセピオがあった。イタリアではクリスマスに必ず飾られる馬小屋。ベツレヘムの街でイエスが誕生した様子を再現している。そういえばプレセピオはフランチェスコが始めた事だと彼の伝記で読んだことがある。
●聖フランチェスコ教会
そこから坂道を登るとフランチェスコ教会の庭にでた。懐かしい!廻廊を歩き聖堂に入る。ミサが行われていたが、そこを通り過ぎ旧約のフレスコ画を見ながら地下へ。遺品室にボロボロの衣服が・・・ そして更に降りて行くとフランチェスコの墓がある。周囲を仲間の墓が囲んでいる。
祈りの場があって多くの方が祈っている。その後いったん外に出て空気を吸いこみ外階段を登り上の聖堂へ。あのジョットのフレスコ画で覆われているところだ。「小鳥の説教」は前かがみのフランチェスコに相変わらず優しさがあふれている。 「教会を建て直せ」とイエスの声を聞いたという教会を支えている絵が心に残る。フランチェスコがいなかったらカトリックは華美の一途をたどったかもしれない。清貧を旨としたフランチェスコ亡き後、論争のあげくこの教会は建てられた。はてフランチェスコはこの素晴らしい聖堂をどう思っているだろうか?
それにしてもウンブリア平原とスバシオ山を背景に本当に美しい教会!!
●聖ルフィーノ教会とサンタ・キアラ教会
つぎはAssisiのドーモ・聖ルフィーノ教会に向かった。フランチェスコとキアラが洗礼を受けたという教会だ。ロマネスクの落ち着いた教会。ガラスになっている床を覗くとかつての教会の跡が見える。二人の洗礼盤があるかと思ったが、残念ながらわからなかった。
写真左上:聖ルフィーノ教会 写真左右:オリーブ畑
そこから坂を下ると建物の間からピンクの鐘楼が見えた。サンタ・キアラ教会だ。この地の淡いピンクの大理石で作られている。静かな空間にキアラが横たわっている。キアラが縫ったと言う白い大きな衣服や粗末な靴下などが清貧さを偲ばせる。
●サン・ダミアーノ修道院
ここからしばらく下るとポルタ・ヌオボ門があり、そこから町を出て急坂を下る。あの須賀敦子さんが好んで歩いたとか。オリーブ畑をぬける道がいい。15分ほど下ると石造りの修道院・サン・ダミアーノに着いた。フランチェスコはこの人里離れた場でひっそり祈りの時を過ごしたのだろう。粗末な所だったはずだ。今はそれでも何階かになっていて中庭もある。この場こそ聖地と言えるのかもしれない。帰りには急坂を登らねばならない。途中シスター達と逢いvia dolorosa(苦しみの道)みたいと笑いあった。
●サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会
ポルタ・ヌオボまでもどり、ホテルを見つけてタクシーを呼んでもらう。町の中心からは5キロ先のサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会を目指す。なんといってもここはフランチェスコが布教を始めた所であり、44歳で息を引き取った所でもあるのだ。
写真左上:トゲのないばら園 写真左右:サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会
フランチェスコの祈りの場だった小さな聖堂を護るために、それを覆うように巨大な教会を後から作ったのだ。右側廊からバラの聖堂につながり、そこにバラ園がある。フランチェスコが自分にムチ打つため、バラに身を投げ出したおり、トゲが無くなったのだそうだ。確かにトゲの無いバラだ。花は咲いてなかったのが残念だったがどんなだろうか?きっと優しい花にちがいない。
かなりの疲れとともにこの教会近くのAssisi駅へ歩く。単線のローカル電車でペルージャに帰った。一日聖地を巡りオヤオヤ・・と思うこともあるのだが、確かにフランチェスコは精神的に教会を建て直し、イタリアの守護聖人なのだ。カトリックの聖人のなかでも「回心」の手本なのだろう。やはりここはフランチェスコいっぱいの恵にみちた町だった。 まだまだフランチェスコゆかりの場所はあるのだが それはまた次回の楽しみにしよう。
<4月19日・20日 ペルージャ→ローマ→成田>
ペルージャから ローマ空港へ 帰国の日 機材変更で 1時間遅れ
待ち時間 伊語の本一冊 求めたが 読み切ることが できるだろうか
目がつかれ 加齢のせいか ウトウトと 頭の中で 日記を綴る