羅針盤、造船、紙漉き、そしてレモンとオレンジ、もちろん海の幸、漁師の守護神・聖アンドレアを祀って繁栄していた。
アラブ国家との交易もあり、その影響をうけたのは当然でこの急峻な地形にみごとに建てられた大聖堂にそのことが現れている。その扉はコンスタンチノープルから運んだものとか。ファサードは金箔でおおわれ 夕陽をあびて金色に輝くのだそうだ。今回曇り空だったのでその光景は見られなかったが・・
ナポリ王国、アラゴン、フランス、スペインと覇権争いにさらされてやがて没落したアマルフィ。19世紀にナポレオンがナポリからの陸路を整備したのだという。ナポレオンの思いとは別に、今や観光道路として彼に感謝すべきなのだろう。こうした歴史と自然の美しい海岸が1997年世界遺産に登録された。
<10月3日 アマルフィ→モンテペルトーゾ→ポジターノ
→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ>
わあ晴れだ 朝陽海から 部屋に差し 今日の行程 いよいよ楽しみ
小型バス モンテペルトーゾへと 駆け上り そこから降る 1300段を
この村は 黄色の塔が 目印の ポジターノより 上にある村
トレッキング ガイド・パオロさん にこやかに 彼の基本は 山への誇り
木々の間に 徐々に見え出し 招いてる ポジターノの 家並みの群れ
ポジターノ 聖母教会 細い道 通り過ぎると ビーチにでた!
この景色 こうだったのか ビーチから 振り向き仰ぐ 山肌の家!
ビーチには 泳ぐ人より 寝転んで 日焼け楽しむ 老若男女
絵筆振る イタリアーノは にこやかに ここがおいらの アトリエなのよと
狭い道 所狭しと 店があり 白にブルーの リネンシャツ選び
写真上左:ポジターノへ舟で 写真上右:舟でポジターノからアマルフィ海岸へ
こんなとき イタリア語出番 頑張ろう ムニャムニャ言って 2割のダウン!
船にのり 海から眺める ポジターノ アマルフィまで 山の家続く
ラヴェッロへ 行くバスが出ると 乗り込んだ 疲れを知らない 旅の足腰
あの映画 「イタリアは呼んでいる」 のテラス 時間が遅く 閉じられ残念
この高さ ラヴェッロからの アマルフィ これだけを観て 帰りのバス待つ
待つ間 ローマの人と なにやらと 塩野氏須賀氏の 話をしてみる
やっと来た バスに無理やり 乗り込むも あらら小さな 村まわりらし
Scalaと いう村らしい 谷あいの わずかな平地に ぶどうの棚が
大聖堂 前に帰りて ありがとう 長くて濃密 今日一日を
●ポジターノ
アマルフィ海岸の最も西に位置するポジターノは、「アマルフィ女神の報酬」という日本映画のラストシーンを観て、なんという景色!いったいどのあたり?と思っていた。今回、モンテペルトウゾという、おそらくポジターノより少し高い隣の村まで小さいバスで昇り、そこから ポジターノのビーチめざして山の中の1300段の階段を降った。
ガイドによると昔からの道がだんだん整備され、今は素朴な階段状になっているのだとのこと。自然がそのまま残り、ときには鍾乳洞のような山肌もある山道だ。木々の間からだんだんポジターノの家並みが見えてくるこの山降りは気持ち良い晴天も幸いして、まことに楽しく素晴らしかった。
写真上左:モンテペルトウゾからの眺め 写真上右:モンテペルトウゾの階段状の山道
ガイドはあちこちの葉をとり、臭いをかがせてくれ、これはハーブ、あれはクスリと自分の山への誇りがあふれるばかりの明るいモンテペルトウゾ・イタリア人だ。 出会う人誰とも知り合いらしく、このコミュニティーの一員だと分かる。
ポジターノに着くと、街中心の黒いマリアを祀るサンタマリア・アッスンタ教会にでる。そこから更に 両側に店がひしめいている降りの狭い道を通り抜けるとビーチにでた。振り返るとその風景は圧巻でどこから見たら一番かと彼方此方歩いては振り返る。
ジャクリーン・ケネディをはじめ 多くのセレブが訪れたとかで、漁師町ではなく、洗練され、ファッショナブルな服やカラフルなマヨルカ焼き、サンダルの店が並んでいる街だ。 大三角形ともいえる見事な家並みが山にへばりつき、そのカラフルな家並みだけで私達を魅了している。