・バロックの 見事な建物 三方に 海に面した 統一広場
・装飾の 美しさから しのばれる ウイーンの国の 支配だったと
・カフェ・トマゼオ ランチに海鮮 パスタ食べ ムール貝あさり エビ味美味
写真上左:サバ書店 写真上右:サバ像
・サバ書店 ニコロ通りに あるものの 閉じられたといい 隣の店主
・サバの元へ あのマリオ氏は 逝かれたか? なんだか寂し気 サバの像も
・サバの詩の 山の通りを 探し当て 狭くて急坂 だれも通らず
・この道を 上までやっと 歩いてみる ボーラ無くても 手すりは必要
「悲しいことも多々あって、空と 街路の美しいトリエステには、山の通り、という坂道がある。」サバ 須賀敦子訳
・階段道 降りて聞いて みつかった バティスティ通り カフェ・サンマルコ
・大量の 書籍コーナー 噂通り カフェと読書と 政治談議?
・ウイーンの ドイツ語訛りの カフェスタイル このトリエステで 幾つも生まれ
・この街は 大戦の後 1954年 やっと帰属が イタリアとなり
トリエステ
●須賀敦子さんを追ってやっとこの町に
20年前 須賀敦子著「ミラノ霧の風景」に出会いました。続いて「トリエステの坂道」「ヴェネチアの宿」「ユルスナールの靴」・・・と全て追い、以後書評本から文学展まで楽しんで来ました。編集者湯川氏は「彼女は自分のイタリア生活を書くことにより生き直したのだ」と書いておられました。私はその彼女の生き直しに魅せられ楽しみ、追い続けてきたのでした。彼女のアッシジ ペルージャ ローマ アクイレイア・・・と通い続け今回やっとトリエステ!
●詩人サバの街
トリエステは彼女とその夫が愛した詩人サバの街。須賀さん翻訳を読んだ中で気に入った言葉がありました。それがラザレット・ヴェッキオ通りに掲げられているのを知って、必ず訪ねようと思っていました。ホテルのフロントで聞いて朝の街に出るとありました。海沿いの1本内側、今では両側が駐車場と化していました・・ラザレットとはあの聖書のよみがえりのラザロです。この先に病院でもあったのでしょう。
その道を「トリエステには、閉ざされた悲しみの長い日々に 自分を映してみる道がある」と詠ったのです。現在の道とはちょっと違和感・・・残念。
●急坂の寂しい「山の通り」
もう一本、「山の通り」にも行きました。急坂の寂しい、私が歩いている間、誰も通らなかった道でした。ここを詩人は「悲しいことも多々あって、空と 街路の美しいトリエステには、山の通り、という坂道がある。」と詠いました。
写真上左:「山の通り」 写真上右:鉄の手摺り
本当に急で北風ボーラが吹いた時の為に塀にはずっと鉄の手摺りがついているのです。今はユダヤの人々のお墓が塀の先にはあるらしい。登りきるのがきつかった。サバの母親はゲットのユダヤ人でした。「閉ざされた悲しみの長い日々」とはその事とも関連しているのでしょう。このトリエステには絶滅収容所もあったのですから。
●サバ書店はすでに閉店
サバが経営していた古書店にも行ってみましたが、シャッターが締っていました。聞いてみると「ずっと閉じている、いつ開くか分からない、きっと閉店したのだろう。」と。念のため別の店主にも聞きましたが同じでした。20年は長すぎたのだととても残念でした。もう後を継いでいた、あのマリオ氏も亡くなられたのかもしれません。
サバのことを知らないと言った若い子、閉じた古書店、誰も通らない山の通り、駐車場のようなラザレット通り。トリエステは私のなかで別な意味で寂しい街になりました。
●落ち着いた大人の街
500年間ハプスブルク家の支配下にあったためウイーンのような街並。書籍を備えたカフェや自前のチョコレートを作っているカフェ等トリノにも似ています。海沿いの統一広場は夜になると青くライトアップされ美しい。華やかではない、落ち着いた大人の坂の街でした。