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小都市をたずねる旅 - シチリアの町を歩く バックナンバー
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7 Ottobre 2002
《総集編》シチリア 旅の終わりに 小森谷 慶子 |
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![]() 私がまだシチリアに足を踏み入れる前の80年代当時、シチリアと聞いて、私に限らず多くの人が思い描いたイメージはおそらく、映画『カオス・シチリア物語』の映像であったと思います。冒頭のシーンで、首に鈴をつけられて青空に放たれる黒いカラス、空撮によるセジェスタ Segesta の神殿と深い渓谷。今日でも「あの白砂の浜はどこにあるのですか」などと質問されることがあるほど、あの映画のインパクトは強烈でした。当時はシチリアについての書物も多くありませんでした。私が最初に出会った本は、民俗学者の竹山博英先生が著した『シチリア、神々とマフィアの島』(朝日選書)ですが、この本の後半は、マフィアについての生々しいドキュメンタリーでした。当時のシチリアは誰もが二の足を踏むようなすさんだ土地だったのです。 そんな頃、私は日本に居ながら何人かのシチリア人と出会うことになりました。観光キャンペーンのために来日した州政府の観光大臣一行の通訳を頼まれたからです。その中の一人、シラクーサ Siracusa の観光局長ミラベッラ氏とは、二度目のシチリア訪問で東部を廻った時に再会を果たしました。その後、彼からシラクーサの観光パンフレットの日本語訳を頼まれました。もしも皆さんがシラクーサの縦長の小さな、写真入観光パンフレットをもらったとすれば、それは私の訳したものなのです。ジャック・ペランのような銀髪をもつミラベッラ氏はスカした恐もてのエリートで、一見したところ人当たりが良くないのですが、ハートのある誠実な人で、我々とは延々と長いつきあいが続いています。 ところで、シラクーサでは石切り場の劇場遺跡で古典劇を上映する試みが行われているというお話をしましたが、局長は私にギリシア劇の復興に係わる人物を紹介してくれました。青い目をしてシレノスのようなお腹をした巨人ペッレリーティ氏、生粋のオルティージャっ子です。彼は、シラクーサで上映される古典劇の演目の概要などを載せた『A Week in Sicily』という冊子の発行人で、私は以後毎年、その日本語訳を担当することになりました。彼は奥様に先立たれているので、たいてい夕食はアルキメーデというレストランでとります。「ダイエット中なんだ」というのが口癖で、プリモをとらずに、いつも魚とインサラータ(サラダ)を食べるのですが、太鼓腹がへこむ気配はありません。カフェでもチョコラータを注文しながら「ダイエット中なので少なめに、でもパンナ(生クリーム)はたっぷり」などと訳のわからないことを言っているのだから仕方ありません。
ペッレリーティ氏には、昼間たいてい一緒にいる親友がいました。かつてリチェオ(高校)で古典ギリシア語を教えていたトゥーリ教授です。教授は、オデュッセウスが上陸して一つ目の巨人の岩屋に閉じ込められた場所は、アーチ・トレッツァ Aci Trezza ではなく、シラクーサであることを理路整然と論じ、論文まで発表しています。帰国してから『オデュッセイア』を丹念に読み返すと、確かにそのような気もしました。考古学監督局の人は皆、彼の教え子とみえ、彼のことを「プロフェッソーレ(教授)」と呼んで敬っていました。オルティージャ島を地元の人々が「スコギュー」と呼ぶことを教えてくれたのも彼でした。ロマンチストで、方言で詩を詠み、それをペッレリーティ氏は自分の冊子に掲載したものです。ある晩、ポルト・グランデの対岸にあるトラットリア「ファラオーネ」に出かけたとき、トゥーリ教授は満天の星を指しながら、大人が子供に教え愉す時のように私の腕に手を添え、星座と神話について語ってくれたこともあります。そんなトゥーリ教授も数年前に肺炎をこじらせて亡くなりました。今ではオルティージャ島を照らす星の一つになっているのでしょう。教授とシラクーサを思い出しながら、ここに彼が詠んだ詩を訳してご紹介したいと思います。
神々 彼らは恋心に胸をはずませ、 そして神話を生みだす。 そして、私は往年の学生として彼らとともに、 トゥーリ・ロヴェッラ ギリシアの詩では、我々人間のことを「死すべき者」、神々のことを「不死の者」と称します。シラクーサのように古い歴史のしみついた場所にありながら、死ぬべきことなど念頭になく華やいでいる美しい若者たちは、古典学者である老教授の目には「不死の者」のように映ったのでしょう。それにしてもシラクーサは、ややトルコっぽいギリシア本土に比べると、より純粋に古代ギリシア世界を感じさせる土地です。このとおりそこの住民自体がなおも古代世界に魂を遊ばせているのですから。 無二の親友を失ったペッレリーティ氏は、以後、息子のラッファエッレが買っている白い小犬を相棒にして、自宅のあるランドリーナ通りやドゥオモ広場界隈を散歩していますが、巨大な後姿が何となく寂しそうです。皆さんがもしオルティージャ島で、小犬を連れた青い目の大柄な老人を見かけたらぜひ声をかけてみてください。「ドットール・ペッレリーティ?」と。
写真説明
上:海ドゥオモの玄関の鉄格子から広場を望む(シラクーサ・オルティージャ島) 左下:ドゥオモ内部。ギリシア神殿であった時代、モスクであった時代、教会となってから2500年以上にわたり、常にシラクーサの人々の祈りの場であった 右下:シラクーサの現代画家 タランキーノ Tranchino の描いたオルティージャ島のグランド・ホテル(オリジナルは同ホテルに) (写真:小森谷賢二氏 ) ※小森谷慶子さんによる『シチリアの町を歩く』は今回で連載終了となりますが、次回、“あっとおどろく”来年の企画を発表いたしますのでお楽しみを! |
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■『シチリアの町を歩く』 ![]()
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