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イタリア・トラム探索の旅
15 Maggio 2020

Italia, Viaggio in tram

第6回 
唯一残る郊外トラム
ミラノのトラム  後編  



市川嘉一


●リンビアーテ線、3両編成の古い車両
これまでミラノの街中を走るトラムを色々と見てきたが、最後にミラノ郊外を走る唯一のインターアーバン・トラム(郊外トラム路線。イタリア語でtranvia interurbana)である「リンビアーテ線」(Linea Limbiate)を紹介しよう。

トップの写真:@ミラノ都市圏で唯一残る郊トラムのリンビアーテ線=2018年5月19日撮影  写真下左:A地下鉄M3の北側終点駅、コマジーナのホーム=2018年5月19日撮影   写真下右:Bコマジーナ駅の地上に出ると、リンビアーテ線の線路が見えてくる=2018年5月19日撮影             

黄色がシンボルカラーである地下鉄M3。その北側終点であるコマジーナ(Comasina)駅の地上出口を出ると、目の前に広がる車道に沿うように単線のレールが北側に伸びている。手前には乗降場所となるホームも視界に現れる。しばらくすると、オレンジ色の3両編成の古い車両がゆっくりとしたスピードで近づいてくる。ミラノのトラムの営業系統では「179」の「背番号」(=系統)を持つリンビアーテ線だ。

写真下左:Cリンビアーテ線のコマジーナ電停のホーム=2018年4月29日撮影 写真下右:Dコマジーナの電停に向かってくる3両固定編成の車両=2018年5月19日撮影                   

●イタリアの「美濃町線」
その姿形は武骨というか、田舎電車風の愛嬌があり、一度見たら忘れられない味わい深いものだ。ミラノの街中を走る低床車両とは対極にある。また、街中をゴロゴロと走るミラノの顔とも呼べる「ヴェントット」(Ventotto)の愛称を持つ木造単車とも違う趣がある。日本でも少し前まではのどかな雰囲気を醸し出す郊外トラムはあった。岐阜県の岐阜市と関市などを結んで走った旧名鉄美濃町線もその一つ。

写真下:E2005年に廃止された日本の郊外トラム、名鉄美濃町線も道路脇に敷かれた鄙びた線路など、リンビアーテ線と似た沿線風景を持っていた=2005年3月4日撮影

リンビアーテ線はコマジーナ駅と、ミラノの北側に位置する郊外都市リンビアーテを結ぶ延長約12キロの郊外トラム路線だ。今は孤立した郊外トラム路線だが、1999年まではミラノの街中を走るトラムのネットワークとつながっていた。

その歴史はミラノの街中を走るトラムと同じくらい古い。ミラノの街中を走るトラムの開業(1881年)に遅れることわずか1年、1882年に馬が牽く馬車トラムとしてミラノ中心部のヴァルテリーナ通り(Via Valtellina、FSガリバルディ駅近く)と、ミラノ北部郊外地区のアフォリ(Affori)を結ぶ路線として開業したのがそもそもの始まりだ。

その後、1900年に電化し、1915年にはさらに北に位置するヴァレード(Varedo)まで延伸。そして1920年に現在の終点であるリンビアーテ・オスぺダーレ(Limbiate Ospedale)まで延びた。1939年からは現在のATM(ミラノ交通会社)により運行されている。ちなみに、1999年にミラノ中心部〜アフォリ間の路線が廃止され、2011年には地下鉄M3のコマジーナまでの延伸に伴い、アフォリ〜コマジーナ間も廃止され、現在のコマジーナ〜リンビアーテ間に至っている。貧弱な設備により何度か廃止の危機に直面したが、その都度、持ちこたえてきた。現在でも1日約7000人(通勤客や学生ら)が利用しているという。

●もう一つの郊外トラム、デージオ線は2011年に廃止
少し、横道にそれるが、もう一つのミラノのインターアーバン・トラムにも触れておこう。実は少し前までこのリンビアーテ線のほか、同じミラノの北側方面でもやや東側を走る「デージオ線」(Linea Desio)という郊外トラム路線が残っていた。路線距離は約12キロとリンビアーテ線とほぼ同じ。営業系統で言うとリンビアーテ線より一つ「年長格」の「178系統」だった。
デージオ線は将来の高規格トラム路線(=車両や線路などを近代化した路線)への移行を理由に2011年9月30日をもって、いったん廃止された。路線廃止のうわさは前からあったため、私は何とか廃止前に乗りたいと思い、廃止2年前の2009年夏、家族で出かけたイタリア旅行中にこのデージオ線に乗車することができた。

●4系統と一本の線路でつながる
ミラノ中心部寄りの起終点だったのがニグァルダ(Niguarda)。ここは当時からドゥオーモより西に位置するミラノ中心部の拠点の一つ、カイローリ(Cairoli,地下鉄1号線と接続)から北上するトラム4系統の北側終点(電停名はNiguarda, Parco Nord)でもあった(現在は手前の「ニグァルダ病院=Ospedale Niguarda=止まりのトラム5系統もNiguarda, Parco Nordが起終点だった)。

写真下左:Fニグァルダに到着するデージオ線=2009年8月24日撮影  写真下右:G車止めはあるものの、街中を行くトラムと一つの線路でつながっていた=2009年8月24日撮影 

当時もデージオ線とトラム4、5系統は物理的に一本の線路でつながっていたが、デージオ線の電停近くに車止めが置かれ、実際には相互に乗り入れできない状態にあった。まだ先行きは今一つ不透明だが、ミラノの街中を走るトラムのネットワークから孤立した状態のリンビアーテ線と比べると、将来の高規格トラム路線への移行時にはミラノの街中と一本で結ばれる可能性が高い。

写真下:Hニグァルダ到着後、向きを変えて出発するデージオ行きの3両固定編背の車両
=2009年8月24日撮影  

当時撮った写真データの記録を見ると、このニグァルダから午前11時38分発のデージオ線に乗ったことが分かった。

●3両編成の中間車両が運転台のない動力車
先に紹介したリンビアーテ線と同じオレンジ色の3両編成の古い車両(車両番号537-504-538)だった。「Bloccatto」の愛称を持つこの3両編成の車両は連結器で常に固定されている。興味深いのは両端の車両は運転台はあるが、トレーラー(不随車)になっており、中間車両が運転台のない動力車になっていることだ。

写真下右:Iニグァルダから乗る年配の女性の荷物を車内に上げる車掌=2009年8月24日撮影  写真下左:J車掌が運転手の後ろにいて、電停に乗客がいないか見ている=2009年8月24日撮影

ニグァルダの電停ホームに立てかけてあった掲示板には、乗車した日(月曜日)を含めた平日のニグァルダ発デージオ行きの運行ダイヤが印されていた。それを見ると、朝の6時24分発を最初に夜の8時6分発まで最低1時間に1本、朝夕の通勤・通学時間帯には1時間に2〜3本走り、1日計25本が運行されていることが分かった。ちなみに、土曜日のダイヤは2本少ない1日23本、祝日は同15本運行されていたが、日曜日の運行は全くなく、代わりに2009年6月からバスに代替されていた。

写真下左:Kデージオ線の沿線にはケーキ屋など店舗の軒先をくぐるように走るところもあった=2009年8月24日撮影  写真下右:L終点のデージオ車庫に到着した車両。左の建物はATMの事務所=2009年8月24日撮影 

デージオ線もこの後に紹介するリンビアーテ線と同様、片側1車線の車道に沿って走る専用軌道。ほとんどは単線だが、途中、数カ所、行き違いのための交換設備がある。沿線にはバールやケーキ屋(Pasticceria)など立ち並ぶ店舗の軒先をくぐるようなところもあったが、総じて建物の少ない閑散とした風景が続いていた。終点は「デージオ車庫」(Desio Deposito)という名前の電停で、電停の目の前にはトラムの運行会社ATMの事務所もあった。

●デージオ線は近代化して復活へ
デージオ線は元々、先に触れたミラノ中心部のヴァルテリーナ通りと、ミラノの北側に位置する2つのコムーネ(自治体)、ジュウサーノ(Giussano)とカラーテ・ブリアンツ(Carate Brianza)を結ぶインターアーバン・トラムとして、それぞれ1881年と1886年に開業した。その後、第2次大戦後の1958年に北側の終点がジュウサーノ手前のセレーニョ(Seregno)になり、1982年にはカラーテ行きも廃止。1999年には先ほども紹介したようにミラノ中心部とニグァルダ間も廃止された。さらに、2011年9月末をもって、4系統の延伸によるハイスピードの「メトロトランヴィア・ノルド」化を理由に廃線になった。現在はその廃止路線を代替バスが走っている。

写真下:Mデージオ線の車内。8月の平日の昼下がりか、乗客は少なかった=2009年8月24日撮影  

ちなみに、デージオ線の改造プロジェクトによると、終点がデージオから先の、FSの鉄道駅があり、かつてインターアーバン・トラムも走っていたセレーニョまで延伸するとともに、デージオ手前のパデルノ・ドゥニャーノ(Paderno Dugnano)までは複線化する計画があるという。実際のところ、今後どう動くは分からないが、期待したくなる明るい話だ。  

●リンビアーテ線もLRT化へ
さて、リンビアーテ線の話に再び戻ろう。同線もデージオ線と同様、高速のメトロトランヴィア化(つまりはLRT=Light Rail Transit=近代化した路面電車システム)が計画されている。改造事業はかなり遅れていたが、ここにきて事業は実現に向けて動き出したようだ。

写真下左:Nリンビアーテ線の運行ダイヤ=2018年5月19日撮影    写真下右:Oコマジーナの電停でリンビアーテに向けて出発を待つ3両固定編成の車両。左奥に見えるのが地下鉄M3コマジーナ駅の地上建物=2018年5月19日撮影  

イタリアのインフラ・交通省が2018年3月に国内6都市の都市交通プロジェクトを対象に計1億9100万ユーロの補助金を交付することを発表したが、このうち、対象個別事業として最多の4000万ユーロがリンビアーテ線の改造事業に充てられるという。これに併せて、ミラノ市も1億300万ユーロの協調補助をすることで同意したと伝えられている。

現在使っている3両編成の車両は前回紹介したように、スイス・スタッド社(Stadler)製の新型低床車両に置き換えるという。ミラノのインターアーバン・トラムの中で唯一残っているリンビアーテ線も近い将来は車両だけでなく線路などシステム全体もLRT化されるわけだ。

●運行は朝、夕方の時間帯のみ
それだけに、今はリンビアーテ線の古い車両に乗車できる最後のチャンスかもしれない。 私が最初にリンビアーテ線に乗ったのは、北イタリアの調査取材に出かけた2014年11月。帰国日の朝、コマジーナとリンビアーテの間をそのまま折り返して帰るという慌ただしい散策行だった。それだけに、もう一度、ゆっくりと沿線の景色をよく見てみたいと再度乗車したのが、ボローニャに留学中の2018年5月だった。

実はそのひと月前の4月末の週末、スカラ座でオペラを観るのに合わせて、同線の乗車を試みている。地下鉄M3のコマジーナ駅の地上出口と道をはさんで向かいにあるタバッキで片道2ユーロの切符を往復分2枚購入し、勇んでリンビアーテ線の乗り場に着いたところまではよかったが、しばらく待っても電車は一向に現れない。どうしたものかと、乗り場にある運行ダイヤが表示された掲示板を見たら、その日は運行してしない日曜日に当たっていることが分かったのだ。この時、リンビアーテ線が運行しているのは、平日と土曜日のみで、それぞれ午前は6時から9時、夕方は午後5時から8時までにおよそ25分間隔で計9本しか運行していないことを知った。

そうした“学習”を経て、翌月の土曜日、朝8時過ぎに定宿のミラノ中央駅近くのホテルを発って、コマジーナ8時45分発のリンビアーテ線にやっと乗車することが出来たのだ。オレンジ色の3車体固定編成(車両番号545-507-546)の電車が乗り場に向かってくる姿を見た時は、正直ホッとした気持ちになった。

写真下:Pクロスシートになっている車内=2018年5月19日撮影  

現在、運行に使われている500形の車両(車両タイプの名称はBloccato500)は1950年代に製造され、1961〜64年に3両固定編成に改造されたという。改造されてから既に50年以上経っているわけだ。車内は街中を走るトラムと同じように、通路をはさみ2人掛けと1人掛けのクロスシートになっており、2ステップの観音開き型の扉は各車両ともそれぞれの中間部にある。

写真下左:Q車両の中央部にある観音開きの扉=2018年5月19日撮影
写真下右:R車両をつなぐ連結部=2018年5月19日撮影  
写真下:S運転手(右)と車掌。運転手は個人的にリンビアーテ線の保存運動にも関わっている=2018年5月19日撮影

●すべて単線の専用軌道
線路は、片側1車線の車道左側に敷かれた専用軌道。車道と同じ舗装軌道だったり、未舗装軌道だったりするが、数カ所に上下線の車両が行き違いできるように交換設備(複線区間)を除けばすべて単線。電停の数は全部で起終点2カ所を含め17カ所あるが、待合室の上屋がある電停は少なく、大半は運行ダイヤの掲示板が置かれた程度の簡素な造りだ。

写真下左21)未舗装の専用軌道も少なくない=2018年5月19日撮影
写真下右:22)行き違いができる交換設備も数カ所ある=2018年5月19日撮影

走行中、運転席の後ろにかぶりついて見ていると、運転台横に置かれた速度計器はほぼ30キロの目盛りを指し続けていた。興味深かったのは、デージオ線でもそうだったが、車両は運転手だけではなく車掌もいることだった。運転台に座って操縦する運転手の背中越しに立っており、乗客が乗り降りする度にドアを開けて乗客の対応をしていた。たまたま乗り合わせたお年寄りの女性が途中の電停で下車した際には彼女の荷物を代わりに持つなど手助けをしていた。

写真下左:23)運転台=2018年5月19日撮影    写真下右:24)走行中、運転台の右側に置かれていた速度計はほぼ時速30キロの目盛りを指し続けていた=2018年5月19日撮影

北側終点のリンビアーテ・オスペダーレには9時20分ごろに到着。所要時間は約35分だった。沿線の風景は予想していた通りのどかだった。沿線はデージオ線と同じ郊外住宅地でも、リンビアーテ線の方が寂れていて、これといったにぎわい拠点もなかった。ミッレ通り(Via Dei Mille)から右折し、モンテ・ビアンコ通り(Via Monte Bianco)にある終点の電停リンビアーテ・オスペダーレ周辺にはリンビアーテの市庁舎などがある程度で、停留所の名前になっている病院(Ospedale)は今はもうない。

写真下右:25)カートを持ったお年寄りの女性の下車時に介助をする車掌。もう顔なじみのようだ=2018年5月19日撮影     写真下右:26) リンビアーテ・オスぺダーレの電停近くは住宅地で、電停の名前になっている病院(オスぺダーレ)は今はもうない=2018年5月19日撮影

かつてあった病院はリンビアーテ市中心部から見て北西部に位置するモンベッロ(Mombello)地区にある当時、ヨーロッパで最も大規模な精神病院だった。最大3000人以上の患者(この中には1942年に拘留中に亡くなったムッソリーニの非嫡出子、ベニート・アルビーノもいた)を収容していたが、1978年に閉鎖されたという。ちなみに、リンビアーテ市はミラノ都市圏の北部、モンツァ・ブリンツァ県の西部に位置する人口約3万5000人の小都市である。

●電停ヴァレードは車両基地、1928年製の古参車両も保存
沿線の電停の中でも別格的な存在なのが、コマジーナから20分程度行った先、12カ所目の電停に当たるヴァレード(Varedo)だ。単なる停留所ではなく、リンビアーテ線の車庫があり、そこから車両が出たり入ったりする。ヴァレード市(Citta’di Varedo)は人口約1万3000人で、リンビアーテ市よりもさらに小さい都市だ。

写真下:27)電停のヴァレードの裏手にある車庫=2018年5月19日撮影  

車両基地には現在走っている500形の車両が3両編成という固まりになって、いくつもの編成が待機しているが、その中にあって既に運行から引退している90形という旧型車両も2両(車両番号は90、92)置かれている。1928年にレッジャーネ(Reggiane)というイタリアのメーカーが製造した古参車両だ。「Reggio Emilia」という車両名を持つ。今から10年前の2010年までは通学用に平日の朝一往復だけヴァレードと、かつての起終点だったアフォリの間をこの旧型車両がトレーラー4両を引っ張って走っていたという。

この古参車両、ミラノの街中を走る旧型車両「ヴェントット」と同じ製造年だ。日本の元号で言えば昭和3年であり、何とも歴史を感じさせる。イタリアで現存する最も古い郊外トラム車両だという。
90番の車両は外観が現在と同じ黄色だが、92番の車両はかつてのミラノのトラムのシンボルカラーである薄緑色に塗り替えられていた。ちなみに、私がデージオ線を訪れた2009年にはまだ、これら旧型車両がトレーラー4両を従えた5連の姿が見ることができたと後で分かり、惜しいことをしたと今でも悔やんでいる。

写真下左:28)現在は運行していない1928年製の90形の古参車両=2018年5月19日撮影

古参車両はもう通常運行することはないようだが、実は最近、92番車両が久々に車庫から出て、市民らの前に姿を現した。今年(2020年)、リンビアーテ市はヴァレード〜リンビアーテ間の運行開始(1920年)から100年目を迎えたのを祝う記念式典を行い、開業日だった2月2日に古参車両の「Reggio Emilia」を市庁舎近くの電停で展示したのだ。現地の新聞を読むと、地元の楽団も演奏したこの記念イベントには数多くの市民らが集まり、賑わったらしい。市長はリンビアーテ線の将来のための経済支援とともに北部に位置する鉄道駅(stazione Groane)までの延伸を求めた。

写真下:29)2020年2月1日、リンビアーテ線ヴァレード〜リンビアーテ間運行100年を祝った=IL GIORNO紙から転載

話を車両基地に戻そう。敷地入り口には運転手らの詰め所になっている2階建て建物があるが、目を引いたのは、その向かいに設けられた花壇のような一角にマリア様の小さな立像が置かれていたことだった。運行の安全祈願のためにあるのだろうか。マリア様とトラムという組み合わせが何とも微笑ましかった。

写真下左:30)車両基地の敷地入り口にある運転手らの詰め所になっている2階建て建物=2018年5月19日撮影   写真下右:31)運行の安全祈願のためか、敷地内の一角にはマリア様の小さな立像も=2018年5月19日撮影   

最後にリンビアーテ線に乗る時に注意したいのは、朝9時台にコマジーナを出発する2本はヴァレード止まりになり、終点のリンビアーテには行かないという点だ。せっかく、同線を訪れるのならば、遅くとも8時台の電車に乗ることをお勧めしたい。

写真下左:32)リンビアーテ線は朝と夕方しか走っておらず、代わりに165系の代行バスが運行している=2018年5月19日撮影   写真下右:33)コマジーナの電停から南側には車止めが置かれ、線路もそこで切られていた=2018年5月19日撮影  

私が乗ったリンビアーテ発の折り返しの電車は9時台の出発でヴァレード止まりだった。ただ、幸い、結果的にヴァレードの車庫をよく見ることができたのは有難かった。仲良くなった運転手の案内でしばらく古参車両を含め車庫内を見学した後、電停からコマジーナ駅行きの代行バス(165系統)に乗り、リンビアーテ線をめぐる小さな旅を終えた。

<コラム ミラノなどの線路幅は世界標準より10ミリ長い>

イタリアのトラムの線路も車両と同様、個性的だ。注意して見ても分かりにくいが、ミラノなどいくつかの都市を走るトラムの線路幅(ゲージ)は国際標準よりも若干長いのだ。

トラムに限らず、鉄道の世界では国際標準としての線路幅は1435ミリ。ドイツやフランスなどヨーロッパの主要国ではトラムでも1435ミリの線路幅がいわば主流だ。
これに対し、日本の鉄道の多くは明治期における英国人技師の指導の下、後進国という理由もあり当初から1067ミリなど狭軌で出発し、現在に至っており、トラムも広島や長崎など一部を除くと狭軌が多い。都電は昔から1372ミリで、今も唯一残る荒川線の線路幅もそのままだ。ちなみに、新幹線の線路幅は国際標準の1435ミリだ。線路幅は長い方がその分安定し、スピードも出やすいからだ。

写真下:34)ミラノのトラムの線路幅は世界標準よりも10ミリ長い。北側起終点グレコ・ロヴェレートの電停で発車を待つ1系統のトラム=2014年11月2日撮影   

一方、イタリアの鉄道のゲージは古くは国際標準よりもわずか10ミリ長い1445ミリだった。というのは、1879年制定の法律により、法定の線路幅は広軌の1500ミリもしくは狭軌の1000ミリ(いわゆるメーターゲージ)のいずれかと決められていたことがそもそもの始まりだったからだ。鉄道の線路幅は国際的には各レールのエッジ内側から測定するやり方が一般的だが、当時のイタリアでは左右2本の各レールの中央部から測ると決められていたのだ。つまり、1500ミリの線路幅は国際的には1445ミリ、1000ミリは950ミリに相当する。

イタリアでも1930年代以降、線路幅を国際的な測定方法に基づく1435ミリに改軌する動きが広がり、現在では鉄道線路の7割近くは1435ミリに変わったが、ミラノやトリノ、ローマのトラムの線路幅は今も1445ミリのままだ。
ミラノのトラムの線路幅を路面にしゃがみこんで見れば、確かに新幹線の線路幅よりも少し広く感じられるはずだ。今度、ミラノを訪れる機会があり、時間に余裕があったら、トラムの線路幅を覗き込むのも一興かもしれない。  



著者プロフィール
市川 嘉一 Kaichi ICHIKAWA

1960年生まれ。都市・地域問題、とりわけ都市・地域交通を専門にするジャーナリスト。国内外の数多くの都市の現場を取材してきた。長年、記者として勤めてきた日本経済新聞社を2018年6月に退社。現在はまちづくり系の研究所に勤務。オペラ鑑賞が好きなこともあり、イタリアにはほぼ毎年訪問。18年3月から3カ月間、ボローニャを中心にイタリアに滞在した。近年、復活・再生の動きが目立つイタリアのトラムに関心を持ち、本連載でイタリアのまちの風景と絡めて全運行都市を紹介するのが当面の目標。博士(学術)。『交通まちづくりの時代―魅力的な公共交通創造と都市再生戦略』(単著)など著書・論文多数。 


イタリア・トラム探索の旅 データ  
 

●ミラノのインターアーバントラム (著者作成)




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