第 53回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展が6月7日にオープンしたヴェネツィアでは、これから11月まで現代アートの催しが目白押し。ビエンナーレ本会場のジャルディーニ、アルセナーレのほかに、町中のスペースを借りてナショナル・パヴィリオンとする国が32もあり、ビエンナーレ関連企画が44、その他の展覧会などを加えると、なんと120を越えるイベントが町のあちらこちらで行われている。目眩のしそうな数だが、気になる会場に足を運んでみた。
写真トップ:@ トマス・サラチェーノ作の「ギャラクシー」
写真左・中:A ナタリー・ユールベリ "Experimentet"、右:B ハンス・ペーター・フェルドマン作「影絵芝居」
●「世界を構築する」がメイン・テーマ
まず、ビエンナーレ美術展のジャルディーニ会場へ。今年のメイン・テーマは "Fare Mondi // Making Words"(世界を構築する)。各国アーティストを集めた「展示館」(Palazzo delle Esposizioni)の正面入り口は、オノ・ヨーコ氏とともに生涯業績部門の金獅子賞を受賞したジョン・バルデッサリ氏の手で、南国のビーチのように様変わりしていた。内部では1960年代から今日までの作品がさまざまな世界をつくり出している。入り口近くでアルゼンチン出身のトマス・サラチェーノ作の「ギャラクシー」に出会う。弾力性のあるロープが広い部屋中を蜘蛛の巣のように絡めとり、いくつもの小宇宙が誕生していた。こんなダイナミックな展示もあれば、紙にぽつんぽつんとタイプ打ちされたオノ・ヨーコ氏の「インストラクション・ピース」は、小さな廊下の白壁に静かに並んで、ひっそり私たちに語りかける。「あなた方の影を合わせてひとつにしなさい」などと。そのような対話の静謐をしばし味わい、いくつかの部屋を通りすぎ、ビデオ用の暗闇に降りていくと、どこか淫靡な花々が林立するナタリー・ユールベリの不思議な世界に迷い込む("Experimentet")。太古から響いてくるようなくぐもったリズムにのって展開する泥人形のアニメーションとあたりを取り囲む巨大花の花園は、ひたすら妖しい。こちらはあまりお子様向きではなかったが、子供たちが(そして私たち大人も)つい「わあ」と声をあげて見入ってしまうのが、ハンス・ペーター・フェルドマンの「影絵芝居」。日常見かけるモノモノがライトを受けてくるくる回り、なんとも楽しく美しい影を投げかけるのだが、このモノたち、よくよく見ると、人形のほかにバナナ、包丁、泡立て器、ピストルまでが回っている。実体のほうはやや怪しげだったりするのに、それが影になるとなんと美しくなるものか……。
国別パヴィリオンでは、金獅子賞を受賞したブルース・ナウマンのアメリカ館のほか、デンマーク館と北欧館が共同で行った「ザ・コレクターズ」展が人気だった。二つのパヴィリオンが共同企画を行うのはビエンナーレ史上初とのこと。デンマーク館は売りに出された不動産という設定で、美術品も汚れたお皿もそのままの、蒸発した一家の家の中を私たちは見学する。お隣の北欧館は謎の独身アート・コレクター、B氏の家。住人の私物がさりげなく散らばる中を歩いていると、のぞき見をしているような気持ちになる。
写真左:C 大平洋一 "Cristallo sommerso"、右:D 三嶋りつ江 "SPIN"
●27年ぶりの「ガラス展」に二人の日本人作家が参加
ところで、今回は27年ぶりでビエンナーレ内でガラス展が行われている。ジャルディーノの奥の運河を越えたところにあるヴェネツィア館は、もともとガラス展に使われており、ガラス作家にとってはだいじな到達点だったそうだが、1972年以来途絶えていた。今回の復活にあたり選ばれた9人の作家には、唯一このガラス展に参加した経歴のあるリーノ・タリアピエトラ氏やアメリカのデイル・チフーリ氏らのほか、二人の日本人作家がいる。70年代からヴェネツィアに在住し作家活動を行っている大平洋一氏は、長年追求してきた色鮮やかなムリーネガラスを駆使した作品に加え、息を呑むような造形美の透明のガラスを展示している。一方、1996年からヴェネツィアで制作を続ける三嶋りつ江氏は、自然の中から湧き出てきたようなフォルムを透明なガラスで表現。出品者のほとんどがガラスによるオブジェを展示しているなか、二人の日本人の「器」の伝統へのこだわりが印象的だった。
写真左:E ヤン・ファーブル「おなか」、右:F AES+S "The Feast of Trimalchio"
●アルセナーレ会場には「イタリア館」初登場
さて、アルセナーレ会場に行くと、まず、昔は長い長い綱をより合わせる作業に使われていた、ひたすら細長い建物「コルデリア」に入る。暗闇に細い金色の線が光る、ブラジルのリジア・パペの "Tte'ia" という作品に始まり、興味深い作品が多々ある中で、スペインの二人のアーティストBestue' / Vivesのビデオがおもしろかった。アート展には珍しく爆笑が聞こえるので見てみたら、バルセロナのアパートで繰り広げられる、崇高にしてばかばかしい行動の数々。時間があったらゆっくり見て笑ってください。
アルセナーレにはまた、これまで自国パヴィリオンをもたなかったイタリアの1800平方メートルもの「イタリア館」が誕生している。今年は未来派宣言百年にあたるため、未来派を起した詩人、「F.T.マリネッティへのオマージュ」と題して20人のアーティストの展覧会を行っている。
このアルセナーレ会場のドックの対岸には、目の前なのに足ではたどり着けない展覧会場がある。30分に一本、シャトル・ボートで渡れるが、これは外からも無料でアクセスできる関連企画展(ヴァポレット42番のBacini乗り場から)。うっかりすると見過ごしそうだが、見応えたっぷりなのでぜひお勧めする。特に右端のベルギーのヤン・ファーブルの "From the Feet to Brain" 展と左端の "Unconditional Love" 展。ファーブルの度肝を抜く巨大なインスターレーションの中でも、玉虫色に輝く天井が床に落っこちているという作品には心底びっくりした。すべて玉虫の羽。昔、修学旅行で行った奈良で初めて玉虫厨子を見たときの失望を、一気に取り戻した気分だ。ちなみに演劇・詩作など多方面で活躍するファーブル氏は、あの『昆虫記』のファーブルの曾孫なのだそうだ。"Unconditional Love"は17人のアーティストの作品を集めているが、圧巻は、『サテュリコン』中の「トリマルキオの饗宴」の現代版と言える360度の大迫力ビデオ、"The Feast of Trimalchio"。二年前の前回、ロシア館でビデオ・アート "Last Riot" を展示して大評判になったロシアのアート・グループ AES+Fの新作だ。
写真左:G リトアニア館 Zilvinas Kempinas 作 "Tube"、右:H オノ・ヨーコ "Touch Me"
●町の中もで競い会う各国パビリオン
今度は町の中にくり出そう。国参加の中では、館の一階をアトリエとして、ときにはギターをつま弾き、ビールの空き瓶を増やしながら、これから約6か月モデルの絵を描き続けていくアイスランド館のRagnar Kjartanssonのパフィーマンス"The End"に興味を引かれた(Palazzo Michiel del Brusa'ビエンナーレ地図ではISと記されている)。その二階のレトロな映画館の再現や映像を展示したシンガポール館もおもしろい(地図のSGP)。不思議な感覚を味わえるのはリトアニア館(Scuola Grande della Misericordia 地図のLT)。Zilvinas Kempinasという作家の "Tube" はビデオテープを素材にしてつくった長いトンネルで、フルフルと風に揺れるトンネルの中を白い光に向かって歩いていくのは、言葉にしがたい体験だった。ぜひ試してほしい。
そのほかの企画では、サン・マルコ教会のすぐ裏にあるサンタポッローニア回廊の「聖女アポロニアの歯」という小さな展覧会もいい。観光客で賑わう周辺の喧噪がうそのような、静寂の空間。3世紀のアレキサンドリアのアポロニアは歯を引き抜かれて殉教した聖女で、歯の守護聖人とされている。ここではイタリアの作家オマール・ガッリアーニの聖女の歯をテーマにした絵と、アンディ・ウォーホールが1984年に制作して今回初公開される「聖女アポロニア」8点を見ることができる(Chiostro di Sant'Apollonia 無料、無休、8月15日まで)。ドルソドゥーロ地区サン・バルナバ広場の近くでは、オノ・ヨーコ氏の"Anton's Memory"展が開かれている(Galleria Bevilacqua La Masa, Palazzetto Tito 入場3ユーロ、月火休み、9月20日まで)。母の記憶の断片をさまざまな形で思い起すというもので、大理石の女性の体の部位に触れるようにいざなう"Touch Me"、観客がメッセージを残していく"My Mommy Is Beautiful"などのデリケートな作品のほか、観客に衣服を切られていく有名な「カット・ピース」の1965年と2003年のパフォーマンスがビデオで見られる。
趣向の変わった企画としては、ピーター・グリーナウェイの「カナの婚宴」がある。現在ルーヴル美術館に所蔵されるパオロ・ヴェロネーゼの「カナの婚宴」は、もともとサン・ジョルジョ島の修道院にあったものだが、二年前、その現物大の複製がつくられ、元の場所におさめられて話題になった。グリーナウェイは、キリストを中心として126もの人物が描き込まれたこの絵画の細部に次々と焦点をあてながら、陽気な婚礼のざわめきを再現している(Isola di San Giorgio 入場10ユーロ、無休、毎時間0分にヴェネツィア方言版上映開始、続いて20分に英語版開始、9月13日まで)。
写真左:I プンタ・デッラ・ドガーナ チャールズ・レイの彫刻、「カエルをもった少年」が立つ
右:J エミリオ・ヴェドヴァ美術館にて
●注目を集める安藤忠雄の手掛けた新美術館
その他、各美術館でもこの期間は特別展を併設しているが、例年にも増してこの夏のヴェネツィアをいっそう現代アート色で華やかにしたのは、大運河の入り口部分にあたるプンタ・デッラ・ドガーナ(税関岬)の新美術館のオープンだった。長らくなおざりにされていた「海の税関」の建物(17世紀)を修復し、現代アートの一拠点にしたいという市の意向で、パラッツォ・グラッシをフィアットのアニェッリ財団から買い取ったフランソワ・ピノー財団の、ヴェネツィアにおける二つ目の美術館がスタートした。修復・内装を手がけたのはパラッツォ・グラッシと同じく安藤忠雄氏。力強いレンガ壁とコンクリートにピノー・コレクションがゆったり並ぶ贅沢なスペースで、窓からの眺めも素晴らしい(20ユーロで両方を見学できる。一方だけは15ユーロ。火曜休み)。ここまで来たら、近くにある「塩の倉庫」も訪れたい。ヴェネツィアの画家エミリオ・ヴェドヴァがアトリエとして使っていた場をヴェドヴァ財団の美術館にしたもので、こちらはレンツォ・ピアーノ氏の手によって刷新された。イタリアのアクション・ペインティングの巨匠の動力や緊張感が建築空間になだれ込むようなプロジェクトを----と生まれたのが、作品が観客のほうへと動いてくるというダイナミックな展示システム。レンガの高い壁にはさまれた、天井が非常に高くて細長い空間も、磁場のようなエネルギーを感じさせる。そこで対面するヴェドヴァの大きな作品も強烈な力を放っている(今のところ入場無料が続いている。寄付金歓迎。月火休み)。
なんだか激しい、種々の刺激のあるものをたくさん見てしまった。最後は静かに美しく締めくくりたい。パラッツォ・フォルトゥーニの "In-finitum" 展。スペイン出身の画家・舞台美術家のマリアーノ・フォルトゥーニが住処とした館のなかで、ルーチョ・フォンターナ、宮島達男、マーク・ロスコ、室町時代の信楽焼などとの出会いを通して、得難い「無限」のささやきの中に身を沈めることができる(入場9ユーロ、火休み、11月15日まで)。