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特集・私の自由旅行 〜個人旅行のノウハウ教えます〜
 
15 maggio 2006



マルケ州ピオッビコのアグリツーリズモ
"カンディアナッチョ"滞在記
〜のどかな田舎町で、ゆったりと〜


Soggiorno al Candianaccio a Piobbico

         

投稿者:Yoshio Antonio



◆昨年実施しましたJITRAプレゼント「マルケ州ピオッビコのアグリツーリズモ・カンディアナッチョ(http://www.japanitalytravel.com/guide/hotel/candianaccio/top.html) ご宿泊」に当選された"Yoshio Antonio"さんが、実際にご家族で滞在された様子をJITRAに寄稿してくださいました。

◆旅程:2005年9月22日(木)〜26日(日)

1日目
今回の旅の目的地は人口わずか2,000人の山間の町ピオッビコ Piobbico。嫁と8歳の娘と5歳の息子の4人で4泊5日の滞在。
車でしか行けないということなので、近隣の比較的大きな都市のひとつリミニRiminiでレンタカーを借りました。何分、初めての左ハンドル、初めての海外運転、初めてのマルケMarche州と、初めてづくめでしたが、リミニのダウンタウンさえクリアしてしまえば、比較的楽でした。初めての高速道路アウトストラーダautostradaは、120kmで走っていても、ガンガン追い抜かれるので少々ビビリましたが。

滞在するカンディアナッチョCandianaccioは、ピオッビコの市長さん一家所有のアグリツーリズモ。先方から「リミニを出る時に連絡をくれ」と言われていましたので、早速電話。すると案内役の方が電話に出て、非常に明快なイタリア語で「では1時間強ぐらいで着くね!道順は・・・・・」とひとつひとつ丁寧に教えてくれました。

しかしながら実際は、道案内で教えてもらったアウトストラーダの出口が非常に判りにくい。道路に何号線かの明記がない、など結構迷いました。途中のアウトグリルautogrillに車を止めて、休憩がてらのエスプレッソを飲みながら、スコーパscopaで遊んでいるトラックの運転手たちに道を尋ねてみると、人によって言う事が違う(^_^;) もっとも多くの人が示した道を選ぶ事にしたら、それらしいルートに出ました。するとピオッビコサイドから携帯に電話が。「今どこにいるの?え?まだそんなところなんだ・・・じゃあ、ついたら電話ちょうだい」 どうやらお使いの方が、町のチェントロでお出迎えに待っててくれていたらしい。

いや〜、初めてなんだからさ、そんな時間通りには着かないよ〜 と思いつつ、残る道程を進めていくと、目印の大岩が見えてきました。恐ろしいぐらいの大きさの大岩で、ここはイタリアなのに、なんだか孫悟空が生まれた中国の山のように感じました。

その大岩を過ぎてしばらくいくと、小さな町が見えてきました。どうやらここが目的地ピオッビコのようです。待ち合わせ場所に指定されたの並木道沿いの駐車場に車を止め、市長さんサイドに電話。「やっと今着きました!例の駐車場に居ます」と伝えると。「じゃあちょっと待っててね。直ぐに行くから」とのこと。
しばらく町の様子を眺めていました。本当に小さな町で、わずか200mほどの通りが町のチェントロのようです。すぐ脇にきれいな小川が流れていて、小さな山を頂く丘陵に抱かれた閑静な人口2,000人の町。自然と親しむ目的のアグリツーリズモ型の滞在には最適な環境ではありませんか!
やがて1台のFIATが駐車場に入ってきました。ドアを開けて出てきたのはまだ青年に見える金髪の紳士。「ようこそピオッビコへ!ジョルジョです」

「???え??? ジョルジョって・・・モーキ市長さん?」

「そう、僕がジョルジョ・モーキGiorgio Mochiだよ」

びっくりしました。市長だと聞いていたから、初老の紳士だと思っていたし、市長自らお迎えに来て貰えるなんて思っていなかった。それにどうやら、今まで電話で道案内をしてくれていた"使いの者"だと思っていた人物は、モーキ市長ご自身だったのです。

「それじゃあ、さっそく宿へご案内しよう。車で着いてきて」
とのことで、カンディアナッチョ・レジデンツァ・アグリトゥリスティカCandianaccio Residenza Agriturticaへ向かいました。
町のチェントロから車で5分ほど、山側に登っていった田園の中に、ポツンと立った建物でした。建物の前には、初老の女性が立って待っていました。

「僕のマンマのマリアMariaだよ」
マンマに僕たちをバトンタッチして、多忙な市長さんは執務へと帰っていきました。

マンマ・マリアが建物の施設を一通り案内してくれました。
2階建ての建物で、玄関が2つ。この2つは部屋の中から行き来ができないような作りだったので、ひとつの建物をまったく別の2グループに使って貰えるような作りなんですね。

そして僕らに貸してくれる方の玄関を入ると、1階に暖炉がある広いサロットsalotto。そしてその奥の庭側にダイニングキッチン。ダイニングキッチンの奥には2つダブルサイズの客室が。2階にもダブルサイズの2部屋。つまりこの建物の半分だけで、4部屋=8人が泊まれる仕様になっていました。それぞれの部屋にシャワー室とトイレを完備。キッチンとサロットは共有して使う、というスタイルでした。8人のグループで貸し切って使うも良し、それぞれの部屋が別々の客だけど、ユースホステル風に共同生活を楽しめるのではないかな、と思える作りでした。
庭には、夏なら大いに楽しめるであろうプールがあり、納屋のような建物の中には、卓球ができるようになっていました。また数百m離れた隣に、また別のアグリツーリズモが立っていました。

一通り説明し終えたマンマ・マリアは、「良かったらウチでお茶しない?」と誘ってくれたので、遠慮なくお呼ばれする事にしました。

再び車に乗って、マリアの車の後をついていくと、来た道の途中にマンマ・マリアのお家がありました。お城を小さくしたような石造りのお家。きっとこのあたりの地主だったに一家なんでしょう。

広いサロットに隣接したキッチンに招かれ、大人にはエスプレッソ。子供たちにはホットミルクを入れてくれ、自家製パンと自家製のジャムを勧めてくれました。美味しい!! 子供たちは、お代わりまで貰ってしまいました。やがてマリアのだんな様ピエロPieroが帰って来ました。そしてジョルジョの姉や弟が代わる代わる現れては、挨拶を交わしました。

僕の上の娘が小学校2年生なのですが、このお姉さんの子供マリア・エレナMaria Elenaも2年生だと言う事が判明し、だったら授業参観していかない?なんて話になりました。何でもその小学校の先生が、モーキ家の親戚のようで、「学校側に交渉しておくから、明日なんてどうかしら?」ということになりました。これは貴重な体験になりますねぇ。

9月下旬の高原地帯ということもあり、夜になるとかなり冷え込んで来ました。壁にはオイルヒーターが埋め込まれているものの、壁の調節器や本体のスイッチらしきものをいくらいじっても温まらない。これはおそらく大もとのスイッチが切られたままになっているのだろう。仕方が無いので、暖炉をつかうことにしました。納屋に詰まれた薪をいくらかサロットに運び入れ、火を起こします。

こういう暖炉の現物を見たことがなく、サンタクロースや童話のお話しの中やメリーポピンズの映画の中でしか聞いたことのない子供たちにとっては、興味津々。太い薪に火を着けるために行う手順など、子供たちにとって、とても有意義な体験になったようです。

一旦暖炉に火がつくと部屋中が温まり、部屋の温度だけでなく、暖炉を囲んで肩を寄せ合って座る、というそのスタイル、とてもよい家族の温度感となり、これもまた良い体験になりました。ちなみに翌日からはオイルヒーターの大元のスイッチを入れてもらい、暖炉無しでも暖かく過ごせました。

翌日は小学校へ行くかも知れないので、娘はイタリア語で自己紹介をしたい、と一夜漬けのイタリア語特訓を希望したので、いくつか文章を考えて教えたところ、ひたすら暗記していました。下の5歳の折り紙好き息子は、折り紙を手土産に持って行くんだと、いくつも折っています。

そうして最初の夜の床に着きました。大きくてふっくらしたベッドだったことと、翌日がこの旅では初めての移動の無い日だったこともあり、ぐっすりと眠れました。
2日目
2日目の朝、朝食を食べているとモーキ市長から電話が。
「隣町のウルバニアUrbaniaへ行くんだけど、道案内を兼ねて一緒に行かないかい?」とのこと。「マンマ・マリアが小学校に連れてってくれるって話は大丈夫なの?」って聞き返したところ、「ウルバニアから戻ってからでも間に合うよ」というので、同行する事に。

まもなくモーキ市長と連れの男性が1台のFIATに乗ってお迎えに来ました。後をついておいでというので、ついていこうとするのだけれど、曲がりくねった峠道なのに、すんごいスピードでぶっ飛ばして行く彼ら。市長ともあろう者が、峠レーサーなんだから・・・困ったものです(苦笑)。それにさ、外国人の道に慣れないドライバーで子供を載せた車を先導しているのだから、少しは後ろを気にして欲しい・・・どんどん間が空いて、必至に追いすがっていかないと、見失いそうなほど先行して行く彼ら。

なんとかウルバニアに着いて、現地集合の女性と合流し、しばしカフェタイム。「死者の協会」とか、見所がある町だよ、と教えてもらい、彼らは仕事へ出かけ、僕らは町の散策へ。

ウルバニアはピオッビコよりも大きな町だけれど、それでも人口は6,000人ほど。そんな町にもBenetonショップがあったので、子供服を調達。日本では見かけないデザインの洒落たデザインの服を店員さんにチョイスしてもらいました。

するとマンマ・マリアから電話が。
「今どこに居るの?」
「まだウルバニアだけど、小学校はいつ行けるの?」
「学校からOKが出たから、帰って来て!」
とのことなので、観光はせず、慌ててトンボ帰り。早速、小学校へ連れて行ってもらいました。

どうやら、この人口2,000人のピオッビコで初めての日本人観光客なので、異文化との交流に、小学校側も大いに期待を寄せていたようです。
娘は用意していたイタリア語の挨拶を終えると、黒板に日本語で自分の名前を書きました。
すると、いろんな子が寄ってきて、銘々に見慣れぬその文字を真似して書き始めます。
中には上手にコピーしている子も居て、非常に柔軟な子供の才能を感じました。

折り紙のお土産を渡し、子供たちに折り紙についてを簡単に僕から説明しました。
記念写真を一緒に取ったりもできました。

その日の夜は、チェントロにあるカンディアナッチョの契約トラットリア・ブルキオBurchio http://www.burchio.it/ に行きました。ここでも入るなり、「あ、モーキさんのとこのゲストですね!」と話が通過です。厨房はトラットリアのマンマが仕切っていて、その息子シモーネSimoneとその彼女がホール担当です。
イタリア人でも違う町のメニューは見ても判らない、という話を聞いているので、あまりメニューは見ず、子供たちに向いているお奨め料理などをシモーネから聞きながら、決定。最初に子供たちにと、家庭風スープが出てきました。これ、やや田舎くささが粋な、芋ベースの美味しいズッパzuppaでした。この辺りは酪農が盛んなので、肉や乳製品を使ったパスタや料理はお任せにしたら、とても美味しい料理ばかりで大満足でした。
3日目
3日目の土曜日は近くのウルビーノUrbinoの町まで遠出をしました。丘陵地帯の緩やかな峠超えの道をたどって行くのですが、天気も良かったし暖かかったので、ルノー・メガーヌ・カブリオの電動ガラスルーフを思いっきりオープンにして走りました。子供たちにも「わ〜、チキチキバンバンみたいだ〜!」と大興奮。とても良い小1時間ほどのドライブコースになりました。
また町全体が世界遺産に指定されているウルビーノの町に漂うルネッサンスの香りを思いっきり味わってきました。この町にタムロしている若者たちも、大都会の若者たちとは異なり、とても純粋な目をした穏やかな顔つきでとても好感が持てました。
夜はキッチンで何か作ろうかということになり、町の食料品店で、パスタやチーズ、生ハム、パンチェッタ、パン、飲み物、お菓子類を購入。とても感じの良い働き者の若女将で、生ハムやパンチェッタの種類の違いや、相性のいいチーズの種類やレシピを教えてもらいました。物価高のイタリアとはいえ、こうした庶民の必需を賄う食料品店は、非常にリーズナブルでした。早速、キッチンでミネストローネやパスタを作ったところ、パンチェッタや生ハム、チーズが滅茶苦茶うまい!その基本的な味だけで料理を堪能できました。
4日目
4日目の日曜日。これがもう最後の日になるので、今日はピオッビコを中心に。
ピオッビコのシンボルとも言えるブランカレオーニBrancaleoni城の見学へ。ルネサンス以前から1000年も続いた城とのことで、小さいながらも威厳がありました。
いわゆる山城の作りですが、登って行く石畳の小道が、とても良い雰囲気です。場内はピオッビコの博物館にもなっていましたが、スゴイのが当時の王族の衣装がマネキンに着せられて展示されている事。挿絵やマンガに出てくるような、あのヨーロッパ貴族の衣装。その背中側まで回り込んで手の届くような近さで見ることが出来るのです。

しばらく感心して見ていると、イタリア人の団体さんが館内を廻っているのに遭遇しました。ふと見ると、モーキ市長がアテンドしているではありませんか!どうやらピオッビコを広めるお仕事の一環のようでした。彼もこちらに気が付くと、ガイドさんの説明、一緒に聴いて見てよ!と彼らと合流して鑑賞を続けました。

最後にモーキ市長は、
「明朝、君たちは出発するの? だったら、僕は時間が無いから、今日のこの出会いが最後になるだろう」というので、記念写真を撮りました。「館内撮影禁止」と書いてあったのに(苦笑)。

市長と別れ、その日の昼は、再びトラットリア・ブルキオへ。すっかり仲良くなったシモーネと子供たちも記念撮影をして別れました。
5日目
ゆったり出来たこの4泊5日もあっという間に過ぎ、もう出発の朝がやってきました。見送りに来てくれた、マリアとピエロ夫妻と一緒にカンディアナッチョの前で記念撮影。再会を約束してお別れしました。

ピオッビコの町を離れる前に、再び食料品店を訪れ、美味しかった生ハム、パンチェッタ、チーズを買い込み、この穏やかな町を後にしました。

本当に取るに足らないぐらいの小さな町ですが、そこにあるのは、町ぐるみで暖かく歓迎してくれるホスピタリティのような精神。そしてその大自然にはぐくまれた豊かな風景。本当は1ヶ月ぐらい滞在したいところですね。

日本人観光客にとっては、おなじみのどの都市からも遠く、レンタカーを使わなければならず、イタリア語ができないとちょっと辛い、というところがハードル高いですが、観光客スレしていない田舎で、イタリアのスローライフを満喫するには、最適な町だと思います。


◆データ
ピオッビコ市のサイト:http://www.provincia.ps.it/comune.piobbico/ ピオッビコまでのアクセス:高速道路A14をファーノFano出口で降り、ローマ方面へ。アックアラーニャAcqualagnaで県道SP257へ入ると、ピオッビコまで15キロ。

宿泊先
カンディアナッチョ アグリツーリズモ・レジデンス
Candianaccio Residenza Agrituristica
Address: Via San Vicenzo in Candigliano, 6 - 61049 Urbania(PS)
Tel: +39 0722 986246   Fax: +39 0722 981196 http://www.japanitalytravel.com/guide/hotel/candianaccio/top.html



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