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イタリアワインVino探検記
22 Luglio 2002

第4回 Ribolla Gialla 〜国境を越えて〜


 



中川原 まゆみ



イタリアワインといえば、すぐにバローロやキャンティの赤ワインを思い浮かべてしまうが、素晴らしい白ワインもたくさんある。特にフリウリ Friuli には熟成に耐えられる力強いワインや個性豊かなワインが揃っている。私の働いているリストランテでもフリウリの89年、92年などをサービスしているが、熟成香があり、複雑性に富み、まろやかなボディで、私もついついお客さんにすすめてしまうのだが、多くのイタリア人は若いワインが好きなので、なかなかわかってもらえない。

すばらしい白ワインが他にもあるに違いないと思い、フリウリに向かった。フリウリのワイン畑は北東部イタリアのカルソ平原 Carso に広がり、スロヴェニアとの国境まで続く。日本で有名なフリウリのワインは、穏やかな酸味の "ピノ グリージオ Pinot Grigio" とミネラル豊富で硬めの "トカイ フリウラーノ Tocai Friulano" だと思う。実はトカイ フリウラーノは、『トカイ』という名称のワインが他にも"トケイ ダルザス" とハンガリーの甘口ワイン "トカイ"にあるため、この先5年の間に名前を変えなければならない。"トカイ フリウラーノ"の生産者は定期的に集まって思案中なのだそうだ。今のところ"ビアンコ フリウラーノ Bianco Friulano" が有力だそうだが、『よくないよ!イメージがぼやける』と言ったら、『何がいいか、考えてくれ』と言われてしまった。

とりあえず、カンティーナが集まっている小さな町、Cormons(コルモンス)に行き、地元のワインを探すことにした。コルモンスに向かって走っていると、道が複雑に曲がっており、ワイン畑の景色が中心街まで続く。後で聞いた話によると、ここの土壌は小石、粘土質、石灰質、赤土など、いろいろなタイプが小さな区画であって、道を作る前にまずは土を掘り起こし、土壌を確かめ、どの品種に合うか決めてから最後に道を作るのでこのようになっている、と言うことだ。私はいつも道に迷ってほとほといやになったが、改めてワイン中心の街だと確認した。

見つけたエノテカはかなり多くのワインがグラスで飲める店で、私は知らないワインをできるだけ多く試飲したかったので、『量は少しでいいので、これ全部、少しずつ下さい』とお願いし、12種類ほど飲んだ。その中には"ヴィトフスカ vitovska"という本でしか知らない品種もあった。とにかく、たくさんのエノテカを訪ねなければと思い、珍しく食事は簡単に済ませ、スケジュールをたてた。今回の目的の一つに、最新のテクノロジーを導入するカンティーナが増えているにもかかわらず、5000年前と同じ造り方に戻した、かなり頑固で偏屈ものの造り手を訪ねたかった。地元の人に聞いても『会うのはむずかしいよ』と言われたが、とにかく電話をかけて私の熱意を伝えた。ら、案外あっさりと承諾してくれたのでホットした。

彼のカンティーナはコルモンスからGorizia(ゴリツィア) を抜け、イゾンゾ川を渡り、国境に近い丘の上にあるが、表札も看板の無いため、近所の家々に尋ねながら彼のカンティーナを探しあてた。背はスラリと高く、短髪で眼光はするどいが柔和な印象の人だった。挨拶もそこそこに彼は早口でしゃべり始めた。1996年ビンテージ以前の作り方は間違っていたことを父親に気付かされ、彼いわく"Metodo Antico(古い造り方)"ではなく"Metodo Naturare(自然な造り方)" に変えた。つまり、醗酵のための触媒も使わず、自然のバクテリアにまかせ、ステンレスタンクも使わず、"アンフォラ"と呼ばれるコーカサスの土で作ったカメに入れ、地面に埋め込み、温度管理もせず発酵させ、もちろんフィルターもかけない。なんと、時代に逆行しているんだろう、いや?先行しているんだろう!一緒にカメの中の醗酵途中のワインの試飲をしながら、2度の戦争によって受けた影響や時代背景なども説明してくれた。彼も造っていて、こだわっているリボッラ・ジャッラ Ribolla Gialla はこの土地の土着品種で、1937年から栽培されていたが、時代の流れで収穫量はかなり減少したが、最近は彼の功績もあり、回復しつつある。色は黄色で斑点があり、小粒、香は柑橘系でしっかりとした酸味があり、若飲みタイプ。彼の造っているリボッラ・ジャッラはスキンコンタクト(皮に付け込んでいる時間)がかなり長いためもあり(1998年ビンテージで8日間、2001年ビンテージで60日間)、タンニンも多く、ボディもあり、余韻もかなり長い。白ワインとは思えない! 5000年前の人達はこんなワインを飲んでいたんだな〜。

彼の畑からはスロヴェニアが見え、住まいもスロヴェニア、最近、畑もスロヴェニアに買ってリボッラ・ジャッラを植えた。スロヴェニア各地でも栽培されており、"レブラ Re'bula"と呼ばれている。日本は海に囲まれているため、国境の感覚はよくわからないのだが、スロヴェニアに入国するにはA.B.Cと3種の許可証を要し、Aは一般的でパスポートが必要、Bは国境近くに住んでいる住人が持っていて自由に行き来でき、Cは土地や畑の不動産を買う事ができるので、彼はCの許可証になるらしい。彼は今は赤ワインも造っているが、将来はリボッラ・ジャッラだけを造りたいと言っているほど、リボッラ・ジャッラに対する想い、土地に対する執着が強く、いや"血"が濃い。

私は彼からもらったリボッラ・ジャッラをトッラトリアに持ち込み、アドリア海で採れた"ズッパ・ディ・マーレ Zuppa di mare(魚介類の煮込み)"を食べ、次に、ボディもあるので、いろいろなチーズと合わせてみた。例えばゴルゴンゾ−ラのドルチェタイプと相性がいいな〜と思いながら、フリウリのぶどう栽培の環境は"La Ponca(ラ ポンカ)"と呼ばれる土壌で泥灰土とカルシウムを含む砂地で柔らかい層になっており、化石が蓄積さらた土壌は水分を浮き上がらせ、強い風で運ばれ、乾燥させてくれる。時には"Bolla(ボッラ)"と呼ばれる、人も飛ばされそうな強い風が通常は冬の時期に年に1〜2度、トリエステに向かって吹き込む。このように恵まれ特殊な環境がワインを造りだしているが、なによりもそれを活かす造り手がいなければ実現しない、などと考えながら飲んでいた。イタリアでは1000種類を越すぶどう品種があるが、その大半は他国から入ってきたインターナショナル品種に席を譲ってしまった。リボッラ・ジャッラのように再び見直され注目されるような土着品種がふえて欲しい。イタリアワインの個性であり、財産でもあるのだから。

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フリウリは白!

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ブドウ畑

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周辺のパノラマ

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地面に埋め込まれたアンフォラ
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ズッパ・ディ・マーレ

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チーズの盛り合わせ

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産地 フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 

 

著者プロフィール

中川原 まゆみ(なかがわら まゆみ)
 蠍座 O型  7才の時に父が母の目を盗みビールを飲ませてくれた。甘い物があまり好きではなかったので、甘くない飲み物に出会って感激。それ以来いろいろ試す。コックだった叔父から1冊のイタリア料理の本をもらったのがきっかけで料理を作り始め、同時にイタリアワインも飲むようになる。1度イタリアを訪れてからは年に2、3回は来るようになり、レストランで食事をして作り方がわからないと「皿洗いをするから」といって厨房に入れさせてもらい、レシピを教わった。1995年9月、東京の中目黒にオステリア「フェルマータ」をオープン。納得したイタリアワインと集めたレシピを中心とした家庭的な店だったが、2001年3月に閉店し、渡伊。ICT(イーチーティー日本―イタリア)企画のAISイタリアソムリエ協会公認資格取得のための"ソムリエ長期研修”に参加。2001年9月日本人女性初のAISイタリアソムリエ協会公認プロフェッショナルソムリエになる。現在、エミリアロマーニャ州の「リストランテ・パオロ・テベリーニ」にソムリエとして在籍。時間ができると愛車の日産マーチに乗ってワイナリー巡りをしてる日々。

*ICT(イーチーティー)の研修については、トップページの右バナー CLUB APICOをご覧下さい。



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