JAPAN-ITALY Travel On-Line

イタリアワインVino探検記
21 Ottobre 2002

第7回 Grappa 〜3度のあやまち〜


 



中川原 まゆみ



『日本人は Grappa グラッパ が大好きだよね!』本当なのだろうか?確かに私の店でもグラッパだけを深夜に飲みに来る人や、ボトルで頼む人がいたので本当かもしれない。 グラッパは食事が終わってから飲むもので Digestivo(食後酒)になる。グラッパとはワインを造る時にでるブドウの搾りかすを蒸したり、“bagno maria(バーニョマリア)”という湯煎の方法等で熱を加え、蒸留し、70度前後のアルコールを得て、水を加え、時には樽で数年寝かせたりもする。日本ではブランディーのカテゴリーに入り、アルコール度数は40度前後で通常は無色透明。

数年前、いや、かなり前のクリスマスの夜、私はシエナ Siena のトラットリアのキッチンで“pollo con olive (鶏のグリーンオリーブ煮込み)”の作り方を教えてもらいながら、手伝いをしていたが、その夜はフィレンツェに宿をとっていたので、最終のバスで帰らなければならず、途中であわてて店を出てバス停に向かった。夜も深くなるとかなりの冷え込みで、ガタガタと震えがきた。バス停の前のバールで切符を買って、店のお腹のポッコリと出た、冬なのにランニングしか着てないおじさんにバスの時間を確認したところ、『ここからバスが見えるから、寒いので中で待ってていいよ』と言われ、体を暖めるために Brunello di Montalcino (ブルネッロ・ディ・モンタルチーノのワインの搾りかすから造った)のグラッパを注文した。エレガントで柔らかく、香りも複雑。スキアッチャータ Schiacciata(トスカーナのパンの一種)をつまみながら待っていたがバスは来ない!30分過ぎ、グラッパも4杯目だった!イタリアは時間があって無いとはいえ、遅すぎる!さすがにおじさんも心配になり、他のお客さんに訪ねたところ、『今日はクリスマスなので最終はもう行ってしまったよ。』どーしよう、フィレンツェまで帰れない!他の方法を考えなくては!!・・・そう思い、イスから立ち上がると、グラッパの飲み過ぎで腰が抜けてしまって立てない!おじさんが親切で目の前にボトルごと置いてくれたので、ついつい飲んでしまった!しくじった!結局、おじさんに抱えられながら、窓の閉まらないおんぼろフィアット500でフィレンツェまで送ってもらったのだ・・・。

それから先日、昨年まで一緒に働いていたカメリエーレが隣町にピッツェリーアをオープンさせたので、お祝もかねて食事に行った。彼は“キノコ採り”名人で有名。雨が降った量によって、その何日後に何処に行けば、どの種類キノコがあるか知っており、さらに料理も上手。この日も運がよければ彼の採ったキノコで、特にプラタイオーロ prataiolo (キノコの一種)があるかも。生をスライスしてウンブリア産の香り豊かなエキストラバージンオイルをかけると最高!しかし、その時期には少し早く、『黒トリュフならあるよ』といわれ、“Tortelloni in patate burro e salvia (生パスタのポテト詰めバターとセージのソース)”に真っ黒になるほどかけて楽しんだ。以前から彼の野生のカンはスゴイと思っていたが、いつからトリュフ犬の仕事を奪ってしまったんだろう!?ワインは彼と乾杯したかったので、Oltrepo pavese のスプマンテにした。ピノネーロ種100%のブランド・ノアール(皮を使わず白く仕上げる造り方)、香りに奥ゆきがあり、木いちご、キンモクセイの様。会計が終わり、帰ろうと思ったら、『俺のおごりで “grappe”(なぜか複数形!)のんでいきな!』といわれ、ここからは車で5分だし、いいか!と思い、Barolo(バローロ)のグラッパをもらった。色は樽を使っていたので淡い琥珀色で、香りはくるみやワインのバローロと同じ赤い花、ザクロで辛口。彼と一緒に仕事をしていた時は、仕事が終わってからよく近くのバールで2人でグラッパを飲んでいたので、私が好きなのは彼はよく知っていた。みんなに挨拶をして、店を出て車に乗り走っていると、真正面から対向車が来る!私は左車線を走っていたようだ!あ〜また、やってしまった!あわててハンドルを切り、車線変更したが、時すでに遅く、お互いに車のミラーが接触して壊れしまった!相手は怒り狂い、『どこ見て走ってるんだ!ここはイタリアだ!』と早口で怒鳴る。私はちょっとフラフラだったので、呆然と立ち尽くし、相手の怒りがおさまるのを待った。結果としては話し合いですんだが、深く反省した・・・。

どーして私はグラッパに縁があるんだろう?いや、事件を起こすのだろう!ヴェネト州にバッサーノ・デル・グラッパ Bassano del Grappa という町がある。きっと、ここがグラッパの里なんだろう、と思い、これを機会に訪ねてみた!私の東京の店のgrappa della casa(その店のグラッパ)もここの地の物だった。大きなファットリアを訪ねて事実関係を確かめて、美味しいグラッパでも試飲させてもらおう!調べてみると、641年にアラブで造り始め、初めはブドウの搾りかすではなく、野菜を使っていた。その後、ナポレターノ(ナポリ人)がイタリアのトレンティーノ・アルト・アディジェ、フリウリ、ロンバルディア、ピエモンテ、ヴェネト各地に広げた。バッサーノ・デル・グラッパの名は、この町の北部に Monte Grappa (グラッパ山)があって、その下(bassare)から由来している。2世紀前、モンテ・グラッパの住民は酒税が高いため、ヤミで蒸留酒を造って販売していた。そのなごりで小さな Distilleria(蒸留酒所)がここには多い。・・・という事で予想は少しハズレだった。

よく考えてみると私も食後にはディジェスティーヴォ Digestivo(食後酒)をよく飲む。グラッパだけではなく、同じく蒸留酒で梨、りんご、ラズベリー、あんず、もも、プラムなどを使ったものがあり、個々のフルーツの特性に複雑性がプラスし、香り豊かなものになる。他にアルコールにレモンの皮を付け込んで造るリモンチェッロ、木の実を付け込むノッチョ−ラ、薬草を付け込むアマーロなどたくさんのディジェスティーヴォがある。ドルチェ(デザート)が終わり、ここからが第2ラウンド開始。というのは、イタリア人は食事と同じように、おしゃべりしながら食後の時間も大切にする。食事を楽しむ、と同時に時間を楽しむ事を知っているイタリア人からこの点を見習うと、日常生活がより豊かになるに違いない。

1987年にピエモンテ州のブラ Braでジャーナリストのカルロ・ペトリーニ氏が始めた活動団体に、“SLOW FOOD”がある。先日、運良く彼らのオフィスを訪ねる機会を得た。彼らが提唱している内容は、失いつつある食事の郷土性食品の遺伝子的財産の保持ファーストフードの排除などである。イタリアの小さな村から始まった運動だが、世界中に向けて発信されていて、反響も大きい。利便性の高い食事を短時間で済ませ、没個性になりつつある現代の食事を見直す時期にきていると思う。ディジェスティーヴォを飲みながら、愛を語ったり、友人と親交を深める事は大切だが、くれぐれもグラッパの飲み過ぎには注意しよう!

  photo1
グラッパのボトル

  photo2
蒸留槽

  photo3
数々の種類のグラッパ

  photo4
黒トリュフ
  photo5
バッサーノ・デル・グラッパ市

  photo6
蒸留酒に使われるフルーツ

  photo7
産地 ヴェネト州 

 

著者プロフィール

中川原 まゆみ(なかがわら まゆみ)
 蠍座 O型  7才の時に父が母の目を盗みビールを飲ませてくれた。甘い物があまり好きではなかったので、甘くない飲み物に出会って感激。それ以来いろいろ試す。コックだった叔父から1冊のイタリア料理の本をもらったのがきっかけで料理を作り始め、同時にイタリアワインも飲むようになる。1度イタリアを訪れてからは年に2、3回は来るようになり、レストランで食事をして作り方がわからないと「皿洗いをするから」といって厨房に入れさせてもらい、レシピを教わった。1995年9月、東京の中目黒にオステリア「フェルマータ」をオープン。納得したイタリアワインと集めたレシピを中心とした家庭的な店だったが、2001年3月に閉店し、渡伊。ICT(イーチーティー日本―イタリア)企画のAISイタリアソムリエ協会公認資格取得のための"ソムリエ長期研修”に参加。2001年9月日本人女性初のAISイタリアソムリエ協会公認プロフェッショナルソムリエになる。現在、エミリアロマーニャ州の「リストランテ・パオロ・テベリーニ」にソムリエとして在籍。時間ができると愛車の日産マーチに乗ってワイナリー巡りをしてる日々。

*ICT(イーチーティー)の研修については、トップページの右バナー CLUB APICOをご覧下さい。



|JITRAトップページへ戻る Torna a JITRA Home Page|


http://www.japanitalytravel.com
©  JAPANITALY.COM srl - MILANO 2000 All rights reserved.