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イタリア料理研修日記

5 Giugno 2002


第3回 修行生活のスタート! 

増渕 友子

パスタ作りはドンネの仕事





2000年11月29日。ついに独り立ちの時がきました。ドモドッソラを朝出発し、ミラノへ行き、ボローニャを経てアンコーナを通り、車窓から見えたのは、海、アドリア海でした。さらに南下し、チヴィタノーヴァ・マルケ Civitanova Marche駅で降りる。到着時刻はict から店側に連絡済みだったので、駅前で待っていると20分ほどして白い車が到着。40歳前後のダークな金髪でちょっとふくよかな女性が現れました。この人が、ロザリア・モルガンティ Rosaria Morgantiさん、私が配属されることになったリストランテ・ドゥエ・チーニ Ristorante Due Cigni のオーナーで、イタリアソムリエ協会のマルケ州の責任者でもあり、そして今では私のイタリアにおいての姉のような人、になるのですが、とにかくこれが彼女との最初の出会いでした。

はじめまして、トモコですと言って右手を差し出すと、ロザリアはにこやかに嬉しそうに、ギュッと強い握手をしてくれました。車が走り出してすぐのところに、1軒のエノテカ(ワインの店)を見かけました。ロザリアは通り過がりに、あれが私たちのエノテカよと言いました。私はこの時、まだイタリア語の理解力が乏しかったので、てっきりワインをそこから仕入れているのかと思ってしまったのですが、そうではなく彼女が経営するエノテカだったのです。そして車の中でロザリアは言いました。今回初めての試み、異文化の人を迎え入れ、新しいもの、その人の文化を吸収して、それによって自分達のリストランテがよりよくなることを望んでいると。果たしてこんな素人の私が、そんな期待に応えられるのだろうか!?そして今となっては、イタリアにおいての実家とも言える、リストランテ・ドゥエ・チーニに到着したのでした。

このリストランテは、前述の駅から車で10分ほどの、モンテコーザロ Montecosaro という小さな町の住宅街にあります。300人くらいまでの宴会ができる客席は、普段は仕切りをして40席ほどで営業。少しガランとした感のある、とてもシンプルな内装で、広い中庭の噴水がきれい。そして広い厨房に、この時はシェフのサンドロSandro とコックのアンドレアAndreaがいました。サンドロ(30代半ば)はロザリアの従兄弟。私がここに来てすぐの頃は、口数も少なくヌボーっと疲れた感じの人だと思っていたのですが、実はけっこう面白い人でした。到着した次の日に、パスクワーレPasquale という20歳のコックも来ました。なので、私を含めてコックは4人、それにお手伝いのおばさん達が加わり、厨房での仕事が成されました。このおばさん達、通称 Le Donne レ・ドンネ(女性たちの意味)と呼ばれていますが、彼女たちが非常に重要な存在なのです。ドンネの筆頭は、ロザリアのお母さん、イダ Ida(通称ピッチョーナ Picciona)。彼女が事実上のオーナーでもあります。このリストランテは、もともとはピッチョーナが料理をして披露宴などの宴会を専門に30年以上前から続いていて、それを次世代のロザリアとサンドロが受け継いでいるのです。そしてサンドロのお母さん、アントニエッタ Antonietta(通称チルベエ Cirbè )もいます。この2人のマンマ達はとにかく働き者。朝早くから夜中まで、野菜を切ったり、鶏の毛をバーナーで焼いたり、パスタを作ったり(パスタ作りはドンネの仕事)、大量の洗い物、掃除洗濯アイロン掛けなど、一時も休む暇がありません。ピッチョーナは73歳なのですが、とてもお年寄りとは呼べないくらいパワフルで、いつもまわりの若者を圧倒しています。そして個性豊かで頼りになる近所のおばさん達。彼女達をなくしてこのお店は存在しないでしょう。(※上の写真は店の伝統的なラザーニャ、Tartufate タルトゥファーテを作っているところ。肉とキノコを一緒に調理して挽いたものと、牛乳、生クリーム、トリュフを煮込んだソースをパスタの間に流し、仕上げにベシャメルソースをかけます。宴会にも出しますが、一般家庭用テイクアウトの定番でもあります。左がマンマ・ピッチョーナ。)一方、客席には、偉大なるメートル、シルベル Sirverと、ファビオ Fabio(通称メーラ Mela、リンゴみたいな顔をしているから)というカメリエーレ(ウェイター)がいます。大まかですが、こういった環境での修行(!?)がスタートしたわけです。



photo2
DUE CIGNIの外観
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リストランテ内部

お店から車で5分ほどのところに、私が住む家があります。通称 Casa di Campagna カーザ・ディ・カンパーニャ(田舎の家)、畑に囲まれたひなびた家です。持ち主はサンドロのお父さんで、いつも畑仕事をしています。家の隣には豚小屋があり、ニワトリもいます。この家に3つある中の一番小さな部屋が、私の部屋になりました。そして、コックのアンドレア、パスクワーレ、カメリエーレのメーラの3人の男の子たちとの共同生活もスタートしたのです。

仕事ではとにかく言われたことを理解し、その通りに仕上げることを常に心がけました。いつもやることはたくさん!野菜の下処理、魚の掃除、パン作り・・・魚はアドリア海で獲れる小魚がよく入ってくるので、ホタルイカよりも小さなイカのゴマツブのような墨と目玉とくちばしを取ったり、小さなヒメジの小骨を抜いたり、スカンピやシャコの殻をむいたり、といった作業を何時間もすることもしばしば。何をするにもサンドロやアンドレアのスピードに追いつけず、自分の技量の無さを痛感することも多々ありました。そして営業時には、オーダーが入ると皆殺気立ち早口になり、どうしていいかわかず、ただただパンを温めることしかできませんでした。シルベルは素晴らしいサービスマンなのですが、火が着きやすい人で、怒り出すと皿を割ったり大声でわめいたり・・・、しかも私には何で怒っているのかわからないので、てっきり私がやったことが間違っていたのかも!?なんて余計な心配をしたり。ときどき仕事がまわってきて、トモーコー! 冷蔵庫から何を何個取ってこい、だとか、いろんなことを早口で言われて、わからなかったけどこの状況では聞き返せない!なんてこともあったり・・・。この頃の私はまさに物心のつかない子供のような状態でしたが、この先やっていけないんじゃないか、というような不安はありませんでした。まあ、きっと慣れれば大丈夫かな・・・と。そして戦争が終わると、皆何事もなかったように冗談を言い合ったりしていました。

その日何が起こるのか、私一人がわかっていないという、まわりの状況が不透明な日々がどんどん過ぎていき、あっという間に年末を迎えることになりました。イタリアでの初めてのクリスマス、そして大晦日の仕事が待ち受けていたのです。

 




プロフィール

増渕友子:神奈川県立外語短期大学卒。アパレルメーカー退職後、コックを目指して厨房での仕事を始める。服部栄養専門学校夜間部調理師科卒業後、ictのイタリア料理長期研修に参加。現在イタリア、マルケ州モンテコーザロに滞在中



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日伊の様々な食文化交流を企画する ict(イーチーティー)とICTイタリア事務所が行なっているプロ向けイタリア料理研修。 毎年長期(1年間)にわたり、本格的な研修を企画しています。 始めにピエモンテ州の料理学校で学んだ後、各州を回りながらイタリア食文化の地方性を深め、最後は有名レストランでの本格的な修行です。 詳しくは、JITRAトップページ右端、CLUB APICIO のロゴから ict のサイトへリンクしてみてください。



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