JAPAN-ITALY Travel On-Line

イタリア料理研修日記

7 Ottobre 2002


最終回 目指せ!
クチーナ・トモケーゼ






増渕 友子

店の仲間たちと厨房内で


カンパーニア州での修行は5ヶ月間まるごとヴァカンスだったような気がします。例年になくリゾート客が少なく、営業ものんびりとしていたし、南の太陽と風と海と食べ物を大満喫していたので。オーナーご夫妻からは「1年でも2年でもずっと居なさい」と言われましたが、やはりマルケのリストランテ“ドゥエ・チーニ”に戻る気持ちは変わりませんでした。ドゥエ・チーニはもはや私にとってイタリアにおける実家になっていたのです。

マルケ州に戻る前に、私が何ヶ月も前から心待ちにしていた事がありました。それは日本から来る私の両親と大親友のカヲルさん、その弟タカシ君との南イタリア旅行です。ローマの空港へ皆を迎えに行き、1年ぶりの再会を果たすと、真っ黒に日焼けした私を皆すぐに気づいてくれませんでした。そして旅はローマから始まりました。街のシンボル、コロッセオ、目の覚めるような青空の下のカラカラ浴場、下町トラステヴェレのトラットリアでの昼食・・・両親は初めてのイタリア、すべての物、事、味に驚き感心したようです。電車で南下しソレントにも数日滞在。そこからお世話になった“タヴェルナ・デル・カピターノ”へ食事に行きました。皆は私がもっとカジュアルなお店で働いていたと思っていたようで、想像以上にきちんとしたリストランテであることに驚き、海が目の前の抜群のロケーションであることにも驚き、その日は波が高く、テーブルに着くと波の音で話声もよく聞こえないような状況だったので、皆緊張気味にポーっとなってしまいました。そして当然ながら魚料理を堪能したわけですが、とりわけセコンドはこの土地ならではの新鮮なカサゴをトマト、オリーヴ、ケッパーと調理した、南らしい一皿。しかもここでは頭も一緒に調理し、お客に出されます。素材を生かしたシンプルで絶妙な味に皆大満足。食後にはオーナーのサルヴァトーレ氏自らカンティーナへ案内して下さいました。そしてワインに対する思い入れ、温度管理の重要さなどを語られ、最後に両親に向かって「あなた方のお嬢さんはとても真面目に働いてくれました、感謝します」と言って下さったのです。父母ともに大感激でタヴェルナ・デル・カピターノをあとにしたのでした。

さらにアマルフィ海岸、ポンペイ、ナポリと、南の見どころを案内し、あっという間に1週間が経ってしまいました。皆を空港で見送るときに、1年前に日本を飛び出して来た日のように涙がどっと溢れてきました。別れが辛いわけではありませんでした。皆は日本に帰る、私はまだここに居る、それは仕方がないことで、自分が望んだことですから。いろんな感情が絡み合い胸が一杯になったのです。あまりにも密度が濃く、楽しかった、あっけない1週間。そしてその間に、久しぶりに会った両親の「老い」を感じざるを得なかったことも事実でした。

それから私はサルデーニャへ向かいました。そこで見たものは、乾いた広野、岩山、それに青い青い海。未知なる島にはまだまだ手つかずの自然が残っていました。忘れられない場所は、イグレジアス Iglesias からバスで行ったマズーア Masua という海岸です。そこにはパン・ディ・ズッケロ Pan di zucchero(砂糖掛けのパン)という名の岩が、遠浅のそれは美しい海の上に浮かんでいました。そこで私はさらに黒さを増して、ようやく家路に着いたのでした。

photo2
近所の人からいただきものの
がちょうを殺している風景
photo3
ある日の我々の食事

電車でローマからアンコーナ、アンコーナからチヴィタノーヴァ Civitanova へ。車窓からは海が、久しぶりのアドリア海が見えました。その日は日曜日で、ドゥエ・チーニに辿り着くと披露宴の真っ最中。皆忙しそうに働いています。キッチンの中はエキストラのカメリエーレもお手伝いのドンネもたくさん来ていて、怒ったりふざけたりつまみ食いをしたり、皆活き活きとして見えます。そうこれこれ、私もこの中に入りたい、一緒に働きたい! 皆は私のことをしっかりと憶えていてくれて、待っていてくれました。ロザリア、ピッチョーナ、サンドロ・・・懐かしくて嬉しくて言葉が出ず、ひとりひとりの顔を見てアーッ、アーッとしか言えず、後々まで笑いの種になりましたが。

こうして現在に至ります。 私はイタリア料理を学ぶために日本からイタリアに来たわけですが、今となっては何をしに来たのか、これからの自分がどうなるのか、全くわからなくなってしまいました。しかしそれは目的を見失ったわけではありません。料理という目的の枠をはみ出して、あまりにも多くの物事が四方八方から入ってきてしまって、それを吸収するのに精一杯な状態なのです。そして今私がここで見て学んで食べている料理というのは、その土地の人がその土地の材料で作る料理、世間一般で言う「イタリア料理」ではなく「その土地料理」なのです。それはイタリアだけではなく世界各国で行われているわけですから、料理に国名を付ける、国境を作るのは実は違うのでは?と思うのです。それじゃあ君は「イタリア料理」を学びに来ていながら「イタリア料理」を否定するのか?と言われてしまいそうですが、弁解するならば、イタリアは「その土地料理」を大切にしている国であることは確かであって、私が「料理」という人間の営みに関して自分なりの考えを持つようになってきたのもこの国に来てからなので、とにかくイタリアに来たことは本当に本当に良かった!!と思います。

あるイタリア人にこんな質問をされたことがあります。「トモーコ、君は日本に帰ってイタリア料理をやりたいのか、イタリアで日本料理をやりたいのか、それともイタリアでイタリア料理、もしくは日本で日本料理をするのか?」 私の答えは全部NO!「じゃあ一体君は何がしたいんだ!?」「私がしたいのは、私の料理。」すると彼はこう言ったのです。「そうか、クチーナ・トモケーゼ Cucina tomokese か。」“クチーナ・トモケーゼ!”(つまりトモコ風)、そんな造語ができちゃうのです。一体どんな料理になることやら。いつの日か皆様に召し上がっていただけますように。

何はともあれ、私のイタリア暮らしはまだまだ続くことになりそうです。もはや外国で働いているという感覚はありません。コックとして厨房で仕事をするにあたり、その勤め先がイタリアにある。ただそれだけのことです。これから先どんなことが起こるのか想像がつきませんが、私の大好きな、そしていつも私が実感している“ラ ヴィータ エ ベッラ La vita è bella!”(人生って素晴らしい!)この言葉で締めくくらせていただきます。



※増渕さんの連載は今回で最終回です。次回から、現在シチリアで研修中の柳令子さんの研修日記が始まります。お楽しみに!  




プロフィール

増渕友子:神奈川県立外語短期大学卒。アパレルメーカー退職後、コックを目指して厨房での仕事を始める。服部栄養専門学校夜間部調理師科卒業後、ictのイタリア料理長期研修に参加。現在イタリア、マルケ州モンテコーザロに滞在中



●● ict の料理長期研修のお知らせ ●●
日伊の様々な食文化交流を企画する ict(イーチーティー)とICTイタリア事務所が行なっているプロ向けイタリア料理研修。 毎年長期(1年間)にわたり、本格的な研修を企画しています。 始めにピエモンテ州の料理学校で学んだ後、各州を回りながらイタリア食文化の地方性を深め、最後は有名レストランでの本格的な修行です。 詳しくは、JITRAトップページ右端、CLUB APICIO のロゴから ict のサイトへリンクしてみてください。



http://www.japanitalytravel.com
©  JAPANITALY.COM srl - MILANO 2000 All rights reserved.