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イタリア 音楽の旅
 
20 Novembre 2002

第3回 ヴェルディの足跡をミラノに訪ねる

ミラノ - ロンバルディア州
Milano - Lombardia

牧野 宣彦
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♪スカラ座 Teatro alla Scala♪
ミラノはイタリア経済・商業の中心地であり、日本からも年間約70万人以上の人が、観光やビジネスで訪れるが、オペラファンにはオペラの殿堂スカラ座のある街として知られている。そのミラノの一年で最も華やかな日が12月7日のスカラ座の初日で、ミラノ、イタリア各地から上流階級が集い、世界中からオペラファン?が集結する。この日は世界の劇場で最も入場料が高くなり、2002年の12月7日のチケットは平土間の席で1000ユーロとなっている。
ミラノで最初に音楽劇が上演されたのが、1594年宮殿内に設けられたサローネ・マルゲリータ。この劇場が焼失して、1717年に建設されたのがテアトロ・レッジョ・ドゥカーレ(大公大劇場)。この劇場ではモーツァルトの初期のオペラ「ポントのミトリダーテ」「アルバのアスカーニオ」「ルーチョ・シッラ」などが上演されている。この劇場も1776年火災で焼失、その後1778年にサンタ・マリア・デッラ教会の跡地に新しく建設されたのが現在のスカラ座である。教会の名前は、かってミラノを支配したヴィスコンティ家に嫁いだベアトリーチェ・デッラ・スカーラに由来し、それが劇場の名前になった。ジュゼッペ・ピエールマリーニによるネオ・クラシックの壮麗な建物は1778年に完成し、柿落としはその年の8月3日で当時の大作曲家サリエーリの「見出されたエウロッパ」である。それ以後ロッシーニの「イタリアのトルコ人」(1814年)、「泥棒かささぎ」(1817年)、ベッリーニの最大傑作「ノルマ」(1831年)、ドニゼッティの「ルクレツィア・ボルジァ」(1833年)、ヴェルディの最初のオペラ「オベルト、サン・ボニファ−チョ伯爵」(1839年)、「ナブッコ」(1842年)、「オテッロ」(1887年)、「ファルスタッフ」(1893年)、プッチーニ「マダムバタフライ」(1904年)、「トゥーランドット」(1926年)などを初演し、世界で最も重要なオペラハウスとなり、現在でも高水準のオペラの上演が行われている。

今年から来年にかけてのシーズンは、12月7日に開幕し、ムーティの指揮でグルックの「アウリスのイフィゲーニエ」、メゾソプラノのバルチェローナが主役のアガメムノンの妻クリテムストラを歌う。2002年12/7,10,13,15,18,21、バレエ白鳥の湖 2002年12/17,20(2回公演),22,28(2回公演),29,31。バレエ「ガラ・ヌレーエフ」12/19。ジェフリー・ターテ指揮、ピエール・ルイジ・ピッツィ演出のリヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」2003年1/15,18,21,23,26,29,31。ブルーノ・バルトレッティ指揮、ゼッフィレッリ演出の「ラ・ボエーム」 1/28,30、2/1,2,6,9,11,14,20,22。バレエ「ラベルの夜、ダフニスとクロエ、ボレロ他」2/8,15(2回公演),16,18(2回公演),19。コラード・ロヴァリス指揮、ポンネル演出のロッシーニ「アルジェのイタリア女」3/8,11,14,16,18,29, 4/1,5。ムーティ指揮ベートーベンの「フィデリオ」3/28,30, 4/2,4,6,8。バレエ「ラ・ビスべティカ・ドマータ」4/17,18,19,22,23,24。マルコ・トッティーノのスカラ座初演の現代オペラ「ヴィータ」(Piccolo Teatro Studio)5/9,11,13,15。ムーティ指揮ヴェルディのヴェネツィアを舞台としたオペラ「2人のフォスカリ」5/13,16,18,20,22,24,27,30(但し最後の2公演は指揮がロバート・リッツィ・ブリニョーリ)。バレエ「真夏の夜の夢」 5/21,23(2回公演),28,29(2回公演),31,6/3。バレエ「ラベルの夜、ツィガーネ、ボレロ他」(Teatro Strehler)6/12,13,14,16,17,18,19。ヤナーチェック作曲のオペラ「女狐ビストロウシカの物語」6/14,16,20,23,26,27。スペインの作曲家フェデリコ・モレーノ・トロッバの「ルイザ・フェルナンダ」6/18,19,21。 尚この公演にはドミンゴが出演予定。その後「ウエストサイド物語」 7/3,4,5,7,8,9,10,11,12,14,15,16,17,18,19。ドニゼッティの「ウーゴ、パリ伯爵」 9月(詳細未定)。ガリー・ベルティーニ指揮「トスカ」10/13,15,20,22,24,25,27,29,31。リゲティのバレエ「レ・グランド・マカブレ」10/22,23。バレエ「ドン・キショッテ」11/6,7,8,11(2公演),13。以上の様なものが予定されているが、公演は主にテアトロ・デッリ・アルチンボルディで行われる。チケット入手の方法はスカラ座で発行されている年間公演日程表を入手し、叉はインターネットで見たい公演の日のチケット販売日をチェックし、電話、又はインターネットで申し込む。支払いがクレジットカードでする時は予約が取れたら、そのカードの両面をコピーし、ファックスする。
(Fax:国番号39-02-861893)

◇インフォメーション
 チケットオフィス:Piazza del Duomo、Palazzo dell'Arengarioの前
 電話:02-72003744
 時間:12:00−18:00まで(又アルチンボルディでは公演の2時間前から当日のチケットを発売)
 電話:02-860775(32回線、24時間サービス)
 HP: www.teatroallascala.org

  
写真:牧野宣彦 
上:スカラ座の内部
左:カフェ・コーヴァ
右:ドゥオーモ

♪♪音楽にゆかりのある見どころ♪♪

●テアトロ・デッリ・アルチンボルディ Teatro Degli Arcimboldi
ミラノ市がピレッリ社の協力で約850億リラを越える資金をかけて建設したモダンな劇場。設計したのは建築家のヴィットリオ・グレゴッティ。 座席数は約2400席、一階が1524席、2、3階が約900席。2002年1月30日に上演されたバレエの公演では、上演中に重量200キロのガラスの照明パネルが落下するという事故があった。観客に怪我はなかったが、その日の公演は中止になった。交通の便が悪い為、以前より幾分チケットは入手しやすくなったといわれている。また2004年12月7日には1778年の開場時に上演されたサリエーリの「見出されたエウロッパ」でスカラ座は再開場する予定になっている。
◇アスセス:ピアッツァ・ドゥオーモのタクシー乗場から公演の75分から60分位前から公演の始る前迄5分毎にバスが出ている。年間予約の人は無料だが、一般の人はATMのバスチケット(1ユーロ)が必要。
*ATMバスはナンバー44。地下鉄M2のCascina Gobba駅からM1のPrecotto駅を通りBicoccaまで。
*地下鉄M1のPrecotto駅からBicocca行きのバスが8分から10分おきにある。
*劇場最寄りの鉄道駅はGrecoーPirelliでMilano Centrale から約6分。Porta Garibaldi 駅から5分。Lambrate駅から8分。市内のATM 券で1ユーロ。
公演終了後20分から40分後には特別列車があり、GrecoーPirelli駅からMilano Centrale、Porta Garibaldi駅行きの汽車がある。

●スカラ座博物館 Museo Teatrale alla Scala
Palazzo Busca, presso il Collegio San Carlo, Corso Magenta 71 Tel:02-43353521 スカラ座が修復中の為、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・グラッツェ教会の前に移った。イタリアオペラの歴史を彩る貴重な資料が展示されている。過去にスカラ座で活躍した名歌手ジュゼッピーナ・ストレッポーニ、マリブラン、マリア・カラス、マリオ・デル・モナコなどの肖像画、胸像、トスカニーニの使用した指揮棒、ヴェルディが幼い頃に使用したスピネット、スカラ座で上演されたオペラの初版楽譜などが展示されている。設立は1913年、初代館長は映画監督ルキーノ・ヴィスコンティの父親モドローネ・ヴィスコンティ伯爵が務めた。

●サンタンブロージョ教会 Basilica di S.Ambrogio
西暦313年キリスト教を公認する「ミラノ勅令」が皇帝コンスタンティヌスによって発布され、その後374年に皇帝に仕える官吏であった聖アンブロジウスが、人民によりミラノ司教に選出された。この聖アンブロジウスはミラノの守護聖人となり、現在でもミラノ市民に尊敬されている。彼は386年に「殉教者の聖堂、現サンタンブロージョ聖堂」を建造した。ヴェルディの最初の妻マルゲリータの葬式がこの教会で行われ、又ヴェルディの初期のオペラ「レニャーノ戦い」第3幕の舞台となっている。現代イタリアの代表的オペラ作曲家ピッツェッティの「大聖堂の殺人」が1958年に初演されたのもこの教会である。スカラ座の初日が毎年12月7日に決められているのは、この日が聖アンブロジウスの祝日であるからである。

●サン・マルコ教会 Chiesa San Marco
1254年ランフランコ・セッターラによって献堂された。ヴェルディの「レクイエム」は1873年の19世紀イタリア最大の作家マンゾーニの死を悼んで作曲されたが、ヴェルディは初演の場所として「ミラノで最も美しい場所」サン・マルコ教会を選んだ。マンゾーニ没1年後の1874年5月22日ヴェルディの指揮するスカラ座のオーケストラ、合唱団、当時の名歌手達、ソプラノのテレサ・シュトルツ、アルトのワイルドマン、テノールのカポーニなどで、上演され「レクイエム」はマンゾーニに捧げられた。当時の記録によると、その演奏は、巨大な火柱がめらめらと燃え盛るような素晴らしい演奏だったという。イタリア各地からこの演奏を聞こうと人が殺到し、この教会では人員を収容できない為、その後スカラ座で数回の公演が行われた。現在でも時折宗教音楽の公演会場として利用されている。

●スフォルツァ城 Castello Sforzesco
ルネッサンス時代のミラノを忍ばせる最大の建造物。1450年からフランチェスコ・スフォルツァによって建てられた。ルドヴィーコ・イル・モーロ(1451−1508)の時代には、ジョスカン・デュプレなどの有名な音楽家が活躍した。レオナルド・ダ・ヴィンチによる舞台美術や機械仕掛けも使われたという。レオナルドは、「音楽家の肖像」という作品を残している。また彼は宮廷の中の楽士であり、祝祭の時の演出家であり、エンターテイナーであり、ルネッサンス画人伝の著者ヴァザーリに依れば、領主ロドヴィコはその見事な弁論で人々を感心させるレオナルドに飽きる事がなかったという。又彼はここで武器の開発、都市計画、天文の観測などあらゆる分野で才能を発揮し、万能の天才と呼ばれるに相応しい活躍をしたのもこの城であった。美術館には、ミケランジェロのロンダニーニのピエタ、絵画ではマンテーニャの「聖母子と諸聖人」、ジャヴァンニ・べッリーニ「聖母子」、コッレッジョ「男の肖像」などが展示され、タピストリー、陶器などのコレクションもある。また内部には楽器博物館 Museo degli Strumenti Musicaliがあり、600点を越す貴重な展示品がある。その中には18世紀の名ヴァイオリンニスト、タルティーニが所有したストラディヴァリとグァルネリのバイオリン、ベッリーニが、オペラ「夢遊病の娘」を作曲した時に使用したピアノなどが展示されている。

●音楽家憩いの家 Casa di Riposa per Musicisti
Piazza Michelangelo Buonarroti 29 電話:02-435568/ 462474
ミラノにあるジュゼッぺ・ヴェルディゆかりの地の中で最も重要な場所が、音楽家憩いの家 Casa di Riposa per Musicistiである。この茶色の建物は、腰を手に当てたヴェルディの大きな像のあるミケランジェロ・ブオナロッティ広場 Piazza Michelangelo Buonarrotiに面して建っている。ヴェルディは財テクの才があり、亡くなった時は当時のお金で700万リラ(現在の円に換算すると約40億円)の資産を残したという。しかし音楽家が皆彼の様に裕福だった訳ではなく、若い時活躍した音楽家の中には晩年金銭的に困る生活をしていた人も多かった。ヴェルディはそれらの人達を心配し、彼らが平和な晩年を送れる様な養老院を建設した。彼はこの施設を「私が造った最も美しい作品」と語ったという。建物の設計はオペラ「メフィスト−フェレ」の作曲家で、晩年のヴェルディの「オテッロ」「ファルスタッフ」などの台本を書いたアルリーゴ・ボーイトの弟カミッロが担当した。しかしヴェルディは慈善家といわれるのを嫌い、生前はオープンさせなかった。その為彼が没した1年後の1902年10月10日に開かれた。憩いの家の中庭にヴェルディの墓があり、ヴェルディは彼の愛した3人の女性、最初の妻マルゲリータ、名歌手で長年連れ添ったジュゼッピーナ・ストレッポーニ、晩年の愛人で、オペラ「アイーダ」のイタリア初演の時タイトルロールを歌ったチェコ出身の歌手テレサ・シュトルツなどと一緒に葬られている。この憩いの家はダニエル・シュミット監督の映画「トスカの接吻」の舞台となった。映画ではこの養老院に住む音楽家の生活が描かれていたが、かつてスカラ座で活躍した名ソプラノのサラ・スクデーリ、テノールのレオニーダ・ベロン、バリトンのジュゼッペ・マナキーニなどが、歌ったり、過去を回想したり、歌を教えたりする様子が描かれている。

●ミラノ記念墓地 Cimitero Monumentale
19世紀後半に造成された墓地で、礼拝堂内には作家マンゾーニの墓がある。ヴェルディは2001年1月27日に息を引き取ったが、ヴェルディは生前遺言で、「葬儀は出来るだけ簡単に明け方か夕方に行い、遺体は憩いの家の礼拝堂に安置してほしい」と望んでいた。しかし、一般墓地以外の場所での埋葬は、市当局の許可が必要であったために、遺体は1ヶ月間ミラノ記念墓地に安置された。(今でもこの墓地にはヴェルディの胸像がある。)その後遺体が憩いの家に移された時は、トスカニーニの指揮で8000人もの合唱団とオーケストラがナブッコの「我が想いよ、黄金の翼にのって行け」を歌いながら記念墓地を出発し、ミラノはじめイタリア各地から来た30万の人々がヴェルディを見送ったといわれている。この墓には大指揮者トスカニーニ、彼の娘ワンダの娘婿ピアニストのホロヴィッツ、アルリーゴ・ボーイトの墓などもある。

●ヴェルディとミラノの家々
去年2001年はヴェルディ没100年に当たり、イタリア各地の劇場では彼のオペラが沢山上演されたが、改めて世界の主要オペラハウスのプログラムを見ると、このレ・ロンコーレ出身の音楽家がいかに偉大であったかが認識させられる。1813年にレ・ロンコーレの旅篭の息子として生れたヴェルディは、若い頃ミラノで苦労しながら成功する。その苦難のミラノでの生活からナブッコによる成功までミラノに住んでいたヴェルディの住居を探訪する。
ヴェルディは、バレッツィの娘マルゲリータにピアノを教えていた。バレッツィはヴェルディの才能を伸ばすには、もっと高度な音楽教育が必要と考え、ヴェルディの父親と相談し、ヴェルディをミラノに送る事にした。そしてヴェルディはモンテ・デ・ピエタ奨学資金を1831年に申請し、翌年奨学金をもらえるという認可をもらいミラノヘ行った。マルゲリータに恋していたヴェルディは、ミラノへ行こうと思っていなかったが、マルゲリータの母親マリアがマルゲリータとヴェルディの仲を聞いて激怒し、やむなくミラノ行きを承諾させられたといわれている。そしてヴェルディは、ミラノ音楽院の試験を受けに1832年にミラノに行き、住んだのがSanta Marta 3398で、現在この場所はSanta Marta 19番地で、ヴェルディは1834年5月中頃までこの家に住んでいた。この家には碑があり、我々の街(ミラノ)に最初にヴェルディが住んだ家と記されている。この頃のヴェルディはブッセートでの音楽教師プロヴェジェや妹の死に遭遇したが、故郷に戻る事は出来なかった。

その後ヴェルディは近くに家を見つけ引っ越した。場所はS.Paolo 934で、現在この場所はS.Paolo 12番地になっている。ヴェルディは1834年5月から6月までの短期間この家に住んだが、ブッセートからプロヴェジェの後任として帰郷するように要請があり、1934年6月にブッセートに戻った。そしてその後フェルラーリが教会のオルガン奏者と合唱長に任命され、ヴェルディをその地位につけようとする人達と争いになった。帰郷する前の約1ヶ月ヴェルディはこの家に住んだ。

次にヴェルディが引っ越したのが、S.Pietro all'Orto 910番地でCasa Carcanoといわれる。ヴェルディは1834年から6月から1835年7月までこの家に住んだ。現在の住所はVia S.Pietro all'Orto 17番地で、この時代のヴェルディは、以前から対位法を学んでいたラヴィナに師事し、フィロドラマチ劇場でマッシーニと共に活動し、充実した生活を送っていた。しかしヴェルディは1835年7月には、女王陛下(パルマの大公妃マリア・ルイーズ)の下でフェルラーリと音楽の果たし合い(競演)をする為に帰郷せざる得なかった。

ヴェルディはマルゲリータと1836年5月に結婚し、新婚旅行にミラノへ馬車で出発した。マルゲリータは1838年7月11日男の子を生み名をイチリオと名付けた。ヴェルディはブッセートの音楽監督の地位にあったが、辞職する事にし、退職後3ヶ月半の俸給給与期間の終了までブッセートに滞在し、1839年イチリオ、マルゲリータと一緒にミラノで住む事になった。それまでヴェルディはセレッティに住まいの面倒を見て貰っていたが、義父のバレッツィに借金を申し込み、350リラを借りて、その時ヴェルディの家族が住んだのが、Via San Simone 3072で、現在の番地はVia Cesare Correnti 15である。この家にヴェルディは1839年から1840年まで住んでいた。

1839年ヴェルディ最初のオペラ「オベルト、サン・ボニファーチョ伯爵」がミラノのスカラ座で初演された。このオペラは大成功で、このシーズンに14回も上演された。長男イチリオを野辺送りして僅か1ヶ月後の事であった。しかし1840年6月に妻マルゲリータが27歳の若さで夜を去る。ヴェルディは生涯の最大の悲しみに遭遇していたこの頃、スカラ座からブッファ「一日だけの王様」の作曲を依頼される。ヴェルディは一時悲嘆のあまりブッセートに引っ込んでいたが、スカラ座の音楽監督メレルリに呼び戻され、1840年9月5日に初演されたが不成功に終り、一回上演されただけで中止になった。この作品はヴェルディの失敗作といわれているが、筆者が2001年ボローニャのテアトロ・コムナーレで聞いた時は、ピッツィの演出も素晴らしく、最高の舞台で、昨年聞いたあらゆるオペラの中で一番素晴らしかった。1840年の秋も深まった頃、亡き妻と子供の遺品をブッセトーの実家に送り、ミラノのサン・ロマーノ小広場の新しい家に移って行った。この家はCorsia dei Servi で現在の住所はCorso Vittorio Emanueleであった。

失意のどん底にあったヴェルディがガレリアを歩いているとメレルリに会い、ナブッコの台本を渡される。メレルリは最初その台本を「ウィンザーの陽気な女房たち」を作曲したオットー・二コライに示したが、彼は興味を示さなかった。ヴェルディは当初悲嘆にくれていて何も作曲しまいと心に決めていたが、ナブッコが彼の心を捉えて一小節づつ書き上げ、1841年の春は殆どこの曲の作曲に没頭した。そして1841年10月に完成した。ヴェルディはソプラノにジュゼッピーナ・ストレッポーニ、バリトンにロンコーニが出演する事を直訴したが、「既に1842年の演目は決定されているから上演できない」とメレルリにいわれ、この年の上演は困難を極めたが、ストレッポーニの援助もあり、1842年3月9日に初演された。イタリア統一運動の胎動が始っている時機でもあり、このオペラは空前の成功を収めたのは周知の通りである。ナブッコ成功の後、彼が住んだのがVia Andegariの家である。

ナブッコの大成功の後、ヴェルディの生活は一変しミラノの社交界の寵児となる。彼は何処に出掛けても歓迎され、ナブッコは初演の年8回も再演されたが、夏から11月までの間に57回も上演され、スカラ座の上演記録を更新したという。ヴェルディは1843年にイタリア統一運動を鼓舞するオペラ「第一回十字軍のロンゴバルト人たち」を作曲し、1843年2月11日にスカラ座で初演された。そして1844年にはヴィクトル・ユーゴーの原作による「エルナーニ」、バイロンの原作による「2人のフォスカリ」を作曲する。この頃ヴェルディが引っ越したのが、Contrada del Monte 860番地で、現在この住所はミラノ一の高級ファッション街モンテナポレオーネ1番地である。この近所の17番地にヴェルディの同郷ブッセートの音楽家エマヌエル・ムツィオも引っ越して来た。私が記述したヴェルディの住まいは、現在のモンテナポレオーネ通りからスカラ座までの間の裏の道周辺に集結しているので、時間がある方は訪れてみるのも面白いと思う。

●ドオゥーモ Duomo
イタリア最大のゴシック建築の教会。1386年当時のミラノの統治者であったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティによって建設が始ったが、全体が完成したのは1887年。長さ157メートル、内部の面積は17000平方キロメートル。地下には4-5世紀頃の聖堂の遺跡がある。屋上のテラスからはミラノ市が一望に見渡せる。15世紀から17世紀にかけては、オペラより宗教音楽が音楽の中心であったが、ルネッサンス音楽の代表者ジョスカン・デュプレ、アグリーコラが活躍していた。グルックの音楽の師でもあったサン・マルティーニも1728年から楽長に就任していた。又、大バッハの末息子ヨハン・クリスチャン・バッハも1760年から2年間オルガニストとして来ていた。20世紀では1924年11月29日にブリュッセルで世を去ったプッチーニの国葬が、1924年12月3日にここで行われた。その時枢機卿司式の国葬が営まれ、大指揮者トスカニーニはスカラ座のオーケストラを指揮し、プッチーニのオペラ「エドガール」の中の「鎮魂ミサ曲」を演奏した。 当日は滝のように激しい雨が降り、遺体はドオゥーモから荘厳な行列によって運ばれ、多くの人が見守る中記念墓地の仮の埋葬所に一時安置された。その2年後に彼の遺体は、トッレ・デル・ラーゴの家の墓廟に安置された。

●マンゾーニ博物館 Museo Manzoniano
Via Marone 15 電話:02 86460403  休日:土、日、月、入場無料。時間:9:30−16:00 19世紀イタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニ(1785ー1873)が1814年から亡くなる1873年まで住んでいた家。現在マンゾーニ博物館になっていて彼の遺品、自筆原稿、肖像画などが展示されている。ヴェルディはマンゾーニを尊敬し、彼が死んだ時「レクイエム」を作曲し、彼に捧げている。マンゾーニの代表作「I Promessi Sposi いいなづけ」は、結婚を約束した若い男女が、婚約者の女性の誘拐というアクシデントを乗り越え、最後は結ばれるラブロマンスだが、舞台となったコモ湖畔の美しい街レッコ、17世紀のペストの流行、封建的な領主、人々との暖かい友情、信仰などが描かれ、ミラノ、ベルガモ、モンツァなどの街を含む壮大な物語になっている。この作品はイタリア散文文学の最高峰として評価され、ヴェルディも愛読していた。そして1868年6月30日ヴェルディはマンゾーニの家を訪問している。ヴェルディはこの詩人との出会いにいたく感激し、「この町で私は我が国の偉大な詩人を訪問しました。この人物は偉大な市民であり、また聖なる人でもある。」とその印象を友人のレオン・エスキュディエに書いている。

●ヴェルディ音楽院 Conservatorio di Musica G.Verdi
1807年当時ミラノを支配していたナポレオン1世の法令により、サンタ・マリア・デッラ・バッシオ教会の附属の修道院内に創立された音楽院。1832年ヴェルディはブッセートから来てこの音楽院に入学を申し込んだが、不合格になった。しかしヴェルディの死後この音楽院は1901年以来ヴェルディ音楽院と呼ばれている。卒業生にはアルリーゴ・ボーイト、プッチーニ、カタラーニ、現代作曲家のべリオ、指揮者のクラウディオ・アッバードなどがいる。

●グランド・ホテル・エ・デ・ミラン Grand Hotel et de Milan
Via Monzoni 29 20121 Milano 電話:02 723141 Fax:02 86460861
1901年ジュゼッペ・ヴェルディは最期の数日このホテルで過ごし、1月27日に息を引き取った。部屋は105、106号室で、現在もヴェルディスイートとして使われている。この部屋は、当時の内装が残されている。ヴェルディの住まいのあるサンタアガータのヴェルディの家にはこのホテルのインテリアのコピーがある。他にもマリア・カラス、ヘミングウェー、画家デ・キリコなどの有名人が宿泊している。


ミラノデータ
ロンバルディア州

◆お薦めホテル
*マンゾーニ Manzoni ☆☆☆ モンテナポレオーネ通りの裏通りにあるホテル。
Via Santo Spirito 20 20121 Milano Tel:02 76005700 Fax:02 784212
*ズリーゴ Zurigo ☆☆☆ スカラ座に比較的近い3星ホテル
Corso Italia 11/a 20122 Milano Tel:02 72022260 Fax:02 72000013
*スター Star ☆☆☆ スカラ座に近い3星ホテルで設備もよい。
Via del Bossi 5 20121 Milano Tel:02 801501 Fax:02 861787
*カヴール Cavour☆☆☆☆ モンテナポレオーネ通りに近い4星ホテル
Via Fatebenefratelli 21 20121 Milano Tel:02 6572051 Fax:02 6592263
*ジョリーホテルプレシデント Jolly Hotel President ☆☆☆☆ スカラ座まで徒歩15分くらいの大きいホテル。
Largo Augusto 10 20122 Milano Tel:02 77461 Fax:02 783449

◇中央駅周辺
*リージェンシー Regency ☆☆☆☆ スカラ座から遠いが、ロマンティックな4星ホテル。
Via Arimondi 12 20155 Milano Tel:02 392 16021 Fax:02 39217734
*サンカルロ San Carlo ☆☆☆ 汽車で旅する人に便利な3星ホテル
Via Napo Torriani 28 20124 Milano Tel:02 6693236 Fax:02 6703116
*ニューヨーク New York ☆☆☆ 駅に近い3星ホテル
Via Pirelli 5 20124 Milano Tel:02 66985551 Fax:02 6697267
*センピオーネ Sempione ☆☆☆ パレスホテルのちかくにある3星ホテル、レストランもある。
Via Finocchiaro Aprile 11 20124 Milano Tel:02 6570323 Fax:02 6575379

■レストラン
*ドン・カルロス Don Carlos 室内がヴェルディ、マルゲリータの肖像画などで飾られている優雅なレストラン
Gran Hotel et de Milan Via Manzoni 29 20121 Milano Tel:02 72314640 Fax:02 86460861
*サヴィーニ Savini マリア・カラス、ヴィスコンティなどミラノの上流階級が訪れた。1867年創業
Galleria Vittorio Emanuele II 20121 Milano Tel:02 72003433 Fax:02 72022888
*アンティーコ・リストランテ・ブッチ Antico ristorante Boucc ドニゼッティ、ヴェルディ、ロッシーニが訪れ、1696年創業
Piazza Belgioioso 2 20121 Milano Tel:02 76020224 Fax:02 796173
*ビッフィ・スカーラ Biffi Scala テバルディとカラスの論争が始ったレストラン。1830年創業 Via Filodrammatici 2 20121 Milano Tel:02 866651 Fax:02 866653
*ベルティ Berti 創業時泥棒の集会所だったレストラン。ミラノ風カツレツがお薦め、1866年創業
Via Algarotti 20 20125 Milano Tel:02 6694627 Fax:02 6884158
*バグッタ Bagutta 店内が美術館のように現代絵画が展示されている。1924年創業
Via Bagutta 14 20121 Milano Tel:02 76000902 Fax:02 799613
*ジャンニーノ Giannino ベルルスコーニ、ムーティなどが訪れた1899年創業の歴史的レストラン
Via A.Sciesa 8 20135 Milano Tel:02 55195582 Fax:02 55195790
*ペーサ Pesa アルリーゴ・ボーイト、ホーチミン大統領などが訪れ、1880年創業
Viale Pasubio 10 20154 Milano Tel:02 6555741
*モンル Monlue マンゾーニの小説「いいなづけ」に書かれた1580年創業のレストラン
Via Monlue 75 20138 Milano Tel:02 7610246
*アル・ポルト Al Porto 魚介料理の美味しいレストラン
Piazzale Generale Cantore 20123 Milano Tel:02 89407425 Fax:02 8321481

■カフェ
*コーヴァ Cova ヴェルディ、ガリバルディ、マッツィーニなどが訪れた1817年創業のカフェ  Via Montenapoleone 8 20121Milano Tel:02 76000578 Fax:02 76013698
*ズッカ・イン・ガッレリーア Zucca in Galleria ヴェルディ、プッチーニが訪れ、86回壊された美しいガラスがある。創業1867年。
Piazza Duomo 21 20121 Milano Tel:02 86464435 Fax:02 86464435
*タヴェッジャ Taveggia マリア・カラス、オードリ・ヘップバーン、テバルディが訪れたカフェ。創業1909年
Via Visconti di Modrone 2 20122 Milano Tel:02 76021257 Fax:02 76015072




著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)
早大卒。1974年、旅行会社にて日本初のニューイヤー、スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年よりイタリアに住み、現在ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、イタリアの旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影を行う。

<著書>
「イタリアのべストラン」(透土社):トスカーナとイタリアのベストレストラン、ワイナリーなどを紹介。イタリア料理の人気の秘密をフランス料理と比較して解説。「イタリア歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社):イタリア各地の歴史的な面白い場所を203箇所紹介。イタリアで一番面白いガイドブック。「イタリアオペラツァー」(あんず堂):イタリア30都市でのオペラ体験紀行。音楽史跡、劇場、博物館、オペラを聞くために便利なホテル、レストランなど面白い情報を紹介。

 





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