
13世紀から14世紀にかけてイタリアでは自治都市が発達したがシエナもフィレンツェと並んで、商人と銀行家のお陰で繁栄した街の一つでした。この時代イタリアの諸都市ではゲルフィ党(教皇派)とギベリーニ党(皇帝派)との抗争が深まり、シエナは強大なフィレンツェに対抗し、長い抗争を続けた。
その時代の物語をオペラ化したのがドニゼッティの1837年に上演された「ピーア・デ・トロメイPia de’Tolomei」で、13世紀のシエナが舞台となっている。シエナの最盛期は13世紀後半から14世紀初頭にかけて、シエナ派と呼ばれる絵画の一派が生れ、ドゥッチョ、シモーネ・マルティーニ、ピエトロとアンブロージョのロレンゼェッティ兄弟らが活躍し、市の建造物や教会などに彼らの作品を見る事が出来る。
その後は1260年に起きたモンタペルティの戦いでフィレンツェを敗北させたが、次第に国力は衰退して行く。特に1348年のペストの流行は人口の激減をもたらし、衰退を加速した。
シエナにはキジアーナ音楽院があり、英才を輩出している。また、1950年代から60年代にかけて、活躍したバリトン歌手エットーレ・バスティアニーニもシエナ出身である。
シエナには夏パリオがある。イタリアでは夏から秋にかけてパリオが各地で行われるが、シエナのパリオが一番盛大だと評判である。また、夏にキジアーナ音楽祭が開催される。
●第73回夏のキジアーナ音楽祭 73 Estate Musicale Chigiana
今年で第73回目を迎えるキジアーナ夏の音楽祭は、シエナを中心にモンタルチーノやアシアーノなどシエナとその近郊の街でコンサートがある。
今年は名ピアニストマウリッツィオ・ポッリーニのコンサート、シューベルトの珍しいオペラでイタリア初演になる「“謀反人たち”、または“家庭の戦争”ともいう」などがある。
6月からはじまり、バイオリン、交響楽、合唱、ピアノ、クラリネットなど多彩なコンサートが8月末ごろまで行われる。今年のプログラムを紹介します。後ろにこの音楽祭のホーム・ページを記すので、行かれる方は詳細を確認して下さい。
□□第73回夏のキジアーナ音楽祭プログラム□□
6/23(水)19:00 Chiesa della SS.Annunziata アルテミス弦楽四重奏団コンサート
7/05(月)19:00 Chiesa della SS.Annunziata クリストフェ・ルーセットチェンバロコンサート
★クープラン,ラモーなどの作品
7/07(火)21:15 Chiesa di Sant’Agostino ライ交響楽団コンサート
指揮:ジェフリー:ターテ、メゾソプラノ:リオバ・ブラウン
★フンバーディンク、ワーグナー、ベルク、ドビッシーなどの作品
7/08(木)21:15 Teatro dei Rozzi ★“アッツィオ・コルギ”Azio Corghi
09(金) 指揮:ヴィットリオ・パリシ他
7/10(土)21:15 Chiesa Sant’Agostino フィレンツェ五月祭交響楽団、合唱団コンサート
指揮:ホセ・ルイス・バッソ
★ペトラッシ、ダラピッコラなどの作品
7/12(月)21:15 Chiesa di Sant’Agostino プラーハ国立交響楽団、合唱団コンサート
指揮:ガエターノ・デログ
★チェルビーニ「レクイエム」、ドボルザークの作品
7/13(火)21:15 Teatro dei Rozzi ★シューベルト作曲オペラ「謀反人たち(家庭の戦争)」
14(水)イタリア初演
7/15(木)21:15 Piazza Jacop della Quercia
★ガーシュイン作曲 パリのアメリカ人他
7/20(火)21:15 Chiesa di Sant’Agostino ジュリアーノ・カルミニョーラバイオリンコンサート、
ピアノ:矢野やすよ
★モーツァルト、ドビッシー、シューベルトなどの作品
7/24(土)18:30 Abbazia di Sant’Antino(Montalcino)
ミケーレ・カンパネッラピアノコンサート
★シューマン、ブラームスの作品など
7/27(火)19:00 Chiesa della SS.Annunziata ローラン・デ・サラム・バイオリン・チェロ・コンサート
★J.S.バッハ、ベリオの作品など
7/30(金)21:15 Teatro dei Rozzi マウリッツィオ・ポッリーニピアノ・コンサート
★ベートーベンのピアノ作品
7/31(土)22:00 Abbazia di San Galgano(Chiusdino) ソフィア・オーケストラコンサート
指揮:アルピ・ネイデノフ、クラリネット:アントニー・ぺイ
★ロッシーニ「タンクレーディ」序曲、モーツァルト「クラリネット協奏曲」
シューベルトの交響曲他
8/05(木)21:15 Chiesa di Sant’Agostino アントニオ・メネセス・ジェラルド・ウィス
バイオリン・チェロ・ピアノコンサート
★ショパン、マルティヌーの作品など
8/07(土)22:00 Abbazia di San Galgano(Chiusdino) ソフィア祝祭オーケストラ
コンサート 指揮:アルピ・ネイデノフ、バイオリン:ボリス・ベルキン他
★モーツァルト、シューベルト、ヴェーバーの作品
8/10(火)21:30 Abbazia di Monte Oliveto Maggiore(Asiano)
ヨアキン・アックカッロピアノコンサート
★ショパン、グラナドスの作品など
8/11(水)21:15 Chiesa di Sant’Agostino パトリック・ガロイスフルートコンサート
★J.S.バッハ、マルティヌーなどの作品
8/19(木)21:00 Chiesa di Sant’Agostino イタリア室内オーケストラコンサート
指揮・バイオリン:サルヴァトーレ・アッカルド
★J.S.バッハのバイオリンコンチェルト
8/21(土)21:15 Chiesa di Sant’Agostino ブルーノ・ジュラーナ・ヴィオラコンサート
ピアノ:ロベルト・アロジオ
★J.S.バッハ、ヒンデミット、ブラームスなどの作品
8/25(火)21:15 Chiesa di Sant’Agostino ルイス・バカロフピアノコンサート
★アルゼンチンタンゴなど
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♪インフォメーション
Accademia Musicale Chigiana
Via di Citt.89 53100 Siena
Tel:0577 22091
Fax:0577 288124 E-mail:accademia.chigiana@chigiana.it
Internt:www.chigiana.it

●テアトロ・リンノヴァーティ Teatro dei Rinnovati
この劇場はプブリコ宮殿内の会議場であったが、1560年シエナへメディチ家のコジモ大公が、来訪した時に演劇を上演する劇場へ改装された。その後1667年に建築家のカルロ・フォンタナCarlo
Fontana が改装した。1654年設立のアッカデミア・デイ・リンノヴァーティAccademia dei Rinnovatiとは長く提携関係にあった。
1670年のアッカデミア・デイ・リンノヴァーティによるチェスティの<ラアルジャL’Argia)が、この劇場で初演された最初のオペラ。この時名称をテアトロ・グランデと改めた。その後火災、再建などが繰り返された。現在の建物は1950年の改築されたスタイルで18世紀のガッリ・ビビエナの設計によっている。その際再び名称が現在の名前に戻った。この劇場では現在オペラ、コンサートなどが行われている。席数は550席、4層のパルコがあり、金をふんだんに使った美しい劇場である。
●ドゥオーモ Duomo
ゴチック形式の最高傑作であるドゥオーモの建設は、12世紀中頃に始められたと思われる。
フィレンツェのドゥオーモの建設に刺激され、それ以上のものを造ろうと設計の改造が行われたが、頓挫し、その後1376年から1382年にファサードとアプスが完成し、オルガンは1376年に造られた。身廊はピントリッキオPinturicchio
、ベッカーフミBeccafumiなどシエナ派の画家40名が製作に加わった。身廊左壁面奥にA.ブレーニョによる<ピッコロ・ミニ家の祭壇)(1463)があり、その4体の彫刻はミケランジェロ、一つはクエルチャが製作した。
主祭壇にはヴェッキエッタVecchiettaによる聖体容器がある。1880年8月21日ドゥオーモを訪れたワーグナーはこの聖堂に感動し、同行した画家のジュコフスキーにそれをスケッツチさせ、これが後に「パルジファルParsifalの聖杯の殿堂の舞台装置のモデルになった。隣にドゥオーモ美術館があり、ドゥオーモのファサードを飾っていたジョヴァンニ・ピサーノの10体の彫像、ドゥッチョの大祭壇画「マエスタ」があり、他にもシエナ派の画家達の名画の宝庫である。
●市庁舎(プブリコ宮殿)Palazzo Pubblico
1297年から1342年にかけて建設されたトスカーナの市庁舎の中で最も優美な建築。
一階は現在も市庁舎として使用されている。建物の上に102メートルのマンジャの塔Torre del Mangia(1338-1348)が聳えている。2、3階は市立美術館になっており、2階入り口右手は世界地図の間Sala
del Mappamondoがあり、シモーネ・マルティーニの「マエスタ」、「モンテマッシの攻略に向かうグイドリッチョ・フォリアーノ」が描かれている。これに続く平和の間Sala
della Paceにはアンブロジョ・ロレンゼェッティAmbrogio Lorenzettiの描いた名画「良き政府と良き政府の効果」、「悪しき政府と悪しき政府の効果」の2枚の絵画がある。この絵画では、当時シエナでは世俗音楽が盛んで、また当時の絵画に描かれた風景と現在のシエナの景色があまり変わってない事が見られる。
●カンポ広場 Piazza del Campo
市庁舎を中心にして扇型に広がっているイタリア屈指の美しい広場。中央にフォンテ・ガイアFonte
Gaiaの噴水 がある。ガイアというのは「喜び」という意味で、丘上にあるシエナは水の供給に苦労していたが、街の中心に初めて水が引かれた事を記念して造られた。
その際喜びのあまり大騒ぎした事に名前は由来するといわれている。夏に開催されるパリオが行われるのもこの場所である。
●サン・ドメ二コ教会 Basilica di S.Domenico
13世紀から15世紀に建設されたゴチック様式の教会、ここの回心の礼拝堂Cappella delle
Volteに、聖女カテリーナと同時代に活躍した画家A.ヴァンニの製作した本物の「聖女カテリーナ・ダ・シエナ」の本物のフレスコ画がある。またソドマの描いたフレスコ画もある。
ジョヴァンニ・ダ・ステーファノが製作したルネッサンス様式の美しい大理石の聖櫃に中には聖カテリーナの頭部が安置されている。
●ピナコテカ・ナツィオナーレ Pinacoteca Nazionale
15世紀に建設されたブオンシニョーリ宮殿内に設けられた絵画館で、中には12世紀末から17世紀前半ごろまでのシエナ派の傑作、シモーネ・マルティーニの「幼な児を抱く聖母」、ドゥッチョ「フランシス会士の聖母」、A.ロレンゼェッティの2点のヨーロッパ最初の風景画と「聖母子」、他にベッカーフミ、ドメ二コ・ディ・バルトロメオ、ソドマ、ネロッチョ、ジョヴァンニ・ディ・パオロなどシエナ派の画家達の作品が多数ある。
●サンタ・アゴスティーノ教会 Chiesa di Sant’Agostino
13世紀に建設された教会で、その後18世紀にルイジ・ヴァンヴィテッリLuisi Vanvitelli
によって改築された。右手の2番目の祭壇画はペルジーノ作「聖人達を伴った十字架のキリスト」がある。その隣にあるのがピッコロミーニ礼拝堂Cappella
Bichiの奥の壁面にA. ロレンゼェティの描いた「聖母子」、祭壇の上にはソドマの「東方3博士の礼拝」があり、天井にはルカ・シニョレッリの描いた<巫女を表現する>フレスコ画がある。音響がよくここではコンサートが度々行われている。
●サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会 Basilica dei S.Maria dei Servi
1234年にシエナに定住した聖母マリア下僕会会士セルヴィティが13世紀に建設を始めた。
内部には13世紀から16世紀にかけてのシエナ派の絵画が飾られている。シエナとフィレンツェが争ったモンタペルティの戦いで、シエナに捕虜として連れてこられた画家コッポ・ディ・マルコヴァルドCppo
Di Marcovaldoが自由の身になるために1261年に描いた「ボルドーネの聖母」、マッテオ・ジョヴァンニ作「嬰児虐殺」、ピエトロ・ロレンゼェッティのフレスコ画「ヘロデの宴」「洗礼者ヨハネの死」など名画が飾られている。
●語学学校ダンテ・アリギエーリ Sculoa Dante Alighieri
シエナにあるイタリア語の学校ダンテ・アリギエーリは、熱心な指導でイタリア語を学ぶ人達には人気のある学校だが、この本部の建物が、音楽史上有名な建物である事は案外知られていない。この学校のルカ・ボニーニ校長は音楽に造詣が深く、「マリア・カラス」や「ラ・トラヴィアタ」などの講義を学校で行っている。そのルカ先生の話によると、ダンテ・アリギエーリのあるリッサ広場の建物は18世紀に活躍したカストラート歌手ファリネッリと同時代のカストラート歌手ベルナルディが建てた由緒ある建築だという。内部のある部屋にはグルックのオペラ「オルフェーオ」の場面を描いた美しいフレスコ画がある。
ここで勉強する機会のある人は、このフレスコ画をご覧になることをお薦めします。
またサン・ドメ二コ教会の中にこの学校の分室があり、そのテラスから見る景色はドゥオーモとマンジャの塔などが調和し、素晴らしい景色を見る事が出来る。
●パリオ
Palio
イタリア最大の夏の風物詩がシエナで7月2日と8月16日の2回開催されるパリオだ。
シエナのパリオが記録に初めて登場するのは1147年8月16日といわれている。シエナに聖母マリアが出現したとされる7月2日のプロヴェンツァーノの祝日と8月16日に行われる聖母被昇天祭は、騎手が裸馬に乗ってカンポ広場に設営された土のコースを3周してスピードを競う。騎手が落馬しても馬が単独でゴールに入ればその馬の勝ちとなる。イタリアの祭はどこでも民族の熱い息吹を感ずるが、シエナの場合は、人々の思い入れが人一倍強く、シエナ人はこのスペシャルな祭りのために一年を過ごしているような錯覚に陥るほど、人々に密着したエベントになっている。シエナに生れると17のコントラーダという地域に所属する事になる。
パリオに参加できるのは前年参加しなかったコントラーダで、翌年無条件で出場できる。後の3つの出場枠は前年参加したコントラーダ同士で籤引きをして残りの3つが選ばれ、毎年10のコントラーダがパリオに参加する。レースがはじまる前に歴史的衣装を着た人々や牛車のひく山車、またそのコントラーダを代表する人達の旗を振るセレモニーなどがある。
シエナのコントラーダの衣装は、亀、貝殻、キリン、ヤマアラシなど色々の動物の絵柄が美しい色彩で描かれ、カラフルな衣装を着た青年、馬に乗り中世の騎士の姿をした人など、まるで歴史絵巻を見ているように美しい。
競技が行われる時期は毎日のように晩餐会が繰り広げられる。
シエナ生れの名バリトン、エットーレ・バスティアニーニは、パンテーラ(ひょう)の出身で、1959年から死ぬまで、カピターノ(隊長)を務めていた。晩年のバスティアニー二は病に冒され、楽しいことは少なかったが、彼が隊長を務めたコントラーダパンテーラが1963年のパリオに優勝した。
彼の尽力に感謝したパンテーラのメンバーが、バスティアニーニに感謝の碑文の入ったプレートをプレゼントした。バスティアニー二の晩年の悲しい人生においてパリオの優勝とコントラーダの人々との熱い交流は彼の大きな慰めになった。
●キジアーナ音楽院 Fondazione Accademia Musicale Chigiana
1932年にシエナのグイード・キージ・サラチーニ伯爵により創立された音楽院。1939年にアカデミーとして正式認可された。シエナ音楽週間Settimana
Musicali Senessiもこのころから始まった。指揮者のリッカルド・シャイーら優秀な音楽家を輩出している。
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☆エットーレ・バスティアニーニ
E.Bastianiniの生家と墓
シエナは往年の名バリトン歌手エットーレ・バスティアニーニの生れた街である。
私自身彼の実演は聞いていないが、彼が死んで37年経過しているにもかかわらず、彼の足跡を訪ねるツァーが日本から出るくらい一部のオペラファンに愛されている。
手短に生涯を辿ると、1922年シエナの貧しい家に生まれ、パンフォルテやチャルダなどを作る工房で働いていたが、美声を認められ地元の合唱団に入り、頭角を現す。その後フィレンツェのテアトロ・コムナーレのオペラコースで歌の勉強をし、1945年ラヴェンナで「ラ・ボエーム」のコッリーネ役で本格的なオペラデビューをする。
1948年春にはスカラ座でストラヴィンスキーの「エディプス」に出演し、好評を博す。最初バス歌手としてデビューしたが、1950年バス歌手からバリトンに転向し、1952年1月シエナのテアトロ・リンノヴァーティで「ラ・トラヴィアタ」のジェルモン役で再デビューする。
1953年から1960年ごろまでが彼のキャリアの絶頂期で、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネ−ギン」で、バリトンとしてスカラ座再デビューする。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、フェニーチェ劇場、ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場などで活躍し、第一級のバリトンとして評価が高まる。第2次大戦後のオペラの黄金時代といわれたスカラ座のマリア・カラスがプリマ・ドンナとして君臨していた時代、バスティアニーにも絶頂期を迎え、スカラ座で「ラ・トラヴィアタ」「仮面舞踏会」などで共演し、マリア・カラスと人気を2分したソプラノレナータ・テバルディとスカラ座の「アンドレア・シェニエ」などで共演している。その頃はウィーン、ボストン、ヴェローナ、クリーヴランド、ナポリ、ローマ、フィレンツェなどヨーロッパとアメリカで華々しく活躍した。
彼は、ビロードのような釣り合いの取れた、稀に見る美しい抒情的声の持ち主といわれ、一世を風靡した。
しかし1962年4月10日のスカラ座で「リゴレット」を歌い大失敗する。
段々癌に侵されている事がわかるが、病を押して出演を続けた。彼の最後のウィーンでの公演は1965年4月15日「ドン・カルロ」だった。その後日本に来日、最後のアメリカツァーに参加し、同じ年の12月11日メトロポリタンで「ドン・カルロ」を歌った。
最後はシエナやシルミオーネで療養につとめたが、1967年1月25日シルミオーネで亡くなる。享年44歳だった。
彼の葬儀は2日後の1月27日に行われ、コントラーダが取り仕切り、棺はシエナのラテリーノ墓地に葬られた。私は1998年シエナに住んでいた頃、この墓地を参拝した事があった。花に囲まれた美しい楽園のような所で、バスティアニーニの顔写真が飾ってあった。シエナにはE.バスティニーニ通りがあり、そこに彼の生家があり、建物の外壁に記念碑が掲げられている。
* 読者の方でイタリアへ音楽旅行される方で、質問のある人はご連絡下さい。チケット、ホテル、レストラン、音楽史跡など私のわかる範囲でお答えします。どうか奮って連絡下さい。
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