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15 febbraio 2006

第33回 ボルツァーノからロヴェレートへ

モーツァルトのイタリア旅行 (2)

牧野 宣彦


ヨーロッパで最初にモーツァルトの偉業を讃えた記念碑、調和の小神殿
●ボルツァーノ
1769年12月21日朝ブレッサノーネを出発したモーツァルト父子は、イサルコ川とアディジェ川の合流点に位置する街ボルツァーノへ着いた。イタリアよりオーストリアの雰囲気のする美しい街で、摺り鉢の底のような場所に街が開け、彼方の丘は葡萄の植えられた斜面や雪を被ったアルプスが見える。
モーツァルト父子は、この町のホテルZum Sonne(太陽亭)に泊っている。このホテルにはゲーテも宿泊しているが、現在ホテルは1873年になくなり存在しない。しかし私は2001年の8月にボルツァーノを訪れた時、エルベ広場からムゼウムMuseum通りに入る入り口にピザ屋さんがあり、ここにゲーテ、ヘルダーなどが宿泊したと書かれた記念碑を見付けた。Il Soleはまさしくモーツァルトの泊ったZum Sonneであった。

ボルツァーノの街を歩いて気づいたのは中世の吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの像のある広場や同じ吟遊詩人として有名なオスヴァルト・フォン・ヴォルケンシュタインの名前を持つ通りなどがあり、ドイツのミネゼンガーがこの地で活躍していたのが偲ばれる。街を歩いているとイタリアというよりドイツ中世の街ローテンブルクなどと同じ様な建築が見られる。ヴァルター広場に面している場所に建っているドゥオーモは赤みがかった砂岩で造られ、ロマネスクとゴシック両方の様式の共存が見られ、65メートルの高い鐘楼が青空に突き出ていた。建物の前にはむらさきの猿すべりの花が可憐な花をつけていた。

毎年発表されるイタリアの生活ランキングでも生活の質の高さでは上位にある街で、犯罪なども少ない美しい街だが、モーツァルト父子は、この町を好きでなかったらしい。レオポルトはポーツェン(イタリア語でボルツァーノ)を「陰気なポーツェン」と形容し、息子は「狐、悪魔、野卑、強欲なポーツェンを詠む詩人として」と書き、「またポーツェンに来なくてはいけないのなら自分で自分を力任せに打った方がまし」とまで記している。
写真左:ボルツァーノ、右:トレント

●トレント郊外、初夜権を行使していた領主の住んでいた城
1769年12月23日(土)午後ボルツァーノを出発したモーツァルト父子はその夜エーニャ(ノイマルクト)に宿を取り、翌日エーニャを出発しロヴェレートへ向かった。
エーニャから35キロ南下した所にトレントの街がある。カトリックの信仰厚かったレオポルドがどうして、このカトリックの壮麗な教会や歴史的由緒のある建物を見ないで通過して行ったかは疑問だが、マルチン・ルターの宗教改革の後、カトリックの首脳がその対策を協議したのが1545年から18年もの長期に渡って開催された「トレント公会議」だった。

そのトレントの郊外にペルジネPergine Valsuganaという場所がある。現在このお城はCastel Pergineという名前のレストランになっているが、城は10世紀に建てられたもので、昔ここにモーツァルトの「フィガロの結婚」の中に出てくる初夜権を行使した領主が住んでいたという。
モーツァルトの作曲した「フィガロの結婚」はオペラ史上でも屈指の傑作と言われる。フィガロがスザンナと結婚する事になったが、スザンナは処女を領主であるアルマヴィヴァ伯爵に捧げるようになりそうだった。それを如何にして回避するかフィガロが奔走する、というのがこのオペラの物語だ。
昭和音楽大学の教授で日本一のオペラ研究家の永竹由幸先生によると、トレントの近くのペルジネという村に住んでいた領主が、初夜権を沢山行使したという。そしてトレント市立図書館には1166年にトレントの近郊のペルジネという村で、領民たちが「もう初夜権の行使は止めてほしい」とペルジネ代官の悪行を、その上司であるヴィチェンツァの総督に直訴したという記録が残っているそうである。

私は物好きにもこのレストランに行き、この地方の料理を食べたが、とても美味しかったし、庭からは美しいパノラマが見えた。

写真:ペルジネの城


●モーツァルトを歓迎したロヴェレート
モーツァルト父子がロヴェレートに着いたのは、1769年12月24日、クリスマスイヴだった。現在は人口が約3万人位の街だが、モーツァルトがこの街に到着した頃の人口は8000人か9000人くらいの小さな街だった。ラガリーナ渓谷Val Lagarinaが広くなった場所、アディジェ川Adige に合流する地点にある。
街の歴史は、市の資料によると15世紀以前については書かれていない。1416年ロヴェレートはヴェネツィアの総督トマーゾ・モチェニーゴTomaso Mocenigoの率いる軍隊によって陥落し、その後ヴェネツィアに1509年まで支配された。街のチェントロ・ストリコにはヴェネツィアスタイルの優雅な建築の名残りが随所に見られる。
モーツァルトが宿泊したのは、Corso Bettini 13番地にあったZum Roseというホテルで現存していないが、今は1階が不動産屋になっていて、その店の上の壁にゲーテがこの場所にあったZum Rose に宿泊した事が書かれていた。モーツァルトが泊った事は書かれていないが、恐らく当時ロヴェレートにはホテルはここくらいしかなかったのだろう。今でも駅前の通りにある3ツ星のホテルロヴェレート以外にはホテルを見付けるのに苦労する小さな街である。

写真左:地元出身の20世紀のオペラ作曲家リッカルド・ザンドナイにちなんで
名づけられたロヴェレートのザンドナイ劇場、右:モーツァルト

モーツァルト父子はこの街で大歓迎を受けた。ロヴェレートの滞在の事をレオポルドは妻に1770年1月7日付けの妻への手紙で書いている。「ロヴェレートに着いたか着かないかのうちに、早速クリスター二さんと言う人がやって来たが、この人はルーペトゥス学院で演じられた「セトーの子」という芝居で貴婦人役をやった人です。この人はお兄様の名で午餐に招待してくれました。このお兄様って誰かと思うかね。?ザルツブルクの侍童監督官で、宗教局評定官のクリスター二様の所におられ、私のヴァイオリンの弟子だったニーコラウス・クリスター二だったのです。この人はロヴェレートとその一帯の郡長で、皇太后陛下の名代でこの地におられるのです。・・・(中略)私達がこの方の所を訪問するとウォルフガングはすぐにお前にそっくりだと言われた。この方はいまだにはっきりお前の事を覚えているのだ。」

このクリスマスの食事にはザルツブルク時代からの知人で今回も招待状を書いてくれたロドゥローン家の一族であるセッティモ・ロドゥローン伯爵も来た。またクリスター二の親戚関係にあるヨハン・アンドレアス・クリスター二とも20数年ぶりに会う事が出来、ウィーンでもモーツァルトの音楽を聴いた事もあるロヴェレートの市長トデッキ男爵の邸で、貴族たちを集めて音楽会が催された。これはモーツァルトのイタリアでの最初の演奏会であり、多大な拍手と賞賛を浴びたに違いない。
レオポルドの手紙によると「ヴォルフガングがいかに彼の栄誉であったかは書くまでもありません。」と述べている。モーツァルトの評判はすぐに広まり、翌日の午後彼らがサン・マルコ教会を訪れたら街の全ての人が集まり、「聖歌隊に行くのに、前に腕力のある男達が立ち、更にオルガンまで行くのに7,8分かかった」とレオポルドは記している。モーツァルトはこの教会のオルガンを弾き、ロヴェレートの人々を魅了した。

写真:ロヴェレートでモーツァルトが初めてオルガンを演奏したサン・マルコ教会

この時のレオポルドのメモ帳にブリーディ伯爵の名前が見出される。ミラノの評議員であり、ピアノを弾き、歌も上手に歌ったという人で、その後ウィーンでモーツァルトに会い、交友を深めるジュゼッペ・アントニオ・ブリーディは彼の甥であった。甥のブリーディは1781年銀行家として父親の代理でウィーンに来た。そしてモーツァルトと知り合う。美声の持ち主で、芸術全般に深い造詣を持っていたという。1786年3月ドナウ・メトロポールで私演された「イドメネオ」にモーツァルトと共演している。
このブリーディ伯爵が世界で初めてモーツァルトの音楽的価値を認め、モーツァルトとの友情と音楽的栄誉を讃える為に記念碑を建てた人物で、モーツァルトの死後もモーツァルトの息子、最初のモーツァルトの伝記を書いたモーツァルトの妻コンスタンツェと後に夫となるニッセンとも交流があった。ロヴェレートの中心から少し離れたViale Trento 42番地に旧ブリーディ別邸がある。

現在はお医者さんのDe Probizer氏の私邸だが、広大な庭の一角に丸屋根にギリシャ風の柱に支えられた「調和の小神殿Tempio dell'Aromonia」が立っている。造られたのは1825年で、ピエトロ・アンドライスPietro Andreisが設計した。色が褪せた天井の絵はジュゼッペ・クラフォナーラGiuseppe Craffonaraの描いたもので、「音楽のオリュンポス」が描かれている。
この庭の奥の樹木が茂って薄暗い所に2つのモーツァルトのための石碑がある。ブリーディはモーツァルトの遺骨が紛失したのを嘆き、上部に大理石の骨壷をつけた墓標を1831年に造った。行方不明のモーツァルトの遺骨をここに集めてまつっているという想定のもとに造られたという。そこには「音楽的思考の精霊の主」という文字が書き込まれている。またブリーディはモーツァルトの全てを讃え、深い友情の気持ちを記した小さな石碑を置いた。
私がここを最初に訪れたのは1996年の夏で、ヴェローナの音楽祭を見に来た時だった。タクシーで行ったが、誰に聞いても場所がわからず30分位ロヴェレートの街を走り回りやっと着いた。私が写真を見せてここに行きたいと言うと、出て来た年老いた婦人が親切に案内してくれた。庭を散策するのも大変な広大な庭で、彼方には荒い岩壁のアルプスの山の下に緑の葡萄畑と教会の尖塔が見える素晴らしいパノラマだった。
モーツァルトの碑を建てた家族と現在の所有者は変わってしまったが、異国の人をもてなす心はこの家族にも受け継がれているようでとても嬉しかった。私が一緒に撮った写真を送ったら礼状が来たのが思い出される。


●マルツェミーノ
ロヴェレートの周辺は、鉄道の路線に沿ってアディジェ川が流れている。その川岸には葡萄園が沢山見られる。
この地方の有名なワインといえばマルツェミーノMarzemino、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の最終幕ドン・ジョヴァンニがワインを飲みながら「エチェレンテ・マルツェミーノ(素晴らしいマルツェミーノ)」と歌う場面がある。ロヴェレートでモーツァルトはこのワインを沢山飲んだのだろうか? モーツァルトがマルツェミーノを好きだった事を知った「ドン・ジョヴァンニ」の台本を書いたダ・ポンテ Da Ponteがオペラの中にマルツェミーノを挿入したといわれる。

私もロヴェレートを旅行した時、このワインを飲んでみた。バローロのような高級なワインではなく、値段も手頃だったが、味わい深いワインだった。

データ

お薦めホテル
ボルツァーノ Bolzano
★Laurin 1910年創業、駅にもチェントロに近く、設備も良い。オーストリア皇帝カール、サヴォイア家のウンベルト国王などが泊った歴史的ホテル、4ツ星
Via Lauri 4 39100 Bolzano
Tel:0471 311000 Fax:0471 311148
E-mail:info@laurin.it

ペルジネ Pergine Valdarno
★Castel Pergine 12世紀ごろ初夜権を行使していた領主が住んでいた城、現在ホテル、レストラン、パノラマが美しい。
Pergine Valdarno
Tel:0461 552145 Fax:0461 531329
E-mail:verena@castelpergine.it

ロヴェレート Roveretoe
★Rovereto  駅から近い3ツ星ホテル、レストランもある。
Corso Rosmini 82 Rovereto
Tel:0464 435222 Fax:0464 439644
E-mail:rovereto@rovhotels.com



スカラ座のモーツァルト展
現在スカラ座の博物館では、モーツァルト生誕250年に因んで、モーツァルト展が開催されている。
私も見学して来たが、面白い展示があるので、スカラ座を訪れた方は是非見学することをお勧めします。ここには去年の12月7日に上演されたモーツァルトのオペラ「イドメネオ」のパネル、最近のスカラ座で上演されたモーツァルトのオペラのビデオ、カラヤンが1951年に指揮し、演出した「ドン・ジョヴァンニ」の舞台の模型、モーツァルトがミラノで初演した1772年のドゥカーレ劇場の「ルチオ・シッラ」の舞台のセット、1928年に作曲家リヒヤルト・シュトラウスが指揮した「フィガロの結婚」の模型など興味深い展示がある。私が最も魅了されたのは1956年1月27日、モーツァルト生誕200年の記念日に上演された「コジ・ファン・トゥッテ」のポスターとセットで、この時はフィオルディージを往年の名歌手シュヴァルツコップ、グリエルモがローランド・パネライ、フェルランドがルイジ・アルヴァなどの名歌手が出演している。
期間は2006年1月28日から2006年9月30日迄、入場料は5ヨーロ。

スカラ座 イタリアオペラ鑑賞会ではスカラ座でオペラをご覧になりたい人の為にスカラ座のオペラチケットを取る代行サービスを始めました。リニューアルされたスカラ座のチケットの確保は御存知のように多忙な人にとってはなかなか大変です。しかし当会では長年の経験を生かしてスカラ座のチケット確保の特別なルートを開拓し、以下のようなサービスを始めましたので御利用下さい。 スカラ座とその他イタリアのオペラハウスのチケットの手配、フェニーチェ座、ボローニャ、パルマ、ローマ、ジェノヴァ、トリノ、夏の音楽祭(ペーザロ、ヴェローナ)など、JITRAのイタリアオペラカレンダーで紹介している劇場の全てのチケットの手配が可能です。個人、イタリアへの音楽ツアーを企画する旅行会社の方もOKです。チケット手配ご希望の方はまず当会の会員登録をお願いします。登録料は一切かかりません。
しかし、チケットの手配については一枚4000円から5000円の手数料がかかります。日程、キャストなどは、チケットの手配を受け付けた方のみお調べします。


★2005年12月から2006年にかけての主な演目と劇場★
* 12月7日 スカラ座初日はハーディング指揮の「イドメネオ」  スカラ座 ミラノ
* ホセ・クーラの「アンドレア・シェニエ」  テアトロ・コムナーレ ボローニャ
* 1月末〜2月 シャイー指揮の「リゴレット」  スカラ座 ミラノ
* 1月下旬 「ファヴォリータ」(バルチェローナ他)  カルロ・フェリーチェ ジェノヴァ
* 2月 ストレーラー演出の「フィガロの結婚」  スカラ座 ミラノ
* 2月末〜3月初め フローレス出演の「セヴィリアの理髪師」  テアトロ・コムナーレ ボローニャ
* 4月 「ノルマ」(テオトッシュウ、バルチェローナ出演)  テアトロ・マッシモ パレルモ
* 4月 マゼール指揮の「トスカ」  スカラ座 ミラノ
* 3月、7月 「ランメルモールのルチーア」  スカラ座 ミラノ
* 6月 「仮面舞踏会」  カルロ・フェリーチェ ジェノヴァ

詳細については下記の場所にメイルでお問い合わせ下さい。
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イタリアオペラ鑑賞会
☆詳細は下記の場所に連絡を願います。
Tel/Fax:043 246 1571(日本)
E-mail:joschuajp@ybb.ne.jp


著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。
 





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