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15 aprile 2006

第35回 マントヴァからミラノへ

モーツァルトのイタリア旅行 (4)

牧野 宣彦


●18世紀のミラノ 1770年1月19日マントヴァを発ったモーツァルト父子は途中マントヴァから28キロ離れたボッツォーロに一泊し、ここで大歓迎を受けた。そしてモーツァルトは即興演奏をした事が記録に残っている。

その後父子はクレモナに向かう。クレモナはヴァイオリンの街、そしてイタリアで最も高い塔、111メートルのトラッツォTrazzoがある。モーツァルトは現在のポンキエッリ劇場で、ハッセHasseが作曲し、メタスタージオMetastagio台本による「ティート帝の慈悲」を見た。そして恐らくここで2泊(ボッツォーロ2泊、クレモナ一泊という説もある)し、ミラノへ向かった。

1770年1月23日の正午モーツァルト父子はミラノに到着し、宿泊したのはサン・マルコのアウグスト修道会修道院だった。レオポルトの妻への手紙では、この宿泊場所が快適で、無料で3つの部屋があてがわれた事が書かれている。何よりも父子のミラノにおける最大の保護者で、ミラノ総督府長官を務めるカール・ヨーゼフ・フェルミアンCarl Josef Fermian伯爵の住居であるメルツィ宮の近くであった。
私がここを訪れたのは2004年8月だった。夏の暑い日で、以前にあったカフェモーツァルトを探して歩いてみたが、同じ番地には同名のカフェは存在しなかった。その後歩いてサン・マルコ修道院跡に行ってみた。ここはVia San Marcoにあり、ミラノに運河が通っていた名残りが見られた。
当時北イタリアの一部を支配していたのはハプスブルク家で、その中でもミラノは最も重要な街であり、マリア・テレジアの息子のフェルディナンド大公がミラノの総督だった。モーツァルトは後にこの人から新作オペラの依頼を受ける。総督府長官カール・ヨーゼフ・フェルミアーン伯爵はザルツブルクの大司教シュラッテンバッハ伯の前任者レオポルト・アントン・フェルミアーンの甥となる人物で、レオポルトがミラノにおいて最も頼りにしたつてであった。そして伯爵は父子に多くの便宜を図った。

写真左:インガー二の描いたスカラ座。ミラノのスカラ座はモーツァルトが最初に
ミラノを訪問した7年後の1778年に建てられた 、右:スカラ座内部
モーツァルトがやって来た1770年のミラノは人口が約12万人、ハプスブルク家の支配下にあり、ミラノの最高の時代といわれる。啓蒙主義思想がウィーンから流入し、多くの社会的改革が行われ、文化的にも1778年にスカラ座が建立された。音楽においても大バッハの末息子クリスチャン・バッハChristian Bachが1760年から2年間ドゥオーモのオルガ二ストを勤めていた。

フェルミアーン伯爵はモーツァルト父子がミラノへ到着後、音楽会を開催しようとするが、自身の体調が悪く、なかなか実現せず、到着してから約2週間後の2月7日にミラノの音楽関係者、有力者を招いて晩餐会が開かれた。モーツァルトはいつもと同じ様にピアノの腕前を披露した。またそこでグルックの先生であったサンマルティーニSammartini(1700〜1775)などとも知り合い面識を得た。
2月18日フェルミアーン伯爵の招待でモデナ公フランチェスコ3世が孫娘の大公女マリア・リッチャルダを伴ってモーツァルトの演奏を聞きに来た。そしてその日の夜ミラノではオペラと舞踏会が開催された。このマリア・リッチャルダ大公女は、ミラノ総督フェルディナンド大公の婚約者で、後にモーツァルトはマリア・テレジア女帝より、この第3皇子の結婚のための祝典劇の作曲を依頼される。
3月12日フェルミアーン伯爵は邸内で、大公、大公女,G.ポッツォーンボネッリ枢機卿などミラノの有力なVIPを招いてコンサートを開いた。モーツァルトは先に伯爵から送られたメタスタージオの全集のテキストを選び、アリア3曲、レスタティーヴォ1曲を作曲し、演奏する。
この時の収入も期待した程ではなかったが、モーツァルトは伯爵からクリスマスのシーズンにドゥカーレ劇場Teatro Regio Ducaleで上演するオペラの依頼を受けた。また、金をちりばめた煙草入れ、20ジュリアート金貨、パルマ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリなどこれから訪問する街の貴族、有力者の紹介状などをもらい1770年3月15日にミラノを出発し、ボローニャへ向かった。

●再びミラノへ
モーツァルト父子は約7ヶ月後に再びミラノに戻って来る。モーツァルトはイタリアを旅行し、体も一回り大きくなり、声も変わり大人になって1770年10月にミラノを再び訪れ、依頼されていたオペラ「ミトリダーテ、ポントの王Mitrdate,Re di Ponte」を歯の痛みと腫れに耐えながら完成させた。そしてその年の12月26日に初演され、アンコールが出る程の熱狂的な声援に迎えられ、大成功でオペラはその翌日に再演、また29日にも上演され、モーツァルトは第一クラヴィアを弾きながら指揮をした。モーツァルトがミラノを出発する1771年2月4日までの間に20回の上演が行われたといわれる。
モーツァルトは1月14日から31日までトリノへ旅行する。その後ヴェネツィアへ父子は出発した。

モーツァルトはミラノでオペラ作曲家として成功し、その後も新しいオペラを依頼された。次にモーツァルトがミラノを訪れたのは1771年8月13日で、同年の12月15日まで滞在している。

イタリアからザルツブルクに戻る途中、モーツァルトはマリア・テレジア女帝から、ロンバルディア総督フェルディナンド大公とモデナ公女マリア・ベアトリーチェ・リッチャルダ・デステとの婚儀の為にその祝典用のオペラを依頼された。そしてモーツァルトは「アルバのアスカー二オAscanio in Alba」を作曲した。このオペラはギリシャ神話の物語で、アルバをロンバルディア公国になぞらえ、ヴィーナスがマリア・テレジア、アスカー二オがフェルディナンド大公、シルヴィアをリッチャルダ妃に見立て、2人が結ばれ平和に国を治めるという内容である。1771年10月17日に初演され、前日上演されたハッセの「ルッジェーロ」より成功を収め、町を歩いても声をかけられるほどの有名人になった。
この成功をたてにレオポルトは、ミラノで盛んに就職活動を展開するが、父が望んだミラノの宮廷音楽家として登用されるという夢ははかなく消えた。フェルディナンド大公は、モーツァルトの宮廷音楽家への雇用を考慮するが、モーツァルトと2歳しか年齢が違わないフェルディナンドは母マリア・テレジアに意見を求める。女帝からの手紙には「作曲家という無用な者を必要とするとは思わない。無用な人間を雇い、肩書きを与えてはならない。乞食のように世間を渡り歩いている者達は、宮廷の奉公人としてよくない」という非情なものだった。

写真左:パラッツォ・レアーレ、モーツァルトが訪れた頃ここに劇場があった
右:パラッツォ・レアーレの中庭のイメージ
モーツァルトが3度目のイタリア訪問をしたのは、ミラノで「ルーチョ・シッラLucio Silla」というオペラを上演する為であった。古代ローマ時代の執政官実在の人物スッラがモデルだった。モーツァルトは一部をザルツブルクで作曲し、残りは現地の歌手達と相談して完成させるつもりだった。初日まで時間がない。その上スッラ役の歌手が降りたため、ヒロインのジュー二ア役を主役に引き上げる事になったのだが、その後このジュー二ア役の歌手が素晴らしい声とコララトゥーラの技巧を持つ歌手である事がわかった。そこでモーツァルトはこの歌手のために超絶技巧のアリアを書きまくった。そしてこのオペラは、それまで彼の作ったオペラと比較して作曲技法において急速に進歩した作品となった。

1772年12月26日に「ルーチョ・シッラLucio Silla」は初演された。プリマドンナはうまく歌えず、主役のテノールは緊張のあまり、演技にへまが出て失敗に終わった。しかし2回目以降からは順調で毎日が満員、そして26回上演されたといわれるが、それ以後ミラノから2度とオペラ作曲の依頼は来なかった。
そのさなかモーツァルトはカストラートのヴェナンツィオ・オラウツィー二のためにモテット「踊れ、喜べ,汝幸いなる魂よK165」を一日で書き上げている。
そしてレオポルトは今度はミラノでなく、トスカーナ大公国のレオポルド大公に息子の就職を依頼する。しかし全てが徒労だった。そしてレオポルトは「イタリアを去る事は辛い事です」と手紙の最後に呻くように妻に書き送っている。

モーツァルトにとってイタリアは精神の故郷といえるかもしれない。故郷ザルツブルクでモーツァルトは必ずしも恵まれた地位が与えられたわけではなかった。モーツァルトは1777年から1778年にかけて、イタリアに住もうと思った。「どうぞ、イタリアへお行きなさい。そこでは人は尊重され、高く評価されます。全くその通りです。よく考えてみると、あれほど多くの栄誉ある歓待を受けた国は、他にありません。イタリアの様に評価された事はないのです。イタリア、ことにナポリではオペラを書けば信頼されるのです。・・・・

僕は再びもう一度オペラを書きたいと言う名状しがたい熱望を持っています。・・・・

それによってドイツでの100回の演奏会よりも、更に多くの栄誉、信頼が得られるのです。作曲する事で僕の心は満足です。やはりそれは僕の唯一の歓びである、情熱ですから。」1777年10月11日 モーツァルトより父へ ミュンヘンにて。

この文章でもわかる通りモーツァルトはイタリアへ限りない憧憬を持っていた。そして後期の傑作「フィガロの結婚Le Nozze di Figaro」「コジ・ファン・トゥッテCosi fan Tutte」にしても、何かイタリア的な風、雰囲気が感ぜられる。モーツァルトはこれを最後にイタリアへは二度と来ない。イタリアでの就職活動に失敗したモーツァルトは再び、ミュンヘン、パリなどへ仕事を求めて放浪の旅に出た。

データ

お薦めホテル ミラノ
★Grand Hotel Plaza  ドゥオーモに近く、スカラ座に歩いて行ける4ツ星ホテル
Piazza Diaz 3
Tel:02 8555  Fax:02 867240
E-mail:info@grandhotelplazamilano.it

★Dei Cavalieri スカラ座に徒歩で行ける距離にあり、、ドゥオーモの近くで便利な4星ホテル
Piazza Missori 1
Tel:02 88571 Fax:02 8857241
E-mail:info@hoteldeicavalieri.com

お薦めレストラン
★Nabucco ブレラ美術館の近く、内部はスカラ座のポスターなどが飾られている。食事も美味しい
Via Fiori Chaiari 10
Tel:02 860663
E-mail:info@nabucco.it

★Santa Lucia ナポリ料理、F・シナトラ、ダヌンツィオ、マスカー二、ライザ・ミネリ、デ・フィリッポ、マストロヤンニ等が訪れ,400人の肖像画がある1929年創業の歴史的レストラン
Via San Pietro all'Orto 3
Tel:02 76023155
http://www.asantalucia.it



スカラ座のモーツァルト展
現在スカラ座の博物館では、モーツァルト生誕250年に因んで、モーツァルト展が開催されている。
私も見学して来たが、面白い展示があるので、スカラ座を訪れた方は是非見学することをお勧めします。ここには去年の12月7日に上演されたモーツァルトのオペラ「イドメネオ」のパネル、最近のスカラ座で上演されたモーツァルトのオペラのビデオ、カラヤンが1951年に指揮し、演出した「ドン・ジョヴァンニ」の舞台の模型、モーツァルトがミラノで初演した1772年のドゥカーレ劇場の「ルチオ・シッラ」の舞台のセット、1928年に作曲家リヒヤルト・シュトラウスが指揮した「フィガロの結婚」の模型など興味深い展示がある。私が最も魅了されたのは1956年1月27日、モーツァルト生誕200年の記念日に上演された「コジ・ファン・トゥッテ」のポスターとセットで、この時はフィオルディージを往年の名歌手シュヴァルツコップ、グリエルモがローランド・パネライ、フェルランドがルイジ・アルヴァなどの名歌手が出演している。
期間は2006年1月28日から2006年9月30日迄、入場料は5ヨーロ。

スカラ座 イタリアオペラ鑑賞会ではスカラ座でオペラをご覧になりたい人の為にスカラ座のオペラチケットを取る代行サービスを始めました。リニューアルされたスカラ座のチケットの確保は御存知のように多忙な人にとってはなかなか大変です。しかし当会では長年の経験を生かしてスカラ座のチケット確保の特別なルートを開拓し、以下のようなサービスを始めましたので御利用下さい。 スカラ座とその他イタリアのオペラハウスのチケットの手配、フェニーチェ座、ボローニャ、パルマ、ローマ、ジェノヴァ、トリノ、夏の音楽祭(ペーザロ、ヴェローナ)など、JITRAのイタリアオペラカレンダーで紹介している劇場の全てのチケットの手配が可能です。個人、イタリアへの音楽ツアーを企画する旅行会社の方もOKです。チケット手配ご希望の方はまず当会の会員登録をお願いします。登録料は一切かかりません。
しかし、チケットの手配については一枚4000円から5000円の手数料がかかります。日程、キャストなどは、チケットの手配を受け付けた方のみお調べします。


★2005年12月から2006年にかけての主な演目と劇場★
* 12月7日 スカラ座初日はハーディング指揮の「イドメネオ」  スカラ座 ミラノ
* ホセ・クーラの「アンドレア・シェニエ」  テアトロ・コムナーレ ボローニャ
* 1月末〜2月 シャイー指揮の「リゴレット」  スカラ座 ミラノ
* 1月下旬 「ファヴォリータ」(バルチェローナ他)  カルロ・フェリーチェ ジェノヴァ
* 2月 ストレーラー演出の「フィガロの結婚」  スカラ座 ミラノ
* 2月末〜3月初め フローレス出演の「セヴィリアの理髪師」  テアトロ・コムナーレ ボローニャ
* 4月 「ノルマ」(テオトッシュウ、バルチェローナ出演)  テアトロ・マッシモ パレルモ
* 4月 マゼール指揮の「トスカ」  スカラ座 ミラノ
* 3月、7月 「ランメルモールのルチーア」  スカラ座 ミラノ
* 6月 「仮面舞踏会」  カルロ・フェリーチェ ジェノヴァ

詳細については下記の場所にメイルでお問い合わせ下さい。
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イタリアオペラ鑑賞会
☆詳細は下記の場所に連絡を願います。
Tel/Fax:043 246 1571(日本)
E-mail:joschuajp@ybb.ne.jp


著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。
 





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