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15 maggio 2006

第36回 ミラノからボローニャへ

モーツァルトのイタリア旅行 (5)

牧野 宣彦


●ボローニャへ
モーツァルト父子の第一回目のイタリア紀行で、ミラノを発ってボローニャに向かったのは1770年の3月15日の事だった。現在だと汽車で20分くらいの南に位置するローディに一泊している。
ローディは現在人口約43000人、酪農と農業が主な産業の街だが、市内には中世とルネッサンス時代の歴史ある建造物が随所に見られる街で、モーツァルトはローディでイタリアに来て初めて弦楽四重奏曲ト長調、K80を作曲している。(楽譜には<アマデーオ・ヴォルフガング・モーツァルト作の四重奏曲、1770年3月15日夜ローディにて)と記されている。

私が数年前ここを訪れた時は、モーツァルトが宿泊し、作曲した建物の一階はテクノカーザという不動産屋の看板が見え、その2階の部分にプレートがあり、ここでモーツァルトが宿泊し、弦楽四重奏を作曲した事が書かれていた。

モーツァルト父子がローディから次の逗留地ボローニャへ行くまでの間何処でどう過ごしたかははっきりしない。只パルマにいた時、当時の大歌手として誉れの高かったルクレツィア・アグリヤ―リ(ラ・バスタルデッラ、バスタルディーナとも呼ばれる。)から自宅に招待を受け、彼女が(4点ハ音)まで歌うのを目の当たりにして驚嘆する。そしてパルマ滞在中大雨でパルマ川が氾濫し、数日足止めされた事が記録に残っている。モーツァルト父子がボローニャに到着したのは1770年3月24日だから今だったらヨーロスターで2時間の距離を10日間費やしている。

●「賞賛の的」となったモーツァルト
ボローニャは現在でもイタリア有数の経済と文化が調和した創造的な街だが、モーツァルトがボローニャを訪れた1770年頃も文化活動が盛んであった。ヨーロッパ最古の大学があり、13世紀には学生数が1万人を越えていたという。
モーツァルトはこの街に着いた印象を書いている。「今日ボローニャに着きました。(中略)当地はイタリアでは出会った事がない程一番物価が高い土地です。それでも一番上等な旅館ペレグリーノ館に泊っています。でも、毎日1ドゥカーテン支払わなければなりません。街は数年前にずっと人口が増えたので、当地では万事それだけ上がったのです。」
現在のボローニャはモーツァルトが嘆く程イタリア一物価は高くないが、家賃、物価などは今でもかなり高い。これはこの地方の住民の所得の高さに起因している。
モーツァルトが宿泊したペレグリーノ館は戦争で破壊され存在しないが、この館が建っていたのは現在のUgo Bassi 通りと言われる。現在ここには野菜、魚など生鮮食品の大きな市場があり、通りには有名なレコード店ボン・ジョヴァンニやリコルディなどが立ち並び、ボローニャの中心の通りになっている。

レオポルトは着いた翌日フィルミアーン伯爵の紹介状を持って、元帥ジョヴァンニ・パッラヴィッツィー二・チェントゥリオーニ伯爵を訪れる。伯爵はモーツァルト父子のボローニャ滞在が長くない事を察して早速3月26日に自邸に街の有力な貴族を150人招いて、音楽会を開催した。このコンサートではジュゼッペ・アプリーレとジュゼッペ・チャコーニの2人がコンサートに出演し、父子が感激したのは当時の大音楽家、音楽理論の権威であったジャン・バッティスタ・マルチー二神父がこのコンサートに来ていた事だった。
レオポルトは妻に「有名なマルティーニ師も招待されていました。この方はいつも音楽会には絶対行かないのですが、やって来られたのです。」と書いている。

私は2004年9月10日Via San Felice 24番地にあるパラヴィチー二邸を訪れた。長屋のように古い建物が横に繋がっている建物で、外見からはとても内部に音楽会が開かれる程大きな部屋があるとは見えないが、ボローニャの街にはいくつも沢山のパラッツォという名の付いた建物がある。恐らくこの殆どの建築は中が装飾された美しいフレスコ画などで飾られたパラッツォという名に恥じない美しい建物だろう。こうしてみるとイタリアの凄さは計り知れない。今この建物は共同アパートになっていてEdilverdeという会社が管理している。
私がアポイントを取って行くと、応対に出たフランチェスカという女性がモーツァルトの間を案内してくれた。現在この部屋は使われていないらしく部屋に到達するには使われていない家具などが置いてある部屋を通って行く。通された部屋はまさしくいつかモーツァルトの本を読んだ時見た部屋だった。隣接する部屋はSpecchiの間(鏡の間)でこちらの方が優雅な美しい応接間であるのをみると、モーツァルトは必ずしもパラヴィッチー二・チェントォーリオ伯爵にとって最高の賓客ではなかったような気がした。2階に上がって行く階段などは美しい装飾的な彫刻などが見られ、貴族の館らしい雰囲気は今でも残っている。

パラヴィッチー二・チェントゥーリオ伯爵はこのコンサートの謝礼としてレオポルトには20ゼッキーノ、モーツァルト本人には205リラを贈っている。モーツァルト父子にとってボローニャでの滞在は収穫のあるもので、レオポルトは歓びを妻に書き送っている。「私がことの他嬉しいのは、私達が当地でとても好かれている事、それにヴォルフガングが当地ではイタリアの他のどの街よりも尚一層賞讃の的となっている事です。ボローニャには数多くの巨匠、芸術家、それに学者が住んでいるからなのです。あの子はまた当地では本当にたっぷり力試しをさせられましたが、それがあの子の評判をイタリア全土に広めるのです。なぜならマルティーニ師はイタリア人の偶像だし、その彼がこれ程までに仰天してヴォルフガングについて語り、あの子をあらゆる角度からテストしたからです。」(1770年3月27日付け)
父子は短い滞在にもかかわらず2度もマルティーニ師を訪ねた。その度にマルティーニ師はモーツァルトにフーガの主題を与え、モーツァルトはフーガを勉強したのであった。

ボローニャの最初の滞在は僅か5日間という短いものであったが、当時活躍していたカストラート歌手のファリネッリ、同じくカストラートのジュゼッペ・マンフレディー二、プリマ・ドンナのクレメンティーナ・スパニョーラ、ボヘミア出身の作曲家ヨーゼフ・ミスリヴェチェクなどと知り合った。

父子がボローニャを出発してフィレンツェに向かったのは1770年3月29日の事であった。ボローニャ滞在のレオポルトの手紙には、ボローニャ大学で見た自然のコレクションなどを見て妻へ「当地で私が見たものは全て、大英博物館を凌駕しています。というのは、当地では珍奇な天然物ばかりか、辞典のように学術と呼ばれる物が、全て、綺麗な部屋部屋にきちんと整理され、保存されているのです。」(3月27日付け)と書いている。

写真左:ボローニャのテアトロ・コムナーレ
右:モーツァルトがオルガンを弾いたサン・ドメニコ教会

●再びボローニャへ
その後モーツァルト父子は、フレンツェ、ローマ、ナポリまで行き、1770年7月20日金曜日モーツァルト父子は再びボローニャの土を踏んだ。今度の宿泊先は、最初ホテル代が高いと嘆いたペレグリーノ館の向かいにあったSan Marco館であった。
レオポルトはナポリからローマに戻る途中馬車が横転し、足に大怪我をおおう。その後快方に向かったものの馬車に揺られての旅行のため再び傷口を悪化させていた。パラヴィッチー二伯爵は父子を気遣い、モーツァルト父子が到着するとすぐ、馬車、医者など必要なものを提供すべく使いを差し向けた。

ボローニャに着いた一週間後の7月27日に、モーツァルトがイタリアでオペラ作曲家としてデビューする事になる作品の台本が届けられる。題名は「ポントの王ミトリダーテ」。
8月10日にはパラヴィッチー二伯爵がボロ二エッティ伯爵から借り受けているボローニャの郊外の別荘Alla Croce del Bianco (現在Bosa dei Sassi 7番地)に移った(写真)。広大な森に囲まれた邸で、父子は9月いっぱいここに留まる。レオポルトは妻に「ここは、ザルツブルクからマリア・ブライン教会程の距離にあり、最上の部屋をもらった。おまるや寝室の灯まで全て銀製で、シーツは貴人のシャツ地より上等、その上従者と下僕まで付いた。」(8月11付け)またメロンや桃、イチジクなどが安く食べられ、絵でしか知らなかった「西瓜」を砂糖とシナモンをつけて食べた事などを報告している。負傷した足も順調に回復していた。

2004年、この年私は7月から9月までボローニャに住んでいた。9月のある日ボローニャ在住でボローニャ大学の准教授をしている竹下先生と食事をした。先生は日本からボローニャに来る留学生の世話をしており、いつも彼らの宿泊先を探すのが大変だと話されていた。ボローニャは、ヨーロッパ人が一番住みたい街に上げる程人気のある街である。その結果家賃の値上がりが激しい。現に私の住んでいるボローニャ郊外のレジデンスでさえ一ヶ月15万円くらいする。リラの時代9万円で住めたのとはえらい違いである。
先生と話した翌日私はバスに乗ってモーツァルトが滞在していたというクローチェ・デル・ビアッコを訪ねた。住所の書いてある所を行くとそこは自動車の解体をする工場になっていた。そしてようやく目的の場所を探し当てた。そこには広大な木の茂った庭園があり、いかめしい門があった。中から人が出て来たらその門がゆっくり開いた。私はその隙に中に入って、建物を撮影した。すると一人の日本女性が建物から出てきた。話してみると、その人は京都産業大学から交換留学生としてボローニャ大学に来ている女性で、前日竹下先生から話しを聞いた女性だった。建物の内部には入れないので女性に話しを聞くと、内部はフレスコ画が描かれた素敵なサロンもあるという。彼女はモーツァルトがここに滞在していた事は知らなかったが、竹下先生と前日話していた女子留学生に会うとは吃驚した。

モーツァルトは8月30日、ボローニャ市内のサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会でアカデミア・フィラルモニカが毎年マントヴァの聖アントニオを記念して催すミサに出席した。また10月1日には街の市内に戻り、10月4日街の中心である街の守護聖人サン・ペトロニオS.Petronioを祭った教会で開催された祝祭にも参加した。そして10月6日にはサン・ドメ二コ教会S.Domenicoでオルガンを弾いている。この教会にはミケランジェロの彫ったといわれる彫刻が3体あり、ルネッサンスの画家フィリッポ・リッピの描いた「聖カテリーナの神秘の結婚」などがあり、ボローニャで最も重要な美術の巡礼地になっている。

●マルティーニ師との交流
ボローニャ市内に戻ってから父子は毎日のようにマルティーニ師を訪れ、レオポルトはマルティーニ師に自著の「ヴァイオリン教則本」を贈り、マルティーニ師も「音楽史」2巻を贈っている。モーツァルトはオペラの作曲の傍ら、師より対位法、歌唱法、音楽理論などの教えを受けたといわれている。
マルティーニ師は14歳のモーツァルトの天才を最も評価した人で、ボローニャの権威ある音楽組織アッカデミア・フィラルモニカの会員試験を受けるように勧める。この会は当時100年以上の歴史があり、現在も続いている。組織の入会は最低年齢が20歳以上という規定だったので、若いモーツァルトへの師の異例の配慮であった。試験に関してはレオポルトの手紙に記されているが、「多くの者はアンティフォナに3時間もかけるが、あの子はものの半時間で仕上げてしまった。」

写真左:マルティーニ神父の要請で贈られたモーツァルトの肖像画(ボローニャ音楽資料館蔵)
右:マルティーニ神父
モーツァルトの解答、マルティーニ師の模範解答、またそれを模写したモーツァルトの楽譜の3点は、ボローニャの音楽資料館に納められている。ここは昔ロッシーニが住んでいたマッジョーレ通り34番地のパラッツォ・サングイネッティPalazzo Sanuinettiで、現在ボローニャ国際音楽博物館&図書館になっている。
ここには世界で一枚しかないヴィヴァルディの肖像画、その他300人以上の音楽家の肖像画を所蔵している。また、マルティーニ師の肖像画、ファリネッリの肖像画、モーツァルトが後にマルティーニ師に贈った肖像画、レオポルトがマルティーニ師に贈ったヴァイオリン教則本、その他ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の自筆楽譜など音楽的に貴重な資料の展示が見られる。
私も何度も訪れているが、いつも新しい発見のある博物館だ。

モーツァルトはこの時を最後にボローニャに戻って来なかった。しかしマルティーニ師との出会い、素晴らしい音楽などと交流し、モーツァルトにとってボローニャはイタリアでも最も印象深い街となった。

ボローニャ国際音楽博物館&図書館
Museo Inernazionale e biblioteca della musica di Bologna
Palazzo Sanguinetti Strada Maggiore 34 I-40125 Bologna
Tel: 051 2757711 Fax: 0512757728
E-mail: museomusica@comune.bologna.it
URL: http://www.museomusicabologna.it


データ

お薦めホテル
★Starhotel Excelsior
週末料金は、ツインで99エウロと安い4ツ星のホテル、ボローニャの駅前にあり、最近改装されたので施設は最高。(JITRAのサイトのVenereで予約するとよい)
Viale Pietramellara 51
Tel:051 246178 Fax:051 249448 
E-mail:excelsior.bo@starhotels.it

お薦めレストラン
★Grassilli
2つの塔の近くにあり、典型的なボローニャ料理が味わえる。店の店主がオペラ好きで壁には有名音楽家のプロマイドが一面に飾られている。料理も美味しく値段も高くない。
Via del Luzzo 3
Tel/Fax:051 222961

★Nino
年中無休のレストラン、魚介料理、ピザなどもあり、安くて、ボリュームがある。
Via Volturno, 9/CD Bologna
Tel:051 26 02 94



スカラ座のモーツァルト展
現在スカラ座の博物館では、モーツァルト生誕250年に因んで、モーツァルト展が開催されている。
私も見学して来たが、面白い展示があるので、スカラ座を訪れた方は是非見学することをお勧めします。ここには去年の12月7日に上演されたモーツァルトのオペラ「イドメネオ」のパネル、最近のスカラ座で上演されたモーツァルトのオペラのビデオ、カラヤンが1951年に指揮し、演出した「ドン・ジョヴァンニ」の舞台の模型、モーツァルトがミラノで初演した1772年のドゥカーレ劇場の「ルチオ・シッラ」の舞台のセット、1928年に作曲家リヒヤルト・シュトラウスが指揮した「フィガロの結婚」の模型など興味深い展示がある。私が最も魅了されたのは1956年1月27日、モーツァルト生誕200年の記念日に上演された「コジ・ファン・トゥッテ」のポスターとセットで、この時はフィオルディージを往年の名歌手シュヴァルツコップ、グリエルモがローランド・パネライ、フェルランドがルイジ・アルヴァなどの名歌手が出演している。
期間は2006年1月28日から2006年9月30日迄、入場料は5ヨーロ。

スカラ座 イタリアオペラ鑑賞会ではスカラ座でオペラをご覧になりたい人の為にスカラ座のオペラチケットを取る代行サービスを始めました。リニューアルされたスカラ座のチケットの確保は御存知のように多忙な人にとってはなかなか大変です。しかし当会では長年の経験を生かしてスカラ座のチケット確保の特別なルートを開拓し、以下のようなサービスを始めましたので御利用下さい。 スカラ座とその他イタリアのオペラハウスのチケットの手配、フェニーチェ座、ボローニャ、パルマ、ローマ、ジェノヴァ、トリノ、夏の音楽祭(ペーザロ、ヴェローナ)など、JITRAのイタリアオペラカレンダーで紹介している劇場の全てのチケットの手配が可能です。個人、イタリアへの音楽ツアーを企画する旅行会社の方もOKです。チケット手配ご希望の方はまず当会の会員登録をお願いします。登録料は一切かかりません。
しかし、チケットの手配については一枚4000円から5000円の手数料がかかります。日程、キャストなどは、チケットの手配を受け付けた方のみお調べします。


★2005年12月から2006年にかけての主な演目と劇場★
* 12月7日 スカラ座初日はハーディング指揮の「イドメネオ」  スカラ座 ミラノ
* ホセ・クーラの「アンドレア・シェニエ」  テアトロ・コムナーレ ボローニャ
* 1月末〜2月 シャイー指揮の「リゴレット」  スカラ座 ミラノ
* 1月下旬 「ファヴォリータ」(バルチェローナ他)  カルロ・フェリーチェ ジェノヴァ
* 2月 ストレーラー演出の「フィガロの結婚」  スカラ座 ミラノ
* 2月末〜3月初め フローレス出演の「セヴィリアの理髪師」  テアトロ・コムナーレ ボローニャ
* 4月 「ノルマ」(テオトッシュウ、バルチェローナ出演)  テアトロ・マッシモ パレルモ
* 4月 マゼール指揮の「トスカ」  スカラ座 ミラノ
* 3月、7月 「ランメルモールのルチーア」  スカラ座 ミラノ
* 6月 「仮面舞踏会」  カルロ・フェリーチェ ジェノヴァ

詳細については下記の場所にメイルでお問い合わせ下さい。
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イタリアオペラ鑑賞会
☆詳細は下記の場所に連絡を願います。
Tel/Fax:043 246 1571(日本)
E-mail:joschuajp@ybb.ne.jp


著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。
 





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