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15 marzo 2007

第43回 「マダマ・バタフライ」を傑作にした
テアトロ・グランデ ブレーシャ


ブレーシャ−ロンバルディア州
Brescia−Lombardia

牧野 宣彦
ブレーシャはミラノとヴェローナのほぼ中間に位置する。街の歴史の起源は、ローマ時代以前の紀元前6世紀から5世紀頃、リグーリア人が現在の城のある辺りに住んでいたのが始まりといわれている。紀元前2世紀から3世紀にかけてこの街はローマの支配下に入り、「ブリクシアBrixia」と呼ばれていた。一時ロンゴバルト族がこの街を支配し、公国が置かれ、12世紀に入ると街を囲む城壁が出来た。この城壁は現存していないが、ブレーシャが最初に文献に登場するのは1120年で、ロンバルディア同盟に関する文献である。その後のブレーシャは他国の支配が続き、ローマのエッツェリーノEzzelino、ヴェローナのデッラ・スカラ家Della Scala、ミラノのヴィスコンティ家Viscontiが支配したが、1428年ヴェネツィア共和国がヴィスコンティを追放し、1796年まで所有した。街はヴェネツィアの支配とともに発展し、それ以前の人口は6000人だったが、1505年には10倍の65000人になった。
ブレーシャは近郊の山から良質の鉄鉱石を産出し、それを利用した冶金工業が盛んとなる。武器を生産し、「イタリアの兵器庫」といわれた。現在も製鉄業が街の経済を支えている。鉄の街というと芸術や文化に縁がない様に見えるが、この街は価値ある美術品、歴史的な建造物の宝庫で、各時代の優れた芸術作品を見る事が出来る。


●テアトロ・グランデ Teatro Grande
ブレーシャに最初の公衆の劇場と言える場所が現在のテアトロ・グランデのある場所に出来たのが1664年。もともとこの場所は14,15世紀に建設された城の南の城壁だったが、ヴェネツィア共和国から1643年に譲り受け、1664年に建物が建設された。当時この場所では音楽の演奏会、舞踏会、市のセレモニー、詩の朗読などが行われていたが、馬の調教などにも使用され、劇場になったのは1710年のことだった。
当時の有名な建築家でビビエナ派のアントニオ・リギーニAntonio Righini、アントニオ・クジーニAntonio Cuginiによって基礎が築かれた劇場には、1780年にアントニオ・ヴィリアーニAntonio Viglianiとガスパーレ・トゥルビーニGaspare Turbiniによりポルティコが増設された。その後も劇場改築計画が進み、ミラノの建築家であるルイジ・カノニカLuigi Canonicaによって現在のU字型ホールが完成。1810年シモーネ・マイヤーSimone Mayerのオペラによって開場した。現在見られる劇場の装飾は、1862年から1863年にかけて、ドメ二コ・ヴァンティーニDomenico Vantini、その後ジローラモ・マニャーニGirolamo Magnaniが天井やパルコの装飾をした。階段や内部のロビーには1914年にブレーシャの画家ガエターノ・グレッセリGaetano Gresseriによって悲劇と喜劇の二つのフレスコ画が描かれた。

長崎を舞台としたプッチーニのオペラ「マダマ・バタフライMadama Butterfly」は1904年2月17日ミラノのスカラ座で初演されたが、歴史的な不成功に終わった。プッチーニはすぐこれを改作、ブレーシャのテアトロ・グランデで同年5月28日に上演し、大成功を収めた。現在我々が「マダマ・バタフライ」を日常見る事が出来るのもオペラの良し悪しを判断出来た当時のブレーシャの人たちに負うところが大きい。
「マダム・バタフライ」が最初に成功したテアトロ・グランデを一度訪れたいと思っていたが、それが2006年11月10日実現した。この日はドニゼッティの「アンアン・ボレーナ」があり、近くのベルガモのドニゼッティ劇場と共同の演出、出演者で上演される事になった。10月にベルガモで上演された時は、日本にいたので私は見る事が出来なかったのだ。
夕方8時にテアトロ・グランデへ行ってみると、中央正面の前には既にかなりの人々が集まっていた。劇場の中に入ると内装や太い大理石の柱などすべてが歴史を感じさせる古いものだったが、よく手入れはされていた。天井のフレスコ画には天使が描かれ、パルコを装飾している金箔などは少し剥げている箇所もあったが、美しい劇場であった。指揮はファブリツィオ・マリア・カルミナーティ、アンナ・ボレーナがディミトラ・テオドッシュウ、他にはバスのリカルド・ザネラート、ソフィア・ソロヴィイなどの歌手が出演していた。演出はフランチェスコ・エスポジト。衣装は古かったが、舞台には人の座る大きな観客席のような階段が設けられ、合唱団や出演者はそこに座っているだけのつまらない舞台だった。2000年にベルガモのドニゼッティ劇場で上された時に見たヨナタン・ミラーの演出の方がより美しい舞台で、ウィンザー城などが忠実に表現され、観客も盛り上がった気がした。しかし劇場は魅力的なので、機会があったら又訪れたいと思った。

♪♪Biglietteria di Teatro Grande♪♪
Via Pagtanora 19/A, Brescia
Tel:030 293 022 Fax:030 2400771

●ロッジア(開廊)広場 Piazza della Loggia
ヴェネツィア風の建築で囲まれた美しい開廊のある広場。開廊の反対側に1540年から1550年に建てられた時計塔Torre dell'Orologioが立っている。広場の南には中世の公営質屋Monte di Pieta'があり、同じスタイルの建物が、モロジーニ家の紋章とニッチが施された渡り廊下のアーチで結ばれている。右の翼は1484年から1489年に建設され、ファサードに古代ローマの碑が飾られている。

●ロトンダ Rotonda
ロトンダは、それ以前に存在した聖堂の上に11世紀に建設されたロマネスク様式の美しい建物で、円形プランの本堂に円筒形ドラムが上部を覆い、半円形のヴォールトがぐるっとその上を飾っている。15世紀に内陣が付けられ、2つの礼拝堂が側面に出来た。右の礼拝堂にはモレットの描いた「聖マルコ」「聖ルカ」があり、主祭壇の後方にもモレットの「聖母被昇天」がある。内陣の前には前1世紀の古代ローマ時代の遺跡であるモザイクが見られる。

●新ドゥーモ Duomo Nuovo
1604年から3世紀という長期間をかけて完成した歴史的建造物。クーポラはルイジ・カニョーラLuigi Cagnolaの設計で1825年に完成した。内部には15世紀に製作された木製のキリスト磔刑像があり、その上部にモレットが描いた「イサクの犠牲」がある。第3祭壇には1510年の聖アポロニオと聖フィラストリオの棺がある。パウルス8世の記念碑の上にロマニーノの描いた「マリアの結婚、奉献、聖母の訪問」の絵がある。


ブレーシャ データ

お薦めホテル
★Jolly Hotel Igea 駅の近くの4つ星ホテル
Viale Stazione 15
Tel:030 44221 Fax:030 44224   E-mail: brescia@jollyhotels.com

★Vittoria チェントロストリコにある豪華なホテル
Via dell X Giomate 20
Tel:030 280061 Fax:030 280065  E-mail: infor@hotelvittoria.com

お薦めレストラン
☆Trattoria Buca 駅の近くの大衆的なレストランで、食事も美味しい
Viale della Stazione 1
Tel:030 43440


牧野宣彦さん連載記事の載った
月刊サッカー専門誌『CALCIO2002』

イタリアサッカー界の話題が満載の月刊サッカー専門誌『CALCIO2002』(カルチョ2002)に、現在、牧野宣彦さんが連載記事をご執筆中です。

牧野宣彦氏より
4月号ではフィレンツェのイースターの祭り、スコピオ・デル・カッロと、800グラムのステーキについて書いています。是非お読み下さい。

著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。





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