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15 settembre 2007

第46回 ピエモンテの優雅な劇場 ノヴァーラ

ノヴァーラ−ピエモンテ州
Novara−Piemonte


牧野 宣彦
ピエモンテ州ノヴァーラ県の県都ノヴァーラは、セジアSesia川とティチノTicino川に挟まれた平野にある。ミラノから約50キロ、トリノから約100キロの地点に位置し、人口は約10万3000人。農業、工業が発達している。
ノヴァーラの町の建設はリグリ人が始めたといわれる。ローマ時代から東西の主要道路上にある町として発展し、南北の主要道路上でもあったことから、ジュリアス・シーザーはノヴァーラを編入都市に格上げした。
このように地理的に重要な位置を占めていたノヴァーラは、何度も戦争に晒された。神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世は、1110年ノヴァーラを攻撃し、城壁を破壊した。その後も、1553年から1606年にかけてスペイン人が町を破壊、市外の集落を取り壊し、城壁を築いた。現在もその跡が見られる。1500年の戦闘ではルドヴィコ・イル・モーロがフランス軍に捕えられ、フランスで世を去っている。
1849年には、イタリア統一を巡り、ラゼッキー将軍が率いるオーストリア軍とピエモンテ側が戦った。「悲運のノヴァーラ」(カルドゥッチ)を失い、そのためにサルデーニャ王カルロ・アルベルトが退位した事件などが起こった。

●テアトロ・コッチャ Teatro Coccia
ノヴァーラに劇場建設の機運が起こったのは、1775年から1776年にかけてだった。その後着工され、1779年に完成、ジュゼッペ・サルティGiuseppe Sartiの"Medonete re Edipo"で開場した。
1830年頃、劇場が老朽化したため、ミラノのスカラ座やテアトロ・カルカーノの改築を手がけた建築家のルイジ・カノニカLuigi Canonicaに改築が依頼された。彼はノヴァーラの建築家アントニオ・アニェリと協力し、1832年に改築を完成。ベッリーニの「ザイーラZaira」が上演された。

ノヴァーラでは1853年から1855年にかけて、もう一つの劇場テアトロ・ソチアーレTeatro Socialeが建設されたが、古いテアトロ・モレリーノと新しいテアトロ・ソチアーレの2つの劇場が対立。ノヴァーラ市は、1873年に2つの劇場を統合して新しくテアトロ・コッチャTeatro Cocciaを建設する計画を立て、1880年に2つの劇場は市が収得した。
新しい劇場の設計は、カターニアのテアトロ・マッシモ・ベッリーニ劇場を建設したアンドレア・スカーラに委ねられたが、その後ミラノの建築家ジュゼッペ・オリヴェリオに代わり、彼が細部の変更などを管理、1888年12月22日に新しい劇場は開場した。

この劇場の名前の由来になったのは、作曲家カルロ・コッチャCarlo Coccia(1782〜1873)である。彼はナポリのバイオリン奏者の息子として生まれ、ナポリ派の大作曲家パイジェッロに師事する。ヴェネツィアで合唱を大胆に使った「クロチルデClotilde」を作曲して認められたコッチャは、その後リスボン、パドヴァ、ミラノなどでも成功を収める。また、ロンドンで教鞭を取り、当時の大歌手ジュリエッタ・パスタのために作曲した「マリア・ストゥアルダ」を作曲し、名声を得る。イタリアに戻ってからは1837年よりノヴァーラの礼拝堂楽長になり、この地で生涯を終える。彼は、生存中に37曲のオペラを作曲した。

下左:テアトロ・コッチャ、右:作曲家カルロ・コッチャ

私は、数年前にオーストリアの美貌の后妃エリザベートを訪ねて、ドイツ、ウィーン、ブタペスト、トリエステなどへ旅行した。そして、この后妃に関する事に色々興味を持った。ウィーンではエリザベート后妃の生涯を扱ったミュージカル「エリザベート」が大ヒットしたのを知った。私も2005年トリエステでこのミュージカルを見たが、あのロック調の激しい音楽は、どうみてもエリザベート皇妃の優雅な雰囲気を表現していないと思った。その時から戦前に活躍したウィーンの名バイオリニスト、フリッツ・クライスラーが作曲したオペレッタ「シシー」を見て見たいと思うようになった。そして、いつしかそれは、私の中で最も見たい演目になっていた。永竹由幸先生は、そのオペレッタをトリエステで見て、クライスラーの美しい音楽がエリザベートの優雅な姿と重ねあうと述べられており、是非とも見たくなった。私は、2006年12月にノヴァーラでこれが上演されるのを、テアトロ・コッチャのサイトを開いて見て知った。

テアトロ・コッチャのサイトを開くと、とても軽快な親しみやすい舞曲が流れる。誰が作曲したのかいつも興味を持っていた。2006年12月16日、私はノヴァ−ラのテアトロ・コッチャに「皇后シシー」を見に行った。書類を持ってチケットを受け取りに行った時、チケット売り場の女性に「サイトを開くと流れている曲は何ですか?」と聞いてみた。それはこの劇場の名前になったカルロ・コッチャの出世作「クロチルデ」の一節だと教えてくれた。私はようやくこの劇場の名前の由来とコッチャの作曲した曲を知る事ができ、とても嬉しかった。

この日のオペレッタは夜9時のスタートだった。劇場に入ると、ロビーにはカルロ・コッチャのブロンズ像があり、過去この劇場で上演されたオペラのポスターなどが飾られていた。内部は丸い白熱灯が美しく、シャンデリアもクリスタルで豪華である。パルコもゆったりして、気持ちのよい劇場であった。

ところで、永竹先生が見た「シシー」のストーリーはこうである。
シシーは、姉ヘレネがオーストリアのフランツ・ヨーゼフの嫁になるための見合いの席に行儀見習いでついていった。しかし、フランツ・ヨーゼフは、まだ15歳の妹シシーに惹かれ、彼女と結婚するようになる。
シシーはウィーンの宮廷に入るが、皇帝の母ルドヴィカと激しい嫁と姑の争いになる。自由を愛するシシーだが、子供の教育も任せてもらえず、大事なニュースなども知らされず、宮廷で疎外される。ついにシシーはウィーンの宮廷から逃げ出し、世界中を旅するようになる。
永竹先生は、シシーがミラノで外交的手腕を発揮して人々から歓迎された事、又ハンガリーとの二重帝国が成立した時に果たした役割、そして最後ジェネーブのレマン湖のほとりでイタリア人テロリストに暗殺されるまでの物語を見た、と書かれている。一方、私の見たシシーは、フランツ・ヨーゼフの嫁に選ばれ、ウィーンで結婚式が開催されるシシー、そして、オーストリアに美しい后妃が誕生した事で人々が熱狂的に彼女を歓迎するところまでであった。1853年4月24日、エリザベート16歳の春までで、それ以後の彼女の複雑な後半生はカットされていた。オペレッタであるので、シシーが暗殺されるまでは必要ないと思い、このコッラード・アバーティの演出に納得した。舞台はそれ程豪華ではなかったが、バレエなども美しく、クライスラーの「美しきロスマリン」や「愛の喜び」、「愛の悲しみ」などの名曲が時折流れ、美しい舞台だった。最後シシーに扮した歌手が真っ白なウェデングドレスを着て出てきた時は、本当に素晴らしかった。
翌日はパルコで見たが、この劇場のパルコはゆったりしていて、劇場内の照明が他の劇場のようにオレンジ色がかっていない。とても自然で美しかった。この日はシシーの結婚までの物語だったが、いつかシシーの全生涯のオペレッタも見たいと思った。

●ノヴァーラの街を歩く
ノヴァーラの街を彼方から見ると、聖ガウデンツィオ聖堂Basilica di San Gaudenzioの丸いドームと尖塔が見える(ページトップの写真)。これは、ピエモンテの建築家サンドロ・アントネッリが1888年に取り付けたもので、121mの高さがある。建物自体はペッレグリーノ・テバルディの設計により1577年に建設が始まり、1786年にべネデット・アルフィエーリの製作した鐘楼が付けられた。
内部にはガウデンツィオ・フェラーリによる多翼祭壇画がある。彼はミケランジェロと同時代に活躍した画家で、ロンバルディアやピエモンテに沢山の作品を残している。
私がこの教会を訪ねた時、日曜日のミサが行われていた。荘厳なオルガンの響きが鳴り、ミサは終わった。
写真左:ノヴァーラにあるスフォルツェスコ城、右:ドゥオーモ内部


その後、前の道を左にドゥオーモに向かって少し歩くと、続いて建っている家の一階の壁にグイド・カンテッリの生まれた家だった事を示すプレートを見つけた。
カンテッリは、1920年ノヴァーラに生まれ、ミラノ音楽院でピアノと指揮を勉強し、1943年にノヴァーラのテアトロ・コッチャ芸術監督に就任した。戦争で活動は中断するが、1945年に活動を再開し、急速に名声が高まる。その後トスカーニに見出され、NBCオーケストラ、ロンドン・フィルハーモニーなどを指揮し、成功を収めた。さらに1956年にはスカラ座の管弦楽団の常任指揮者に任命され、将来を嘱望されたが、その数日後、パリのオルリー空港での飛行機事故で世を去った。
テアトロ・コッチャでは彼の偉業を称え、私が行った数日後にグイド・カンテッリの追悼コンサートが開かれていた。私は彼の名前は知っていたものの、ノヴァーラの出身である事は知らなかったので、彼の家を見つけ感動した。

テアトロ・コッチャの周辺にはポルティコがあり、素敵なカフェやパスティチェリアなどもある。洒落た雰囲気の町で、町の中心にはドゥオーモDuomoがある。1869年にサンドロ・アントネッリが以前にあった教会の上に建てた建物で、新古典主義の傑作といわれる。
私の行った時は、クリスマスだったので内部にキリストのプレゼピオが展示されていた。内部にはガウディンツィオ・フェラーリの描いた「聖カテリーナの秘密の結婚」が展示されている。

ノヴァーラ データ

お薦めホテル
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Via Paolo Solaroli 8/10
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☆La Granseola  街の中心にあるレストラン
Baluardo Lamarmora 6
Tel:0321 620214

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Largo Cavallozi 4 Tel:0321 34346



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著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。





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