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イタリアへの留学、そして就職 ― 私の場合
 
15 marzo 2004
第一回 私とイタリア、そしてイタリア語との出逢い

くす ゆみこ







 

大体、イタリアという国に、私は興味などなかったのだ。

1995年、地元の大学で英文学を専攻していた私は、自分が研究をしている国、「英国」というものをこの目で見てみたいと思った。そして大学一年の春、友人とイギリス旅行の計画を立てた。人生初の海外旅行に、胸を躍らせる二人。しかし出発直前になり、イギリス国内で過激派によるテロ活動が頻発。結局この旅行は断念せざるを得なかった。

その後残ったのは、僅かながらもこの旅行の為にアルバイトで貯めたお金と、旅行の変わりにぽっかりと空いてしまったスケジュール。このままぼんやりと空いた時間を過ごすのも癪に思えた私達は、イギリスに変わって、急遽、他の旅行地を探すことになった。

しかし、海外経験が一度もない私達にとって、正直何処に行けばいいのか全く検討が付かなかった。まずはイギリスと同じヨーロッパの何処か、そしてヨーロッパ3大都市といえば、ロンドン・パリ・ローマだというのが思いついた。あとはフランスでもイタリアでも私達にとっては同じことであったのだが、ちょうどその頃、日本でも人気に火がつき始めつつあったイタリア・サッカー・セリエAの、とある二枚目選手に一目惚れしていた私は、その選手の姿を生でみるためという、なんとも馬鹿げた理由でイタリア行きを決めた。

そんなわけで、思いがけず人生初の海外旅行の地として、夜のローマに降り立った私達。いわゆる、学生の貧乏旅行というやつで、ツアーに申し込んだといっても、航空券に、ホテルと、空港・ホテル間の送迎が付いただけというシンプルなものであった。

ローマ・フィウミチーノ空港には、私達を迎えにやって来た現地係員と、車の運転手。彼らの車でローマ中心のホテルへ向う間も、私にはとっては全てが驚きの連続だった。まずは町の中心に未だ石畳があるということ、そしてその上をとんでもないスピードでぶっ飛ばす運転手に驚いた。そんなこと、イタリアに住んでいる今となっては当たり前にすら思えることであるけれど、その時の私には、本当に新鮮な驚きだったのだ。そして、暗闇にライト・アップされて浮き上がる、コロッセオ、数々の噴水など。全てが私の想像を超えていた。

そして翌日の朝、ホテルの窓から飛び込んでくる大きな声で目を覚ました私達。早速その窓を開けてみると・・・昨日は単なる路地であった私達のホテル前には、びっしりと市がたち、カラフルな彩りをみせていた。そしてそこで交わされる、店主とお客の掛け合い。

なんといえば言いのだろうか、この瞬間から私はイタリアという国に恋をしてしまったのだ。

それからのイタリアでの一週間は、とても充実したひと時であった。私達はローマの町を必死になって歩いてまわった。観光名所も勿論であるが、ガイド・ブックに載っていないような広場、建物も、私にとっては歴史ある芸術品に見えた。そしてイタリアへやって来た第一の目的であったサッカー観戦の方は、選手組合のストライキという珍事により、結局観戦に至らなかった。そんなこんなであっという間に一週間のイタリア滞在も終わり、帰国。

日本に帰ってからは、もっとイタリアのことが知りたいと思うようになった。本やインターネットで、イタリアに関する情報なら何でも探したし、又、テレビでイタリア関係の番組がある時は、必ずチェックした。

そしてそれから暫く、私はあることに気づいた。イタリアという国をもっと知る為には、やはりイタリアで話されている言葉、イタリア語を理解する必要があるのではないかということに・・・

これが私とイタリア、そしてイタリア語との出逢いだ。その頃はまさか、将来自分がイタリアに留学し、そしてそこで就職までしてしまうとは、夢にも思っていなかったのである。

写真:ローマの路地で見つけた、なんともイタリアらしい落書き。サッカー選手をかたどったものだ。


       


プロフィール

くす ゆみこ
2000年より、トスカーナ州アレッツオに在住。語学留学を経て、2002年、現地イタリア企業に就職。現在は、会社員として働くかたわら、イタリア留学、就職希望者向けに自身の体験談他を語る、「イタリア留学・就職・生活応援サイト Abbicci」を運営している。 

 



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