ミラノ県 公式ページ
ミラノの沿革  Introduzione e Storia di Milano
ミラノ都市圏の概要とミラノの歴史

ミラノ県公式ページ


ミラノ都市圏L'area urbana milanese

ロンバルディア州の州都、経済商業の重要な中心地であるミラノは、ヨーロッパや世界各国の他の大都市圏と対比してもおそらくイタリアでも最もダイナミックでオープンな都市圏といえましょう。株式証券所や大規模見本市会議場を持つミラノは、かっては工業首都として栄え、現在では何十もの多国籍企業や最先端サービス産業の中心地となりました。大学や高等研究機関が集中しており、現在ではコミュニケーション、出版からTV制作、マルチメディアプロダクションの首都となっています。ファッションやデザインはミラノの持つクリエイティビティやミラノ地域を他の地域と差別化する優れた能力を表現するものです。スカラ座はミラノのエクセレンスを代表するものであり、音楽・観劇の極めて重要な中心核となっています。

ミラノは2015年の国際万博EXPO2015の開催地となることが決定しました。テーマは「Feeding the Planet, Energy for Life」で、食の安全性や食料確保などを取り上げています。

アルプス山麗とポー川の間に広がるパダーナ高原の中心にあるミラノは商業経済の面でも観光面でも戦略的な地理ロケーションにあります。ミラノ地域はイタリアおよびヨーロッパの中で最も人口密度の高い地域であり大きな都市圏を形成していますが、広い緑地帯を持つとともに個性的な小都市も多数存在しています。


ミラノの歴史的沿革 Milano nei secoli : cenni storici

ミラノの最初の歴史的軌跡は紀元前4世紀、現在のミラノの地が元々はケルト人の村でそこにガッリ・インスブリ人の居住していた時代に遡ります。続く紀元前3世紀に古代ローマ人に征服されます。
その後、西暦4世紀中頃に西ローマ帝国の首都となり、「メディオラム」はコスタンティーノ勅令(西暦313年)の後に、聖アンブロージョ大司教が任命され、当時のローマ式典礼とは別個のアンブロシウス式典礼が始まったおかげにもより、西ヨーロッパで最も重要なキリスト教都市の一つとなります。
539年、ミラノは蛮族の侵入・略奪をうけ、その後774年にはロンゴバルディ族の重要な拠点となります。1162年にフェデリコ・バルバロッサの侵略を受けミラノは徹底的に破壊されますが、レニャーノの戦いで侵略者を追い払い自由を勝ち取ります。ミラノは大変繁栄し豊かな都市となり、自由都市となる条件を構築します。この間、商業が発達し、ミラノは 最初はヴィスコンティ家(1277年)次にスフォルツァ家(1450年)という領主の出現により強い推進力を得て長期間続く栄華と繁栄の時代が始まり、この時代、科学、芸術、文学も発達し、それがイタリア・ルネッサンスのより大きな動きに連動し最高潮に達するのです。ところが、学術的にも芸術的にも精力的で活発な年月の後で、ミラノはスペイン統治下に入り暗黒の時代を生きることになります。(1535年―1713年)
1600年代末から1700年当初にかけてヨーロッパを巻き込んだ幾多の戦争の結果、ミラノはオーストリアのハプルブルク家の統治下に入り、文化、経済、建築などが発達する新たな成長拡大の時代を迎えることとなります。

フランス皇帝ナポレオン・ボナパルテによりミラノはフランス支配下に入り(1796年)チサルピーナ共和国首都となります。そして短期間ながらも思想的にも芸術的にも精力的な熱気の時期が続き、この時期にミラノに始めて都市計画法が導入され、アレーナ(円形競技場)や新たな城門などの大型公共施設が実現されます。 

1815年、再び、オーストリアの支配下に入ると、啓発思想の影響を受けたブルジョア階級からも一般庶民からもオーストリア支配は嫌われ、耐えかね、ついに1848年には「ミラノの5日間」(チンクエ・ジョルナータ)として有名な蜂起がおこりました。1859年にミラノはピエモンテ王国に併合され、その2年後、イタリア半島およびヨーロッパ中が激変するシナリオの中で、1861年にイタリア王国が宣言されるにいたります。 近代イタリア統一により、ミラノの発展は継続的、持続的に続きます。ミラノは イタリアの産業の中心、国の発展の中核として揺るぎない位置を固めながら生産活動を強化していきます。

第二次世界大戦中に連合軍爆撃によりミラノは深刻な被害を受けましたが、イタリアを占領していたナチスやファシスト政権に抵抗するためのパルチザンの戦いの第一線で戦いました。 ミラノは戦後の国の再建を先頭にたって推進し、イタリアの経済成長のシンボル都市となりました。
1970年代から今日に至るまで、大規模製造業の首都から研究開発や第三次産業の中心へと転換を経験する中で、ミラノは国レベルでも国際レベルでも、常にリーダシップを持つポジションを誇っています。

※写真上 左から
ブレラ博物館  スカラ座  ピレッリ高層ビル
※写真下 左から
ブリジア通りに残る古代ローマ時代の遺跡、サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂 の古代ローマ時代の列柱

「ミラノ」の名称の語源について

ミラノを表すラテン語の'Mediolanum'は、古代ケルト語のMidland、すなわち「中間の土地」という言葉から由来しているとされています。伝説によると、紀元前6世紀に、パダーナ平原にやってきたガリア人の首領、ベッロベーソがここに都市を建設することを決意したと言われています。ベッロベーソは神に神託を訊ねたところ、体の半分が毛に覆われた雌豚(イノシシ)の見つかった場所なら都市を誕生させることが可能だという答えを得ました。お告げ通りに林間の草地にまさにそのイノシシをみつけたので、ベッロベーソはその場所に都市の輪郭を描き、ケルト語の名前をつけたところ、それがラテン語でMediolanum (体の半分に毛が覆われている)という言葉になりました。この体半分が毛に覆われたイノシシは長い間、この町の象徴となりました。メルカンティ通りでは現在でもこのイノシシの姿を刻んだ古い薄肉彫りを見ることができます。



主要建築物(1)主要建築物(2)主要建築物(3)教会
現代アート・デザイン主なミュージアムおすすめスポット庭園・公園
音楽シアタースポーツミラノの食文化見本市・大学工業考古学
珠玉の小都市・歴史的建築物市内ツアーと運河クルーズミラノ交通便利帳
ミラノ観光マップのダウンロード:  @ミラノ中心部地図   A地図・日本語インデックス

ミラノ県公式ページトップへ戻るJITRAトップページへ戻る Torna a JITRA Home Page

*このページの写真および掲載記事内容は、ミラノ県の所有するものです。
無断での複製はご遠慮下さい。

Su concessione della Provincia di milano- Riproduzione vietata


http://www.japanitalytravel.com
©  JAPANITALY.COM - Milano 2000-2002 All rights reserved.