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オルガニスト吉田愛のドロミテ暮らし
15 Maggio 2020

第11回 

トレンティーノ=アルト・アディジェ州の
二ヶ国語事情  

  
文・写真/吉田愛

●イタリア語とドイツ語が公用語
私が暮らしているイタリア北東部のドロミテ渓谷の殆どは、トレンティーノ=アディジェ州 Trentino Alto Adigeに属しています。イタリアなのでイタリア語が公用語ですが、そうではなくドイツ語が母国語の地域もあります。今回はこの特別事情についてお話したいと思います。

トレンティーノ=アルト・アディジェ州は特別自治州です。トレント自治県(トレンティーノ州)と、ボルツァーノ自治県(アルト・アディジェ州)の、2つの行政区画で纏められているため、「=」で結ばれています。「アディジェ」は、北西部から州の真ん中を抜けてアドリア海に流れ着く川の名前です。「アルト・アディジェ」はイタリア語で「アディジェ川の上流」という意味ですが、ドイツ語では「ズード・ティロルSudtirol」、すなわち「南チロル」と表記されます。つまり、イタリアから見て北側、ドイツやオーストリアから見て南側の地域に当たります。

トップ写真:@ボツツァーノ病院の表示。先にドイツ語、次にイタリア語  
写真下:Aトレンティーノ=アルト・アディジェ州の地図。(Wikipediaより) 

●この州設立までの複雑な歴史
ブレンナー峠を隔ててドイツとイタリアを結ぶ重要なルートにあるアルト・アディジェ州(南チロル)にはナポレオンが侵攻したこともありましたが、大雑把にまとめると、第一次世界大戦までオーストリア=ハンガリー帝国の一部としてハプスブルグ家の支配下にありました。しかし第一次大戦に入り、ドロミテ山塊での激しい戦闘の末イタリアが勝利すると、南チロルはイタリア領となります。第二次大戦下では、ムッソリーニが南チロルでのドイツ語を禁止して「イタリア化政策」を推し進め、住民はヒトラー支配下のドイツ・オーストリアに移住するか、残留するかの選択を迫られました。
 写真下:Bボルツァーノからトレントに繋がるアディジェ谷。葡萄と林檎の名産地。  

そして戦後の1946年、イタリアとオーストリアが南チロルとトレンティーノ州のドイツ語地域に対して自治権を与えるということで合意されましたが、イタリアから南チロル州への移住者が増加し続けたことで南チロルの人々の不満は益々募ってテロや市民運動が絶えなかったため、1971年にトレンティーノ州とアルト・アディジェ州はそれぞれ自治県として切り離され、現在に至っています。特別自治州という立場と、近代の観光ブームも手伝って、ドロミテのあるトレンティーノ=アルト・アディジェ州はイタリアでも経済的に自立した豊かな州となっていますが、今日でも南チロルをオーストリアに戻そう、という党派もあります。
写真下:C夏のある日、南チロル州のお祭り。建物や民族衣装など、オーストリア伝統のもの。  

●私の住むフィエンメ渓谷は二つの文化圏の「境」
さて、私が暮らしているフィエンメ渓谷はトレンティーノ州の、トレント自治県とボルツァーノ自治県のちょうど県境に位置します。山岳地帯なので県境もくねくねしていて、車で道路を走っていると「ようこそトレンティーノ州へ!」「ようこそ南チロル州へ!」という看板が交差します。ですので、日常生活で必然的にイタリアとオーストリア双方の文化に触れています。その違いは町の造りを見るだけでも一目瞭然ですし、郷土料理も然りです。近所をハイキングしていてふと入った山小屋がたまたま南チロル州に位置していて、オーストリアの最後の皇帝フランツ・ヨゼフ一世やエリーザベト皇后(シシィ)の絵が掲げられていたなんてことも度々ありました。                

●学校でも家庭でも「二ヶ国語」教育を
トレンティーノ州ではイタリア語が話されますが、アルト・アディジェ(南チロル)州では上記の歴史的理由から、イタリア語とともにドイツ語も公用語となっているので、(他にラディン語などの少数言語が存在します。)学校でも早くからドイツ語、イタリア語教育がなされます。アルト・アディジェ州には、ドイツ語とイタリア語によるそれぞれの教育機関が存在し、親は自分の子供をどの語学系の学校に通わせるかを決めます。
ドイツ系とイタリア系が組み合ったカップルも当然いるので、家庭で二ヶ国語を使い分けている人も多いですが、仮に両親共にドイツ語が母国語だからといって子供も必然的にドイツ語学校に、とも一概に言えず、家ではドイツ語だから学校はあえてイタリア語学校にとか、その逆もあり、家庭の教育方針によって色々なケースがあります。
いずれにしても、二ヶ国語を流暢に話せるようにと早い時期から考慮する親が多いです。就職の際も、二ヶ国語(またはラディン語を加えて3ヶ国語)を母国語同様に話せるかが問われることも多く、そのための語学検定が必修となってきます。ちなみに私はアルト・アディジェ州の音楽教室で教えていますが、ドイツ系の人は小さな子供でもイタリア語を割としっかり話せるように思います。ただそうは言っても基本はドイツ語会話ですし、必要に駆られなければイタリア語を話したがらないように思います。それに対してイタリア系の人は、ドイツ系の人のイタリア語のように誰でも理解しているというわけではない、というのが私の個人的な印象です。

●州内は「二ヶ国語表記」が原則
この州を旅していてすぐに気がつくのは、多くが二ヶ国語表記になっていることです。先に何語で表記するかはケースバイケースで、例えば電車の駅名はイタリア語が先で、ドイツ語人口が多いところは、官庁や病院でも先にドイツ語で表記されているようです。本屋やバールは中に入ればどちら寄りのお店かわかる、という具合で、看板や表記からそれぞれの町や施設の事情が伺えます。

写真下:D夏ノイマルクト/エーニャ市の道路標示。先にドイツ語。 

●ミサも「ドイツ語」と「イタリア語」別々に
ボルツァーノ自治県の州都ボルツァーノから南に25キロのところに、エーニャ Egna(ドイツ語でノイマルクト Neumarkt)という、人口5000人程度の町があります。やはり第一次大戦でイタリアに併合されてから多くのイタリア移民を抱えた町ですが、南チロルの文化が色濃く反映されていて、現在は市民の3分の2がドイツ語を、残りがイタリア語を母国語として話します。

私はひょんなご縁で、数年前からこの町の教会オルガニストとして、ミサでオルガンを弾いています。日曜日には二回のミサが、一回目はドイツ語、二回目はイタリア語で執り行われ、信者は母国語のミサに出席します。司祭は同じ説教をそれぞれドイツ語とイタリア語で語ります。正直、ミサを一回にまとめて皆で仲良くやればいいのにと、第3者の私はよく思ったものです。

写真下:E教会の賛美歌の棚。赤がイタリア語、グレーがドイツ語による賛美歌。内容や収録曲も一部を除いて違うものです。    

確かに年に数回だけ、二ヶ国語によるミサも行なわれてはいます。その際、司祭はミサの式次第をドイツ語とイタリア語で交互に執り行います。しかし、二ヶ国語ミサの回数が増えていかないところを見ると、一緒にされたくない、という気持ちをお互いがどこかに持っているように思えます。いくら領土的にはイタリアになったからといって、その地方で長年育まれてきた文化や心まで変える事は難しい、いや、不可能なのだろうと、彼らと接してきて感じるようになりました。  

●二つの言語圏の間で異なる気性や伝統文化
もともと閉鎖的で真面目、自尊心の高い南チロルの人々にとっては、領土併合により南から移住してきた自由奔放で楽観的なイタリア人を受け入れがたい気持ちがどこかにあり、またイタリア人も当然それを面白く思っておらず、両者間に消しがたい敵対感情のようなものがどうしても消しきれないように感じます。

写真下:Fノイマルクト/エーニャ市の夏祭り。民族衣装で踊る人たち。  

司祭はそんな両信者のコミュニティーをバランスよく満足させなければならず、完全な部外者である私に「なかなか大変なんだよ」と苦笑いで耳打ちしてくれたこともありました。ちなみに私はというと、どちら側からみても遠いアジアからの外国人。独特な背景を持ったこの地域の、しかも教会という特別なコミュニティーによくアジア人の私を受け入れてくれたものだなあと始めは不思議でしたが、裏を返せば、どちらにも属せない私の立ち位置が、かえって両者の中和剤役となっているからなのかもしれません(笑)。  

写真下:Gノイマルクト/エーニャ市の吹奏楽団。

●「外国人」の立場で二つのコミュニティを体験
祈りながら静かにミサの開始を待つドイツ系の人たち、ミサの前からおしゃべりの絶えないイタリア系の人たち。賛美歌もドイツ語とイタリア語のそれぞれの賛美歌集が存在しますが、ドイツ・コラールの長い伝統を培ってきたことを感じさせるドイツ系の人のしっかりした歌唱法に対し、楽譜の記譜とは違っても感性のまま自由に歌いあげてしまうイタリア系の人たちの美声。相容れないのも当然だなあとオルガン伴奏をしながらほくそ笑みつつ、私は「外国人」という立場からそれぞれのコミュニティの伝統、文化を体験させてもらっています。 



著者紹介
吉田 愛  Yoshida Ai
東京都出身。武蔵野音楽大学、ドイツ・リューベック音楽大学にて、パイプオルガン、チェンバロ、教会音楽を学ぶ。7年間のドイツ生活を経て帰国し、盛岡市民文化ホール専属オルガニストとしてオルガンの普及活動に勤めた。2006年、パイプオルガン制作に携わるイタリア人夫との結婚を機にトレンティーノ州ドロミテ山塊の麓フィエンメ渓谷に移り住み、北イタリアを拠点にヨーロッパ、日本で演奏活動を行う他、毎夏日本人のためのドロミテ・オルガンアカデミーを開催している。CD「バッハとイタリア」「4手の対話」「めぐりあう時」(大阪、ワオンレコード)は各音楽誌で特選盤。南チロル州エーニャ市サン・ニコロ教会オルガニスト。
ブログ「オルガニスト愛のイタリア山小屋生活」 http://organvita.exblog.jp
ホームページ http://www.aialexorgano4mani.com





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