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イタリア世界遺産の旅
15 lulglio 2008
マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園
I Sassi e il Parco delle Chiese Rupestri di Matera

バジリカータ州 Basilicata
マテーラ県 Matera 
登録年 1993年
登録基準 文化遺産(iii)(iv)(v)




文・写真 牧野宣彦

イタリア南部バジリカータ州のマテーラには、凝灰岩の岩盤を掘ってつくられた"サッシ"と呼ばれる洞窟住居が今も残る。

●マテーラの歴史
人が住み始めたのは先史時代と言われるマテーラでは、旧石器時代の出土品が発見され、新石器時代の塹壕村落や青銅時代の村落の痕跡が見られる。ターラント湾沿岸にあったギリシャの植民都市エラクレアEraclea、メタポントゥムMetapontoumの住民の一部が流れ着いて町を建設したので、2つの町の名前の頭文字に取ってマテーラMateraと名づけられた。
ギリシャ人、ローマ人がマテーラに住んでいた事は歴史家が述べている。6世紀に入るとゴート族、その後ロンゴバルト人の侵入を受け、数世紀にわたってビザンチンとも対決。西暦876年から994年まで、マテーラは破壊と再建を三度も繰り返した。

10世紀になり安定を取り戻すと、岩窟教会、修道院などの多数の宗教的建造物が建設された。
12世紀から13世紀にかけてマテーラは、アンジュー家の支配を受け、その後オルシーニ・デル・バルゾ、サンセヴェリーノなどの封建領主が統治した。続いて、アラゴン王国の支配を受ける。
15世紀から16世紀にかけて、トルコ人の侵略により故郷を追われたアルバニア人、セルヴィア人、クロアチア人などが大量にマテーラに侵入して来た。アラゴン家は、マテーラをジャンカルロ・トラマンテーノ伯爵に売り渡すが、この伯爵はマテーラの住民に重税を課した。1514年、怒った住民は城を建設中だった伯爵を殺害する。
マテーラはその後、何度も売り買いされたが、1663年から1806年までバジリカータ州の本拠地となる。イタリア統一後、幾多の変遷を経て1927年にマテーラ県の県庁所在地になった。

世界遺産となっている"サッシ(岩壁を意味するサッソの複数形)"は、町の最も古い地域にあたる。具体的にいつ頃からつくられ始めたのかはわかっていないが、先史時代に遡る長い歴史の中で、マテーラ渓谷の谷間に形成された"居住空間"だ。手で掘られた洞窟や自然の空洞が重なり合い、通りはその下の家の屋根となる。まるで迷宮のようでもある。

現在マテーラには、洞窟住居や155の岩窟教会の他、ムルージア公園、18世紀に建設されたランフランキ宮殿に置かれている国立中世現代博物館などがある。考古学博物館では、人類古代史の変遷を見る事が出来る。
写真トップ、下:マテーラの町の様子

●長かったマテーラまでの道のり
2007年3月、ナポリを8時半に出発、列車でベネベントへ向かった。約1時間走り、もう少しでベネベントいう所で列車が突然止まった。窓を開けて見ると、一台の3輪トラックが線路の脇に停車している。列車と接触したのか、警官が来て事情聴取をしていた。
私と妻はベネベントから10時3分に出発するバーリ行きのヨーロスターの席を予約していたが、ここで列車が50分も遅れたため、当然ヨーロスターには乗れなかった。次のバーリ行きは11時50分のインターシティがあるので、これで行きなさいという話しだった。
ベネベントで汽車を待っていると、このインターシティも50分遅れて到着し、列車に乗ったのは13時近くだった。この時点でトータル3時間を無駄にした。

列車はどうにか15時半頃バーリに着いた。しかし、バーリからマテーラまでは、16時半頃の列車しかないという。我々も、そして列車内で知り合った若い日本女性も日が沈む前にマテーラへ着きたかった。仕方ないので、タクシーで行く事にした。マテーラまで約1時間、着いた時は18時近くになっていた。

その時だった。最後の夕日にマテーラのサッシが輝いた。私は急いでシャッターを押したが、1分もしないうちに辺りは暗くなり、写真は撮れなくなった。私にとって束の間の晴れ間が出た3時間のロスは何もにも変えがたいほど貴重な時間だったが、結局誰に文句を言ってもしょうがなかった。

私達が泊まったのは、サッシの中にあるホテルサンタンジェロ。着くと前に岩窟教会が見えた。
案内された部屋は、とても広く天井が高く、アーチの形をしていた。シャワーだけだったが、とても快適な部屋で、暖房がよく利いていた。翌日はレセプションのある部屋の奥にテーブルがセッティングされ、朝食を取った。パン、フォカッチャ、トマトのブルスケッタの他、オレンジなどもあり、美味しい朝食であった。レセプションの応対もとても親切で感じがよかった。

写真左:その名の通り岩壁につくられた居住空間、右:マドンナ・デッリドリス教会

●博物館と教会見学
シチリア以来雨に見舞われる事が多かった今回の旅行。この日も雨がしとしと降っていた。しかし焦ってもしょうがないので、朝9時半頃ホテルを出て、ランフランキ美術館Palazzo Lanfranchiへ向かった。訪れているのは我々だけで閑散としていたが、中世から1800年代ごろまでの絵画や、小説『キリストはエボリに止まりぬ』を書いたことで知られるカルロ・レーヴィの描いた絵が展示されていた。
次に訪れたのは考古学博物館Museo Archeologico Nazionale。美しい装飾の施されたアンフォラ、青銅や金銀細工の食器など豊富な展示で、素晴らしいコレクションだった。
博物館の窓から外を見ると雨が上がり、空が少し明るくなった。すぐに近くの展望台に行き写真撮影をしたが、日の光は弱く、すぐに暗くなってしまった。

ホテルの近くのバッカンティというレストランで食事をし、その後サッシにある4つの教会を見学した。朝インフォメーションで、教会巡りのチケットを6ユーロで買っていた。
最初に訪れたのはマドンナ・デッリドリスMadonna dell'Idrisという岩窟教会だった。入り口は一緒だが奥にはサン・ジョヴァンニ・イン・モンテッローネ教会S.Giovanni in Monterroneもある。奥の教会の壁には、色などは褪せていたが、恐らく5、6世紀ごろのビザンチン風の宗教画が描かれていた。
次に訪れたのが、サンタ・ルチア・アッレ・マルヴェ教会S.Lucia ale Malve。こちらも同じような絵画が見られた。
3つ目の教会は、コンヴィチニオ・サン・アントニオConvicinio di S. Antonio。前には穴倉のある岩壁が見え、そして下は深い谷になっている。入口も教会というより洞窟という感じだ。入って見るとこの教会はかなり広く、地下深くまで道があり、壁にはやはりビザンチンを髣髴させる絵画がうっすらと描かれていた。
最後の教会サンタ・マリア・デ・アルメニスS.Maria de Armenisは閉まっていたが、4つの教会を訪問し、これらの洞窟でキリスト教の集会が密かに開かれていた事を思うと、この時代には宗教が人間にとって、現代以上に重要で、生活の中に強く密着していたのを感じた。

その後ドゥオーモDuomoに行ったが、修復中で中には入れなかった。ドゥオーモの前の展望台から、別のサッシが見えた。この時初めてサッシ地区が2つある事がわかった。
彼方の空は一部青かったが、やはりこの日は曇り空で太陽はほとんど顔を出さなかった。しかしサッシの風景は魅力的で、又訪れたいと思った。ここでは現在、ホテル、レストラン、民家、工房などが少しづつ増え、活気のある町が形成されているのを肌で感じた。


データ
Dati

Aquileia ■マテーラへのアクセス
<鉄道>
ミラノ、ボローニャ、リミニ、アンコーナ方面から、あるいはローマ、ナポリ方面から、いずれの場合もイタリア鉄道バーリBari駅で下車。その後、平日はローカル鉄道FAL線に乗り継ぎ。日・祝はバス乗り継ぎ。

アクセスの詳細は、『私の住む町案内・マテーラ』おすすめ一日観光コースのデータ部分をご参照ください。

■インフォメーション
バジリカータ州立観光促進オフィスAPT
Via Spine Bianche 22
Tel: 0835-331817
URL: http://www.aptbasilicata.it

マテーラ市サイト  http://www.comune.matera.it
サッシ関連サイト  http://www.sassidimatera.it

■その他
ランフランキ美術館 Palazzo Lanfranchi
Piazza Pascoli 1, Matera
Tel: 0835-256262
開: 9.00-13.00/16.00-19.00、月休

考古学博物館 Museo Archeologico Nazionale
Via Ridola 24, Matera
Tel: 0835-310058
開: 9:00-20:00、月休
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