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イタリア世界遺産の旅
15 febbraio 2010
フェッラーラ:ルネッサンス期の市街と
ポー川デルタ地帯

Ferrara citta' del Rinascimento e il suo Delta del Po

エミリア・ロマーニャ州 Emilia Romagna 
フェッラーラ県 Ferrara
登録年1995(ルネッサンス期の市街)、
1999(ポー川デルタ地帯)  



文・写真 牧野宣彦

ボローニャの北東51km、ポー河の浅瀬に位置するフェッラーラは現在人口14万人弱のエミリア・ロマーニャ州の中堅の町だが、エステ家が統治していたルネッサンス期の3世紀の間、イタリアでも有数の文化の華が咲き、街の随所にエステ家の君主達の優雅な宮廷の名残りが見られる。
写真トップ:フェッラーラのエステ家の城

写真左: カテドラル、右: フェッラーラの名物行事 パーリオ

●文化的隆盛を極めたエステ家宮廷
フェッラーラの宮廷が隆盛を極めていた頃、画家のピエロ・デッラ・フランチェスカ、レオン・バッティスタ・アルベルティ、マンテーニャ、ファン・デル・ウェイデンなど他国から来た画家、コズメ・トゥーラ、フランチェスコ・デル・コッサなどフェッラーラ派といわれる画家達が活躍し、エステ家の屋敷を飾り優れた作品を残した。また、詩人では「狂乱のオルランドOrlando Furioso」を書いたアリオストLudovico Ariosto(1474〜1533)、「解放されたエルサレムGerusalemme Liberata」を書いたタッソTorquato Tasso(1544〜1595)など二人の偉大な詩人が、フェッラーラで活躍していた。

アリオストの「狂乱のオルランド」はヴィヴァルディが「猛勇オルランドOrlando Furioso」というオペラにしている。また「解放されたエルサレム」はヘンデルが「リナルドRinaldo」というオペラにした。バッハが尊敬した作曲家のフレスコ・バルディFrescobaldiは1583年にこの地で出生し、18世紀に活躍した名ソプラノ、ルクレッツィア・アグィアーリLucrezia Aguiari(1743〜1783)もフェッラーラで生れている。フェッラーラはまたオペラの舞台となった街として知られる。ドニゼッティDonizettiの「ルクレツィア・ボルジアLucrezia Borgia」「トルクァート・タッソTorquato Tasso」「パリジーナ・デステParisina D'Este」などの作品はいずれもフェッラーラが舞台になっている。

写真左:フェラーラのディアマンテ館にあるマンテーニャの作品、右:テアトロ・コムナーレ

●歴史上初のルネッサンス都市計画に基づいた都市
ここでフェッラーラの歴史を短く見てみよう。エミリア・ロマーニャ州の主要都市ボローニャやパルマの町の起源は古代に遡るが、フェッラーラの起源は中世初期の時代といわれ、街の名が初めて登場するのは8世紀頃で、この時代はランゴバルト族が支配していた。1270年にアッツォ・デステ7世がこの地の行政長官に任命され、1322年にローマから正式な叙任権を与えられ、エステ家による実質的な君主制が始まった。

1385年二ッコロ2世は城の建設を始め、1386年の第一次都市拡張計画で、現在のジョヴェッカ大通り沿いに、新しい城塞をめぐらせ、現在のサヴォナローラ通りとヴォルタ・パレット通りを街の中心に定め、その結果12世紀に建設されたカテドラルと1391年に創設されたフェッラーラ大学が一つの道で結ばれた。第2次都市拡張計画はボルソによって行われ、その時代にフェッラーラは絶頂期を迎える。1492年エルコレ1世が第3次都市拡張計画を実行し、仕えていた建築家のピアージョ・ロセッティは公園、庭園、菜園などの建設をした。現在街の南北を横切るエルコレ1世大通り、東西に走るロセッティ大通り、ポルタ・マーレ大通りの2本が交差するディアマンティの十字路が建設され、これが歴史上初めての本格的ルネッサンス都市計画に基づいた都市といわれる。

この時代フェッラーラは、都市の面積が倍増し、ピアージョ・ロセッティによって現在国立絵画館になっているディアマンテ館Palazzo dei Diamantiと考古学博物館になっているルドヴィコ・イル・モーロ館が建設された。スイスの美術史家ヤコブ・ブルックハルトはその著「イタリアルネッサンスの文化史」の中でフェッラーラをヨーロッパ最初の近代都市と定義している。彼の念頭にあったのが前述したエルコレ1世が命じたピアージョ・ロセッティによる第3次都市拡張計画だった。

ユネスコの挙げているフェッラーラの代表的な建築には、エステ城Castello Estense、スキファイノア宮殿Palazzo Schifanoia、カテドラルCattedrale、テアトロ・コムナ―レTeatro Comunaleなどがある。

写真左:ポー河のデルタ地帯、右:ポンポ―ザ修道院

●ポー河のデルタ地帯
また、ポー河のデルタ地帯も世界遺産の範囲である。ここには、54000ヘクタールの広大なデルタ地帯が広がっている。ポー・デルタ公園になっていて、特殊な動物や植物などが生息している。アルプスに水源を持つポー河は、北部イタリアを横断し総延長650kmの旅をここで終えアドリア海にそそぐ。その中心であるコマッキオComacchioでは、松林、砂丘、塩田などが存在し、夏には水深1mの水の上を船で遊覧したり、道をサイクリングする人、徒歩での散策、バードウォッチングなどが盛んに行われている。この地域にゴディゴーロという人口14000人位の小さな街がある。この周辺は湿地帯で、イタリア有数の鰻の産地であるが、ここにポンポ―ザ修道院Abbazia di Pomposaがある。ベネディクト派の大きな修道院で、11世紀頃建設され、1063年にとり付けられた高さ43mの鐘楼がそそり立っている。修道院の内部は、ジョット派の絵画で美しく装飾されている。私は5年くらい前にここを訪れた事があった。高い鐘楼とロマネスク様式のバジリカが印象的だった。

この地域でもう一つ忘れてならないのが、ゴーロGoroという町から約11.5kmの北東にあるメゾーラMesolaという町で、ここにカステッロ・メゾーラというという城がある。1578年にエステ家のアルフォンソ2世公爵が、妻マルゲリータの為に建設した城で1586年に完成した。詩人トルクアート・タッソの愛した城で、彼はこの城を詠った詩を残している。

私の住んでいるボローニャ二から近いフェッラーラには、オペラの鑑賞やパリオの撮影などで10回位訪れている。しかし一番印象に残っているのは、1999年の夏にフェッラーラのテアトロ・コムナ―レでクラウディオ・アッバードが「ファルスタッフ」を上演するというので訪れた時だった。この日の演奏はクラウディオ・アッバードの絶妙な指揮とファスタッフを演じたルッジェッロ・ライモンディの歌と演技が素晴らしかったが、オペラの幕間にフォアイエに出てみた。すると目の前に紫の夕日を浴びたエステ城が眼前に迫ってくるように見えた。エステ城は今まで何度か見たが、あれほど美しく夏の残照の光に浮かんで見えた印象的な景色はない。夕日を浴びたエステ城は紅色に染まり、お濠に囲まれた城は夢のように美しかった。


データ
Dati

交通アクセス

<列車で>
ボローニャBolognaから,パドヴァPadova, ヴェネツィアVenezia方面へ向かう
特急,急行列車で30分程度。

■インフォメーション 
観光情報案内所 I.A.T.
Informazioni e Accoglienza Turistica
Castello Estense(エステ城)
開館時間: 週日 9.00-13.00 / 14.00-18.00
日曜・祝祭日 9.30-13.00 / 14.00-17.00
休館日: 12月25日、1月1日
Tel: 0532 209370 0532 209370 - Fax:0532 212266
infotur@provincia.fe.it
ferrarainfo.com

■フェッラーラ観光公式サイト
http://www.artecultura.fe.it/  
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