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イタリア世界遺産の旅
15 Ottobre 2015


アラブ・ノルマン様式のパレルモと、チェファルー、モンレアーレの大聖堂
Palermo arabo-normanna e
le cattedrali di Cefalu' e Monreale


シチリア州 Sicilia
パレルモ県 Palermo
登録年 2015年
文化遺産(ii)(iv)


文・写真 牧野宣彦

2015年7月3日ドイツのボンで開催された第39回世界遺産委員会の会議でイタリアから「アラブ・ノルマン様式のパレルモと、チェファルー、モンレアーレの大聖堂」が世界遺産として登録された。上記の場所は登録基準の(ii)と(iv)を満たし、アラブとノルマン(キリスト教文化)、ビザンチンが融合したアラブ・ノルマン様式の素晴らしい建造物が残っている事が評価された。パレルモ市内では2つの宮殿、3つの教会、大聖堂、橋、またパレルモ郊外にあるモンレアーレの大聖堂、チェファルーの大聖堂の9カ所である。またこれらの場所はキリスト教文化とイスラム、ビザンチン文化の融合、異なる宗教を持った異民族(イスラム、ビザンチン、ラテン、ユダヤ、ノルマン、ロンゴバルト、フランス)などが共存した文化遺産として高い評価を受け、これでイタリアの世界遺産は51となった。
写真トップ:パレルモのノルマン宮内のパラティーナ礼拝堂
写真上左: パレルモのマルトラーナ教会内部のモザイク         写真上右: チェファルー大聖堂


登録基準の(ii)(iv)とは
(A) ある期間を通じて、またある世界の文化圏で、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観の発展に関し、人類の重要な価値の交流を示すもの。 (C) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある様式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観などの顕著な例である。                                             

1.パレルモの歴史
パレルモはフェニキア人が、紀元前8世紀頃建設したといわれている。それ以前古代カルタゴ名は(花)を意味するZizと呼ばれていた。その後この地は自然の良港で、船の着岸が容易であることからすべてが港という意味のギリシャ語(Panormos)と呼ばれるようになった。パレルモはアフリカのフェニキア人の植民都市カルタゴに支配されていたが,紀元前254年第一次ポエニ戦争でローマがカルタゴを破り、支配権を奪取した。しかしながらパレルモはローマ都市パノルムとして発展する事もなく、7世紀が経過し、その後数十年間はオドアケルやテオドリック王などが建国した蛮族の王国下にあり、続く3世紀はビザンチンの支配下にあった。
パレルモを隆盛に導いたのは、アラブ人で831年アラブ人はパレルモを征服、948年にはシチリアを首長国、パレルモをその首都にし、この町を地中海交易の拠点にした。人口は3万人から10倍の30万人に達し、当時はモスク,商館、邸宅、市場、庭園などが点在するビザンチン風の街になった。

1072年パレルモは、ノルマン人によって征服される。1140年パレルモのドゥオーモにおいてルッジェロ2世が戴冠し、シチリアのノルマン支配は盤石になるが、他国に見られたような文化の亀裂は見られなかった。アラブ、ラテン、ビザンチンの職人達は、様々な文化を融合する建築を建てた。それがパレルモにあるノルマン王宮,パラティーナ礼拝堂、マルトラーナ教会、サン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会、大聖堂、サン・カタルド教会、ジーザ、クーバなどであった。

その後もシチリアは神聖ローマ帝国、フランス、スペインなどが統治し、文明の十字路言われるように異民族が支配したが、パレルモのこれらの建築は、損なわれることなく、現存している。

今回登録された遺産は下記のものである。
<パレルモ Palermo>
1)ノルマン王宮 Palazzo dei Normanni、 パラティーナ礼拝堂 Cappella Palatina
2)パレルモ大聖堂 カテドラーレCattedrale di Palermo
3)サン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会 Chiesa di San Giovanni degli Eremiti
4)マルトラーナ教会 Chiesa di Santa Maria dell’Ammiraglio Martorana
5)サン・カタルド教会 Chiesa di San Cataldo
6)アンミラリオ橋 Ponte dell'Ammiraglio
7)ジーザ宮殿 La Zisa
<チェファルー Cefalu>
8)チェファルー大聖堂 Duomo di CefaluDuomo di Cefalu
<モンレアーレMonreale>
9)モンレアーレ大聖堂 Duomo di Monreale

2.アラブ・ノルマン様式のパレルモと、チェファルー、モンレアーレの大聖堂を巡る旅
私が最初にパレルモに行ったのは、1980年だから今から35年前に遡る。その後テアトロ・マッシモでのオペラ鑑賞、歴史的ホテル・レストラン・カフェなどの取材で、全部で10回位訪れている。一番印象的なのは、2007年にテアトロ・マッシモでベッリーニのオペラ「ノルマ」をパレルモに5日間いて3回見るツァーの企画をして総勢15名位でパレルモに行ったことだった。しかしこの時、ノルマの初日はオーケストラのストでノルマは、オーケストラなしのピアノ伴奏で上演された。その後オペラは中止になり、苦い思いをしたが、天気に恵まれた為に多くの場所を訪れる事が出来た。その中には今回世界遺産になった場所も勿論あり、アンミラリオ橋Ponte dell’Ammiragio以外の場所は全部訪れた。

写真上:パレルモのノルマン王宮

<パレルモ>
1)ノルマン王宮 Palazzo dei Normanni , パラティーナ礼拝堂 Cappella Palatina
ノルマン王宮は、古代ローマの城塞の跡地に9世紀パレルモを支配していたアラブ人太守の元で建設が始まり、12世紀にルッジェーロ2世とその後継者のノルマン王達はこのアラブの城塞を拡張し、豪華な宮殿に造り替え、国政の統治の拠点とした。そして神聖ローマ帝国のホ-エンシュタウフェン朝の皇帝フリードリッヒ2世(1194-1250が)、シチリア王(在位:1197-1250)も兼ねた時代、当時のヨーロッパ最高水準の文明、文化の花が咲いた。その後王宮はシチリアの政治的没落に伴い荒廃していたが、1555年以後スペインが、シチリアを統治しそれ以後スペイン総督の住まいとなり、大幅な改築が行われた。

現在この建物はシチリア州議会として使用されている。王宮内で今もノルマン王朝時代の痕跡は、ルッジェロ2世の間Appartamenti Reali、パラティーナ礼拝堂Cappella Palatinaが王宮の2階にある。パラティーナ礼拝堂は、ルッジェーロ2世により1132年に着工され、1140年に完成した。礼拝堂の内部は、造形と美術の傑作といわれ、古代の円柱が支える尖頭アーチによって3廊に分けられ、トランセナ(飾り格子)で仕切られた高くせりあがった内陣に3つのクーポラを備え、床はモザイクで舗装され、壁面の底部は大理石の象嵌細工で覆われている。身廊を覆う天井はアラブ人が1143年頃制作し、スタラクタイト(鍾乳石状の装飾)、ムカルナスmuquarnasが施されている。

壁面の高い部分は、豪華な黄金のモザイクで埋め尽くされている。最も古いのは内陣のモザイクで、ビザンチンの様々な様式美が見られ、ギリシャ語の書き込みのある福音書の場面、クーポラには天使、大天使、福音史家、預言者などに囲まれた全能の神キリストの像がある。その後1154-1166年頃に造られたのが身廊のラテン語の書き込みのあるモザイクで、旧約聖書の物語を描いている。その後両側廊に聖ペテロと聖パオロの生涯を表したモザイクが制作された。

2) パレルモ大聖堂 カテドラーレCattedrale di Palermo
7世紀頃から存在したバジリカの跡地に1184年建立され、後アラブ人によりモスクに改装され、その後ノルマン人により再びキリスト教教会に造り替えられた。15世紀以降は繰り返し改修され、創建時のままだったが、1781年から1804年にフェルディナンド・フーガFerdinando Fugaの設計に基づき大規模な改修が行われ、現在のような姿になった。

写真上:パレルモ大聖堂の内部

ファサードは14世紀から15世紀の外観を留めている。1787年ゲーテはここを訪れ「総本山を訪れ、そこで珍しいものを見た。」と書き記している。ゲーテが見た珍しいものとは、町の守護聖人、聖ロザリアの聖遺物を収めた銀の壺といわれている。彼が訪れた1787年頃ここは大規模な改修が行われていた。またこの場所は、皇帝と王の霊廟Tombe Imperiali e realiになっていて、ルッジェーロ2世、ハインリッヒ6世、フリードリッヒ2世などの墓がある。

3) サン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会 Chiesa di San Giovanni degli Eremiti
1130年から1148年ルッジェロ2世の時代にアラブ人の職人の手で建設された教会で、イスラム風の赤い丸屋根が印象的でノルマン時代のパレルモの最も象徴的な建築物の一つ。庭にはアラブの井戸の遺構の他に最初のベネディクト会修道院に属した、対になった小円柱が支える13世紀の中庭付き小回廊がある。

4) マルトラーナ教会Chiesa di Santa Maria dell’Ammiraglio Martorana
別名サンタ・マリア・デッランミラリオ教会S.Maria dell’Ammiraglio ノルマン時代の宝石といわれるこの教会は、ルッジェロ2世の海軍提督(アランミラリオ)ジョルジョ・ダンティオキアGiorgio d’Antiochiaの要請で1143年に建立された。マルトラーナという名前は1433年エロイザ・マルトラーナEroisa Martornaが1194年に創設したベネディクト会修道院に移譲された事に由来する。現在ノルマン王朝時代の外観は、鐘楼(Campanile)と八角形のドラムに支えられた半球のクーポラを載く教会の四角い本体の部分だけである。内部は本堂の正面部分に2つのモザイクがあり、右は「イエスによって戴冠するルッジェーロ2世」、左は「聖母マリアの足もとのジョルジョ・ダンティオキア」がある。

写真上:マルトラーナ教会の外観   写真上: マルトラーナ教会内部のモザイク

しかしこの教会で最も素晴らしいものは、大アーチクーポラに燦然と輝くモザイクで、これはビザンチン様式の伝統を受け継いだ作品で、全能の神イエスを中心にその周囲に大天使、預言者、福音史家、使徒、成人などが配置され、その他に「イエスの降臨」「聖母マリアの死」、「受胎告知」、「神殿奉献」などのモザイ クがある。

5) サン・カタルド教会 Chiesa di San Cataldo
マルトラーナ教会の隣に立つ小さな教会で、ノルマン王グリエルモ1世の時代1160年頃建設された。上部には赤い半球のクーポラや、窓付きの嵌め込みアーチのある側面の壁など、ノルマン様式の特徴が見られる。19世紀末に大規模な改装があったがモザイクの舗床と祭壇は創建時のオリジナル。この教会には聖母守護騎士団の本部が置かれている。

写真上左: サン・カタルド教会の外観      写真上右: サン・カタルド教会の内部

6) アンミラリオ橋 Ponte dell'Ammiraglio
ルッジェロ2世の海軍提督(アランミラリオ)、ジョルジョ・ダンティオキアGiorgio d’Antiochiaが1130年から1140年にかけて建設した12の小さなアーチを持つ石橋で、ノルマン時代の土木建築技術が優れていたことを示している。パレルモの中心地と郊外のブランカッチョBrancaccio地域を結ぶ記念碑的橋で、下を流れていたオレート川の流れが変わったために現在は部分的に埋め立てられている。

写真上:アンミラリオ橋

7) ジーザ宮殿 La Zisa
ノルマン時代に建設されたイスラム建築の宝石といわれる宮殿で、アラブ語の「Aziz 輝かしい」からこの名前がついた。ノルマン王の別邸として、グリエルモ1世の要請で着工され、グリエルモ2世により1165年から1167年に完成した。1787年4月 にここを訪れたゲーテは「そこにあるムーア様式の、これまで立派に保存されてきた家屋は僕たちをことのほか喜ばせた。中略 調和した部屋がいくつかあっ て、北国の気候ではちょっと住めそうにないけれど、南国の気候では最高に居心地がよさそうだ。」とその印象を書いている。

写真上: ジーザ宮殿

<チェファルー Cefalu>
8) チェファルー大聖堂 Duomo di Cefalu

チェファルーはパレルモの東68キロに位置し、大きな岩山の麓から海岸にかけて広がる街で、その岩山の麓にあるのがチェファルーのドゥオーモである。ルッジェーロ2世が嵐の海で助かった事を聖母に感謝して、1131年に着工し、数百年に渡って中断や改築を繰り返し建設は長期に及んだ。この建物はノルマン時代の優れた建築物の一つで、 内部は16世紀に改装されたが、創建当初に造られたビザンチン様式の荘厳なモザイクが残っている。

写真上:チェファルー大聖堂

内部右側廊には12世紀に制作されたロマネスク様式の洗礼盤があり、聖堂内陣の主祭壇には15世紀の木の十字架像がある。その周囲の壁面とヴォルートは、1148年(下方に銘がある)制作のビザンチン様式の豪華な黄金のモザイクが輝いている。ラテン文字とギリシャ文字の添えられた聖なる人物像は天界における位置に従い配置されている。左側廊には全能のキリスト、聖母と4大天使、12使徒などが見られる。中にはアントネッロ・ガジー二が1533年に描いた「聖母子」などがあり、芸術的に高く評価されている。

<モンレアーレ Monreale>
9) モンレアーレ大聖堂 Duomo di Monreale

モンレアーレはパレルモの南西約8キロの所に位置する小さな町で、オレート渓谷Valle dell’Oretoと黄金の盆地Conca d’Oroを見下ろす丘の上にあり、ここにはイスラム、ビザンチン、ロマネスクの文化が邂逅してできたイタリア芸術の最高傑作といわれるモンレアーレ大聖堂がある。この大聖堂は、1174年グリエルモ2世によって、被昇天の聖母に捧げる教会として着工され、1183年頃に完成した。バッサーノ・トラー二の制作したレリーフ(諸聖人)の扉口は1178年、聖書の場面が描かれたボナンノ・ピサーノの聖堂の扉(1186年)などが作られた。

写真上:モンレアーレ大聖堂

外観は2塔の鐘楼塔、内部はバジリカ式の三廊式で、古代の円柱がこれを支えている。内陣の壁面上部には、12世紀末から13世紀中葉に制作された黄金のモザイク(6340u)があり、旧約、新約聖書の物語の主題が描かれ、ラテン語とギリシャ語の文字が記されている、身廊には創世記の物語、中央のアプシス(後陣)には全能のキリストの下に玉座の聖母、諸天使、12使徒、諸聖人の像がある。至聖所の両隣には、「キリストに王冠を授かるグリエルモ2世」と「聖母に大聖堂を捧げるグリエルモ2世」が描かれている、内部には1811年の火災で破壊されたが復元されたグリエルモ1世、グリエルモ2世の墓、それに1270年に亡くなったフランス王ルイ9世の聖遺物が祀られている。

教会の中庭には素晴らしい回廊がある。面積は約2200u、合計216本の白大理石石柱が使用され、モザイクや象嵌細工で、聖書を元にしたキリストの奇跡、受難,聖人などが描かれている。これは10世紀にバシオレイオス2世によって作成された正教会暦からテーマが選ばれているので、ビザンチン様式の影響が見られる、中庭にあるアーチ型の噴水はイスラムの楽園が忍ばれる、ゲーテは1787年4月10日モンレアーレを訪れている。彼は建物の前にある庭などについて言及しているが、私の関心をひいた内部の壮麗なモザイクについては一言も述べていない。


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