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イタリア世界遺産の旅
15 dicembre 2008
ピサのドゥオーモ広場
Pisa, Piazza del Duomo


トスカーナ州 Toscana
ピサ県 Pisa
登録年 1987年
登録基準 文化遺産(i)(A)(C)(vi)




文・写真 牧野宣彦

斜塔で有名なピサは、人口10万足らずのティレ二ア海に面したトスカーナ州の街だが、古い歴史的遺産の宝庫である。この街は(T)(U)(W(Y)の基準で1987年世界文化遺産に登録された。

●海洋共和国として栄華を極めたピサ
ピサの起源は古代ローマ時代に遡るといわれ、ローマはピサを北部イタリア、西地中海を支配するのに重要な港町として利用し、ローマ帝国末期までローマの海軍基地だった。9世紀以後独立共和国になり、地の利を生かして海洋貿易に乗り出した。

アルノ川とセルキオ川が合流して海に注ぐ地点に開けたピサは、ジェノヴァの艦隊と共にサルデー二アからアラブ勢力を一掃することに力を尽くした。そして11世紀から12世紀にかけてピサの国力は充実し、文化、芸術の絶頂期に当たり、ドゥオーモや主な教会などの主要な建物が建造された。政治的には皇帝派に属したピサは、海へ進出しようとするフィレンツェ、アペニン山脈の通行権を巡ってルッカ、またサルデー二アの領有権をジェノヴァなどと争い、戦乱に巻き込まれ、1284年ピサ艦隊はメローリアの戦いで撃滅した。14世紀になると、ピサの国力は次第に衰えて行った。しかし文化の面では残照が輝いていて、この時代にピサ大学が創設され、カンポサントなどが完成し、現在残っている主要な建物がこの時代に揃った。

写真トップ:空から眺めたピサの斜塔とドゥオーモ
写真左:ピサのアルノ川両岸  写真右:豪華なイルミネーションで飾られたピサのアルノ川両岸

その後、1406年以降ピサはフィレンツェの支配下に入ったが衰退は食い止められなかった。更に海岸線が後退した為に港は湿地になり、マラリアが発生し、ピサの人口は一時8000人にまで減少し、その後メディチ家のトスカーナ大公が干拓事業などを遂行して街は次第に活気を取り戻して行った。ピサは有名な天文学者ガリレオ・ガリレイが生まれ、ルネッサンス画人伝の著者ヴァザーリの建築した建物などが残っている。

●「広場の奇跡」と呼ばれる美しいドゥオーモ広場
私はピサには、イタリアに住み始める以前から何回か訪れているが、1998年の6月には、毎年6月17日に行われるピサの守護聖人聖ラ二エリの灯火祭Luminaria di S.Ranieriを見に行った。この日は市の中心を流れるアルノ川の両岸にある建物が豪華なイルミネーションで飾られ、昼間は中世の服を着た人たちの行進があり、夜は花火が打ち上げられ、凄い人で賑わっていた。

2008年10月に再び訪れた。ピサのヴェルディ劇場で上演されたパイジェッロの「予期せぬ結婚」を見るためで、ピサには内装が美しい劇場がある。その時はピサの斜塔に登り、ドゥオーモ Duomo を見学した。沢山の観光客が自分の体を曲げて、斜塔を背景に記念撮影をしていた。ドゥオーモ、鐘楼(斜塔)、洗礼堂が緑の芝生に上に並んでいる景色はカンポ・ディ・ミラコリCampo dei Miracoli(広場の奇跡)といわれ、ロマネスク様式の美しい建物が集結していて美しい。
写真下:ピサのドゥオーモ広場、写真右:洗礼堂

その中心をなすのがドゥオーモDuomoであり1064年ブスケットBuschetto が着手し、12世紀にラインナルドRainnaldoがファサードを完成した。この大聖堂の建設者ブスケットは古代ローマの建築を模範として建物を造り、墓も古代ローマ風に造られている。内部にはイタリアゴシックの代表的な彫刻であるジョヴァンニ・ピサーノGiovanni Pisanoが制作した説教壇がある。親廊の中央には通称「ガリレオのランプ」と呼ばれるランプが垂れ下がっている。ロレンツォが設計し、1586年にヴィンチェエンツォ・ポッセンティがブロンズで製作したもので、ピサで生れたガリレオはこのランプの振動を見て振り子の等時性を発見したといわれるが、真実はそれ以前に発見したと考えられている。

その他内部には、ソドマ、ベッカーフミ、ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ、アンドレア・デル・サルトなどシェナ派の画家たちが描いた宗教画が随所に見られ、壮観である。アンドレア・デル・サルトの「聖アニエゼ」は、レオナルド風の構図の美しい絵画で、この絵を見た英国の詩人ロバート・ブラウニングはこのエピソードを本にして捧げている。また神聖ローマ帝国の皇帝だったハインリッヒ7世の墓があり、これは彫刻家のジョヴァンニ・ピサーノが製作した。他にドメ二コ・ギルランダイオの描いた「2人の天使」などの作品がある。ドゥオーモ博物館はドゥオーモ広場の東端にあり、そこには11世紀から16世紀に製作された彫刻の名品が展示されている。

写真左:カンポサント(墓地)、写真右:カンポサントの壁に描かれたフレスコ画「死の勝利」

●ガリレオが物体の落下を実験したピサの斜塔
洗礼堂 Battisteroは1152年にディオティサルヴィDiotisalviによって着工され、その後13世紀にジョヴァンニ・ピサーノなどが建築に参加、14世紀後半チェッリーノ・ディ・ネーゼにより完成したロマネスク様式を代表する建造物。正面にはジョヴァンニ・ピサーノ作の「聖母子」の複製の浮き彫りがある。(オリジナルはドゥオーモ博物館に収蔵されている。)イタリアにある洗礼堂は8角形のものが多いが、この洗礼堂はイタリアで唯一の円形洗礼堂でもある。内部には二コラ・ピサーノの製作した「最後の審判」「奉献」「磔刑」などの作品がある。

カンポサント(墓地) Camposantoは、1278年にジョヴァンニ・シモーネによって着工された記念墓地で、ピサ出身の著名人や功労者が葬られている。1944年アメリカ軍によって爆撃され、壁に描かれていた貴重なフレスコ画が消失したが、その後殆ど元の通りに修復された。ここは、スウェーデン女王クリスティナ、小説家のテオフィール・ゴーチェなど多くの芸術家に創作のインスピレーションを与えた事で知られる。ハンガリーの作曲家フランツ・リストはピサの無名の画家が描いたフレスコ画「死の勝利」を見て突然インスピレーションが沸き、「死の舞踏Totentanz」を作曲したといわれている。

ピサの鐘楼(ピサの斜塔)Campanileは、西暦1173年ボナンノ・ピサーノとグリエルモによって建設が始められた。この建物は、ピサの軟弱な地盤のために1185年ごろには既に傾斜が始まっていたといわれている。現在4.31メートルという異例な傾斜のままの建物は世界に一つしかない。294段ある螺旋階段が塔の上54メートルまで続いている。この頂上でガリレオが物体を落下させる実験を行い、重量に関係なく、いかなる物体も重力の加速度は同じである事を主張した。斜塔には美しい菱形模様,アーチなどが見られる。私も何度か上まで上り景色を堪能した。上から見る景色は素晴らしい眺望で、ピサの町を囲む城壁が見え、緑の草原の彼方にはリグリア海に反射する光線がまぶしいばかりに輝いていたのが印象的だった。


データ
Dati

siena ■ピサへのアクセス
<電車>
フィレンツェからピサ、ピサ空港、リボルノ行きに乗り約1時間。ピサ中央駅Pisa Centraleで下車。
ほぼ1時間に1本間隔で発車している。
ピサ中央駅から観光の中心「ドゥオーモ広場」まで徒歩で約20分。ピサ中央駅と同広場を結ぶバスもある。

<飛行機>
ピサ空港から市内まではピサ駅前行きバスで約10分。

ピサ市の公式サイト
http://www.comune.pisa.it/

■インフォメーション
ピサ観光案内所(ドゥオーモ広場内)
Ufficio Informazione
Piazza del Duomo
Tel: 050560464

ピサ県観光局
APT PISA (Agenzia per il Turismo di Pisa)
Via Matteucci - Galleria Gerace, 14 56124 PISA
Tel: 050-929777 Faxl:  050-929764
Email: aptpisa@pisaturismo.it
http://www.pisaturismo.it/site/home.asp

ピサの斜塔 Torre Pendente
Piazza dei Miracoli
開館時間
4月―9月 8:00−20:00
10月―3月 9:00-17:00
入館料:15ユーロ
入場が制限されており、限られた人数しか上れない。

大聖堂Duomo
Piazza dei Miracoli
開館時間 8:30-13:00  14:15-19:00

洗礼堂Battsitero
開館時間
4月―9月 8:00−19:30
3月、10月 9:00-17:30
11月―2月 9:00-16:30

墓地Camposanto
開館時間
4月―9月 8:00−19:30
3月、10月 9:00-17:30
11月―2月 9:00-16:30
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