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イタリア世界遺産の旅
15 marzo 2010
ラヴェンナの初期キリスト教建造物
Ravenna, I Monumenti Paleocristiani



エミリア・ロマーニャ州 Emilia Romagna
ラヴェンナ県 Ravenna
登録年 1996年
登録基準 文化遺産(T)(U)(V)(W)




文・写真 牧野宣彦

西暦402年ローマ皇帝ホリノウスは、西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナに移し、その後発展したラヴェンナは、初期キリスト教時代に建設された建物が、現在も多数残り、基準(T)(U)(V)(W)などで、1996年世界文化遺産に登録された。 

写真トップ:サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂
●ラヴェンナの歴史
エミリア・ロマーニャ州にありながらアドリア海に近いラヴェンナRavennaは、歴史をたどると古代ローマのアウグストスの時代にローマ帝国の2つの海軍基地のうちの一つがこの街に造られた事に遡る。402年皇帝ホリノウスはゴート族の侵入から逃れるために西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナに遷都した。この時代ローマ帝国の栄光も揺るぎ始め政情不安の状況が続いていたが、ホリノウス帝とその妹ガッラ・プラチディアが治世を行い現在見られる歴史的な建造物が続々と建設された。476年ローマ帝国は北から侵入してきた蛮族の王オドアケルによって滅亡した。しかし後を継いだテオドリクスは493年から526年まで、ラヴェンナに宮廷を置き、王宮と霊廟が造営され文化の華が咲いた。

写真左:ラヴェンナで逝去したイタリア最大の詩人ダンテ、右:ラヴェンナの中心にあるポポロ広場

有名なモザイクのあるサン・ヴィターレ聖堂などが建設されたのは6世紀で、この時代はゴート族とビザンチン帝国の間に争いが繰り広げられ、540年ベリサリウス将軍がラヴェンナを陥落させ、その後30年平和な時代が続いた。ラヴェンナは一時ロンバルト人に支配され、ルネッサンスの時代になるとヴェネツィアの支配下に入り、また教皇領になったりして19世紀のイタリア統一の時代を迎えた。ラヴェンナはイタリア最大の詩人ダンテが亡くなった街であり、彼のお墓がある。町には中世の時代に建設された教会などが沢山残っている。また夏にはラヴェンナ国際音楽祭が開催される。またイタリアで最も華麗なビザンチンのモザイクが見られる街である。

写真左:サン・ヴィターレ聖堂のモザイク、右:サン・ヴィターレ聖堂の天井

●ラヴェンナの見所
サン・ヴィターレ聖堂

私が最初にラヴェンナを訪れたのは、1985年頃の冬で、寒くてたまらなかった記憶がある。その時は、サン・ヴィターレ聖堂、国立博物館などを訪れた。サン・ヴィターレ聖堂 S.Vitaleは西暦526年に建設が始まり、マクシミアヌス司教により547年から48年にかけて献堂された。初期キリスト教時代の代表的な建築といわれ,8角形のプランで、古代ローマの建築の様式からビザンチンへの移行を示している。内部は大理石と黄金に輝くモザイクで埋め尽くされている。預言者、旧約聖書の場面、後陣のドームには、あがない主、イエス・キリストを中央にして聖ヴィタリスとこの教会の創立者である司教エクレシウスが描かれている。後陣下方の2枚のパネルの左はユスティニアス帝とその延臣達、右はその妃テオドラの妃とその従者たちなどの優れた作品がある。

教会の中にあるモザイクはパレルモ郊外のモンレアーレなどにもあるが、サン・ヴィターレ聖堂のユステイニアヌス帝とその妃テオドラのモザイクが色彩的にも造形的にバランスがよく、一番美しいと私は思う。私はその見事なモザイクに時の経つのも忘れて見入った。
写真左:ガッラ・プラチディア霊廟、右:霊廟内部のモザイク

ユネスコが挙げているこの町の主な建築物のひとつがガッラ・プラチディア霊廟 Mausoleo di Galla Placidiaで、5世紀の中葉に西ローマ帝国の摂政だったガッラ・プラチディアが自身の墓として建てたギリシャ十字型の祈祷用小礼拝堂で内部を飾るモザイクが美しい。モザイクは福音史家、その使徒、善き羊飼いの図、聖ラウレンティウス、泉水の鹿などがモザイクで描かれている。これは西暦450年以前に制作されたもので、ラヴェンナで最も古い時代のモザイクと言われている。十字の翼部分に古い3つの石棺が安置され、その一つはガッラ・プラチディアのものと考えられている。

写真左:サンタポッリナーレ・ヌォーヴォ聖堂、右: テオドリックス王の霊廟

サンタポッリナーレ・ヌォーヴォ聖堂 Basilica di S.Apollinare Nuovoは、東ゴート族の王テオドリクスによって493年から496年にアウリス派の為に建設された聖堂。その後560年に司教アニエッロによってカトリックの聖堂として献堂された。脇に立つ円筒形の鐘塔は9世紀に製作され、内部は3廊式。身廊の壁は一面モザイクに覆われている。そのモザイクは上下3段に分かれ、上の2層はキリストの生涯、諸聖人の預言者たちが描かれている。これはテオドリクス時代に制作されたもの。下層はラヴェンナから出発して天使に囲まれた玉座のイエスに向かう殉教者の行列と東方3博士に先導されクラッセの町から出発し天使に囲まれた聖母子に向かう聖女の行進が描かれている。これらの作品は6世紀中ごろに制作され、典型的なビザンチン様式の作品と言われている。私の日記によるとここの一連のモザイクが、ラヴェンナで一番美しかったと書いてあった。

サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂 Basilica di S.Apollinare in classeは、ラヴェンナからリミニに向かう国道を5キロ程行ったクラッセの街にある聖堂。クラッセの街は以前ラヴェンナの外港だった。(現在海岸線は遠く離れている) 549年にマクシミアヌス司教によって献堂された墓地付きの聖堂。内部はゆったりとした3廊式でファサードの前にポーチがある。円柱の上にビザンチン風の柱頭が並び、幾らか高くなった内陣は6〜7世紀のモザイクで飾られている。特にアプス天井のモザイク、寓意的に描写された「キリストの変容」などは必見の作品で、細部も丁寧に仕上がられていて、当時のモザイク制作者の高い芸術性を感じた。

写真左:ネオン洗礼堂、右:司教館博物館内

ネオン洗礼堂 Battistero Neomianoは、正教徒洗礼堂Battistero degli Ortodossiとも呼ばれる8角形のレンガ造りの聖堂で、5世紀の初めごろ創建された。450年頃司教ネオンがモザイクの装飾を施した。内部には壁面に接する2段のアーチがあり、モザイクで埋め尽くされたクーポラを支えている。モザイクは「キリストの洗礼」「老人の姿を擬人化したヨルダン川」その周囲を「12使徒」が取り囲んでいる。光に照らされて黄金に輝くモザイクを見ると、かってラヴェンナが、東ローマ帝国の首都で繁栄し、イコン、ビザンチンなど東方のギリシャ正教の影響を強く受けた作品である事が実感された。

他にもアリウス派洗礼堂、アーチヴェスコヴィレ礼拝堂、ゴート族の王テオドリックスが520年頃に建立を命じたテオドリックス王の霊廟があり,こちらも世界遺産に登録されている。
写真左:テアトロ・ダンテ・アリギエーリ内部
右:テアトロ・ダンテ・アリギエーリ 

●ダンテ・アリギエーリ劇場
ラヴェンナにはオペラの鑑賞、世界遺産になった建物の撮影などで5回位訪れているが、一番印象に残っているのが、ヴェルディ没100年祭の2001年、日本から来た友人6人を案内し、テアトロ・ダンテ・アリギエーリTeatro Dante Aliglieriで、ヴェルディの「アイーダ」を見た時だった。ゼッフィレッリの豪華な舞台で目も耳も両方完全に満足した演奏だった。この日は旅行の最後の日で、私にお世話になったお礼と言って、友人たちがネクタイをプレゼントしてくれた。そのネクタイは黒地にピンクの花柄の美しい、とても高価なネクタイで、私の最も好きな銘柄レオナールのネクタイだった。私はラヴェンナを思い出す時、夕日がサン・ヴィターレ教会の窓から差し込み、黄金に輝いていたモザイクとこの美しいネクタイをいつも思い出す。


データ
Dati

交通アクセス

<列車で> 
ボローニャから直通の普通電車で約1時間20分程度。特急電車でヴェネツィアから3時間程度、フィレンツェからに約2時間30分程度。
ペルージャ駅からは約20分。

●インフォーメーション
観光情報案内所 I.A.T.
Informazioni e Accoglienza Turistica
Via Salara, 8/12 48100 Ravenna
Tel: 054435404 /35755 Fax: 0544 335094
Email: turismo@comune.ra.it

■ラヴェンナ観光公式サイト
www.turismo.ravenna.it

その他、<ユネスコ世界遺産>関連の主なモニュメントの情報はイタリア小都市ガイド・ラヴェンナを参照ください。
http://www.japanitalytravel.com/guide_shoutosi/ravenna.html
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