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イタリア世界遺産の旅
15 settembre 2010
サンマリノ歴史地区とティターノ山
Centro Storico di San Marino e il Monte Titano



サンマリノ共和国
Repubblica di San Marino
登録年 2008年  
登録基準  文化遺産(V)




文・写真 牧野宣彦

イタリア北部のリミニの近くにある世界で5番目に小さい共和国サンマリノは、世界文化遺産登録基準(V)、現存しているもの、また文化的伝統、文明に関して少なくとも特別な証拠を持っているものという理由で2008年世界文化遺産に登録された。

写真トップ:サンマリノのリベルタ広場

●サンマリノの歴史
登録された世界遺産の範囲はサンマリノと歴史的中心部、ティターノ山の55ヘクタールで、サンマリノは、君主を持たない共和国としては、現存する世界最古の国といわれ、この国はヨーロッパの民主主義のモデルとなった。現在の産業は年間約400万人が訪れるといわれる観光や独自のデザインで定評のある切手の販売などがある。

写真左:サンマリノ全景、右:サンマリノの切手

歴史を遡るとサンマリノは、4世紀ディオクレティアヌス帝(在位西暦284年〜305年)の時代イタリア半島の対岸ダルマツィア出身の石工マリオとエレオの2人がリミニの城壁修復工事のためにイタリアにやってきた。2人は敬虔なクリスチャンであったが、当時の皇帝ディオクレティアヌスは、キリスト教徒の迫害をしたために、2人はその弾圧から逃れるためにレオはフェレトリオ山へ、マリオはティターノ山に逃れた。その後、2人は聖人化された為にその名に因んでマリノが逃れたティターノ山をサンマリノ、レオが逃れたフェレトリオ山をサンレオと呼ばれる町になった。
サンマリノが文献上に初めて登場するのは西暦951年。その後1257年にはギベリン党とグエルフ党の闘争に巻き込まれ、ローマ教皇インノケンティウス4世より破門された。(2年後解除)1631年教皇ウルバヌス8世より独立を承認される。サンマリノは、建国以来中立と自由独立を国是として、隣国の争いには中立を貫き、侵入者に対しては、山頂の砦で防御を固め、ナポレオンのイタリア侵入、イタリア統一戦争、20世紀の世界大戦なども、大した被害も受けず独立と自由を守ってきた。フランス革命後、フランス軍の総司令官としてナポレオンがサンマリノに来た時も、食料は受領したが、武器の提供は丁寧に断り、ナポレオン・ボナパルトもその精神に感動し、サンマリノの独立を侵さなかったという。

写真左:トゥッレチェスタ、右:サンマリノ中心部

●サンマリノの見所
ユネスコに登録されているサンマリノの場所は旧市街だが、11世紀に建設され、15世紀以降に再建されたロッカ(Rocca)またはグアイタ(Guaita 標高738m),13世紀後半に建設されたチェスタ(Cesta 750m)、13世紀に建設され1935年に改築されたモンターレ(Montale 743m)の3つの砦、門、主祭壇にサンマリノの守護聖人マリノの聖遺物を納めているバジリカ・ディ・サンマリノ、1361年に建設されたサン・フランチェスコ教会、サンマリノ政庁舎、18世紀に建設されたティターノ劇場などがある。

写真左:リベルタ広場にある自由の女神、右:バジリカ・サンマリノ

私が初めてサンマリノを訪れたのは1997年、ペーザロのロッシーニフェスティバルへ行った後で、その時は見晴らしのよいレストランで緑の平野の彼方にきらめくアドリア海を見ながら食事をした事だけを覚えている。2回目に訪れたのはヴェルディ没100年祭の2001年だった。私達夫婦の他に3人の日本から来た友人と一緒だった。お昼に近いころ私たちは国立博物館を訪れた。この博物館は4階に分かれていてそれぞれ考古学上貴重な品やサンマリノの画家、彫刻家、イタリアの画家などの作品が展示されていた。

私たちは全部一通り見て退出しようと5人でエレベータに乗った。するとエレベータががくんとして突然動かなくなった。大して下に落ちたわけでもなかったので、すぐ開放されるだろうと皆で笑いながら話していた。時間はどんどん経過し、私は中から戸をたたいたり、非常ベルを何度も押したが人が外で話している声は聞こえ、外から戸をたたく音は聞こえたが、狭い空間に缶詰になった。15分、20分と経過し、皆しゃべるのをやめて、静かになった。だんだん呼吸が苦しくなって来て、皆このまま窒息死するのじゃないかとさえ一瞬思った。30分経過した頃けたたましい消防自動車の音が聞こえた。その後すぐ私たちは解放された。妻などはぐったり疲れた顔をしていた。みんな助かったのでほっとした。幸い誰も病院で手当てを受ける事もなく、すぐ皆元気になり、レストランに入り昼食を食べたが、スープが塩辛く余りいい印象はなかった。

写真左:ルビコン河、右:ユリウス・カエサル

●カエサルの渡ったルビコン河
私はサンマリノからリミニにタクシーで戻る時、一箇所訪れたい場所があった。それはルビコン河であった。塩野七生さんの書いたローマ人の物語のユリウス・カエサルを読んでからいつかルビコン河を訪れたいという希望は、日増しに強くなっていた。憧れのルビコン河は狭い河で、小さい石橋がかかっていた。カエサルが渡河したのはどのあたりだかわからなかったが、私には塩野さんの名文が蘇ってきた。この一文は彼女の書いたすべての作品の中でも彼女の熱いカエサルへの思いが感じられる素晴らしい一文だった。

写真:ルビコン河に立つカエサルの像

「ルビコン河の岸に立ったカエサルは、それをすぐに渡ろうとはしなかった。しばらくの間、無言で川岸に立ちつくしていた。従う第13軍団の兵士たちも、無言で彼らの最高司令官の背を見つめる。ようやく振り返ったカエサルは、近くにいた幕僚たちに言った。
「ここを越えれば、人間世界の悲惨,越えなければ、わが破滅」、そしてすぐ、自分を見つめる兵士たちに向かい、迷いを振り切るかのように大声で叫んだ。「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」
兵士たちもいっせいの雄たけびで応じた。そして、先頭で馬を駆るカエサルに続いて、一団となってルビコンを渡った。紀元前49年1月12日、カエサル50歳と6ヶ月の朝であった。」


データ
Dati

■サンマリノへ交通アクセス

国鉄FSリミニRimini駅が起点。リミニ駅へは、ボローニャ駅からアンコーナ行きなどEurocity, ICで約1時間。リミニ駅前からBenedettini・Bonellibusのバスで45分程度。

http://www.bonellibus.it/portale/
(Bonelli) Tel : 0541/662069 - Benedettini  Tel 0549/903854

■インフォーメーション
サンマリノ・ホームページ
http://www.sanmarinosite.com/
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