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短歌で綴るイタリアの旅 
15 Gennaio 2018
Italia, Viaggio scritto in Tanka :da Trieste a Venezia

トリエステからヴェネチアへ  
第1回  トリエステ     

         

岩間 正子


岩間 正子さんの「短歌で綴るイタリアの旅」、今回はトリエステからヴェネチアへの旅のお便りが届きました。 2017年10月26日から11月3日まで、トリエステ・ウディネ・トレヴィゾを経て、ヴィツエンツア、モンタニャーナを訪れ 最後はヴェネチア滞在を楽しむ旅です。                                 

写真トップ:トリエステのミラマーレ城 

<10月26日 成田→ローマ→トリエステ泊>
・年一度 今年のイタリア トリエステ ヴィチェンツァそして ヴェネチアへ   
・アリタリア 順調に飛び ローマ経由 トリエステまで 更に1時間  
・真夜中の トリエステ着 海沿いの サヴォイアホテル いまだにぎやか

<10月27日 トリエステ街巡り→泊>
・ラザレット・ヴェッキオ通り 探し行く フロントで聞き 海辺の街へ  
・サバの詩は 道の始まりに 掲げられ 出会った若い子 それ知らないと!  
「トリエステには、閉ざされた悲しみの長い日々に 自分を映してみる道がある」
・「映してみる」心惹かれて この詩句に その悲しみに 思いを馳せて    

写真上左:ラザレット・ヴェッキオ通りの詩句    写真上右:ラザレット・ヴェッキオ通り

・ミラマーレ 白亜の城の 建て主は ヨーゼフ弟 マクシミリアン 
・メキシコの 皇帝となるも 銃殺刑 城と后妃は ここに遺され
・城内に 中国陶器 数多く 港の故に 文化が運ばれ

写真上左:大運河  写真上右:ジョイス像 

・坂の上 サンジュスト教会 塔挟み 二つの聖堂 合体しており
・モザイクの 聖母とキリスト 祭壇脇 光を当てると 黄金の中に
・坂を降り ローマ劇場 円形の 帝国ここも 領土だった証 
・大運河 その途中には ジョイス像 「我が心は トリエステに」と
・この地にて 暮らしたジョイスの「ユリシーズ」「ダブリナーズ」も 難解すぎて   

写真上左:統一広場     写真上右:統一広場ライトアップ

・バロックの 見事な建物 三方に 海に面した 統一広場
・装飾の 美しさから しのばれる ウイーンの国の 支配だったと 
・カフェ・トマゼオ ランチに海鮮 パスタ食べ ムール貝あさり エビ味美味

 写真上左:サバ書店      写真上右:サバ像

・サバ書店 ニコロ通りに あるものの 閉じられたといい 隣の店主
・サバの元へ あのマリオ氏は 逝かれたか? なんだか寂し気 サバの像も
・サバの詩の 山の通りを 探し当て 狭くて急坂 だれも通らず
・この道を 上までやっと 歩いてみる ボーラ無くても 手すりは必要   
「悲しいことも多々あって、空と 街路の美しいトリエステには、山の通り、という坂道がある。」サバ 須賀敦子訳

・階段道 降りて聞いて みつかった バティスティ通り カフェ・サンマルコ
・大量の 書籍コーナー 噂通り カフェと読書と 政治談議?
・ウイーンの ドイツ語訛りの カフェスタイル このトリエステで 幾つも生まれ 
・この街は 大戦の後 1954年 やっと帰属が イタリアとなり

トリエステ
●須賀敦子さんを追ってやっとこの町に

20年前 須賀敦子著「ミラノ霧の風景」に出会いました。続いて「トリエステの坂道」「ヴェネチアの宿」「ユルスナールの靴」・・・と全て追い、以後書評本から文学展まで楽しんで来ました。編集者湯川氏は「彼女は自分のイタリア生活を書くことにより生き直したのだ」と書いておられました。私はその彼女の生き直しに魅せられ楽しみ、追い続けてきたのでした。彼女のアッシジ ペルージャ ローマ アクイレイア・・・と通い続け今回やっとトリエステ!

●詩人サバの街
トリエステは彼女とその夫が愛した詩人サバの街。須賀さん翻訳を読んだ中で気に入った言葉がありました。それがラザレット・ヴェッキオ通りに掲げられているのを知って、必ず訪ねようと思っていました。ホテルのフロントで聞いて朝の街に出るとありました。海沿いの1本内側、今では両側が駐車場と化していました・・ラザレットとはあの聖書のよみがえりのラザロです。この先に病院でもあったのでしょう。

その道を「トリエステには、閉ざされた悲しみの長い日々に 自分を映してみる道がある」と詠ったのです。現在の道とはちょっと違和感・・・残念。

●急坂の寂しい「山の通り」
もう一本、「山の通り」にも行きました。急坂の寂しい、私が歩いている間、誰も通らなかった道でした。ここを詩人は「悲しいことも多々あって、空と 街路の美しいトリエステには、山の通り、という坂道がある。」と詠いました。

 写真上左:「山の通り」    写真上右:鉄の手摺り

本当に急で北風ボーラが吹いた時の為に塀にはずっと鉄の手摺りがついているのです。今はユダヤの人々のお墓が塀の先にはあるらしい。登りきるのがきつかった。サバの母親はゲットのユダヤ人でした。「閉ざされた悲しみの長い日々」とはその事とも関連しているのでしょう。このトリエステには絶滅収容所もあったのですから。   

●サバ書店はすでに閉店
サバが経営していた古書店にも行ってみましたが、シャッターが締っていました。聞いてみると「ずっと閉じている、いつ開くか分からない、きっと閉店したのだろう。」と。念のため別の店主にも聞きましたが同じでした。20年は長すぎたのだととても残念でした。もう後を継いでいた、あのマリオ氏も亡くなられたのかもしれません。

サバのことを知らないと言った若い子、閉じた古書店、誰も通らない山の通り、駐車場のようなラザレット通り。トリエステは私のなかで別な意味で寂しい街になりました。

●落ち着いた大人の街
500年間ハプスブルク家の支配下にあったためウイーンのような街並。書籍を備えたカフェや自前のチョコレートを作っているカフェ等トリノにも似ています。海沿いの統一広場は夜になると青くライトアップされ美しい。華やかではない、落ち着いた大人の坂の街でした。

筆者プロフィール
岩間 正子(いわま まさこ)
鎌倉市在住。初イタリアは1995年。以来、様々な国を旅した中でイタリアは10回を超えた。歴史、食文化、ユニークな街並み、どれをとっても興味は尽きない国。趣味のイタリア語も独学から始めて8年目、今は熟年クラスで月2回楽しんでいる。短歌形式の旅日記も写真とあわせるなど楽しみの一つ。

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