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短歌で綴るイタリアの旅 
15 Marzo 2017

Italia, Viaggio scritto in Tanka :Amalfi, Capri, Ischia e Procida

アマルフィとカプリ・イスキア・プロチーダ島巡り
第1回  アマルフィとポジターノ 



         

岩間 正子


岩間 正子さんの「短歌で綴るイタリアの旅」、今回はアマルフィとカプリ・イスキア・プロチーダ島巡りのお便りが届きました。 2016年9月30日から10月10日までアマルフィ、ポジターノ、そしてカプリ・イスキア・プロチーダの三島とポンペイ・ナポリを楽しむ旅です。  

写真トップ:アマルフィのホテル群

<9月30日 成田→ローマ→ナポリ>
昨年は テロに脅えて キャンセルし 一年ぶりの イタリアの旅   
ローマにて 乗り換えチェック 長い列 これがイタリア 思いつ耐える
ナポリ着 ローカル時間 23時 ホテル直行 手足を伸ばし

<10月1日 ナポリ→ポンペイ→アマルフィ>
明け方の 雷雨に驚く 目覚めると 快晴の朝 ナポリ湾眺め
まず今日は ポンペイ遺跡 2000年 紀元前の 繁栄の都市         
遥か先 あのヴェスヴィオが 噴火して 灰で閉じ込め ローマ文化を    
ラテン語が 遺されている この壁は 選挙のための ポスターだったとか
人々の 犠牲如何にと 思えども 当時を伝える 自然の業か   

写真上左:ポンペイ  写真上右:ポンペイの赤の秘儀荘

粉ひきと パン焼き釜の この形 今にもそのまま 引き継がれおり 
秘儀荘は 貴族の夏の 滞在を このフレスコで より豊かにし  
秘儀荘の 赤と言われる 背景に 酒神バッカスや 文書を読む子 
この悲劇 キリスト涙 流した地 ブドウが育ち ワインが産まれ         
2時間半 この街並みを 歩きつつ ただただ感服 ローマ人の知恵 

アマルフィへ 半島超えて 海沿いや 断崖の道 くねくねに苦労 
夕刻に 断崖に建つ ホテル着 ミラマルフィから この景色見え! 

<10月2日 アマルフィの街→アトラニー→アマルフィ>
あらら雨 はてさて今日は どうなるか 街へ繰り出す 気持ちが萎える     
小雨の間 突堤先から 振り返る アマルフィの 黄色い街並み    
雨のため 隣村アトラニーへ エレベーター トンネルの道 海沿い階段 
谷あいに サルバトーレ教会 中心に 連なる家々 ところ狭しと        
雨あがり 見事なファサード 大聖堂 62段 上った先に

写真上左:アマルフィ大聖堂  写真上右:同大聖堂のキオストロ

きらめきの 黄金ファザード キリストが 海洋国の 行方を見つめ
天国の 回廊と言う キオストロ 白いアーチと 緑の木々と     
この庭に アラブの影響 深く見え 海洋国の アマルフィ故に
旧教会 今博物館に なりており 心を癒す 受胎告知あり
クリプタに 聖アンドレアの 磔像 頭蓋骨祀る その足元に

クリプタの 前で祈る 人々と 並びて我も 心めぐらし
漁師だった 聖アンドレア アマルフィの 守護神として 人々と共に
クリプタを 出るとそこが 聖堂内 イエスに召される アンドレアの絵
アマルフィ 12世紀には 紙漉きを スクデリア・サン・ルカで 友の土産を
夕ご飯 レモンリゾット Da Gemmaで 飲みこむ頃に ほんのり香る 
あの太い パスタ・パッケリに リコッタを 詰め込み焼いて 黒トリフ乗せ

●アマルフィ
イタリアにはかつて強力な海洋都市国家が4つあった。ジェノヴァ、ピサ、ヴェネチアそし てここアマルフィだ。4つの中で一番古い共和国だそうだ。街の中央にかつては河だったが、地震により今は街中心の道路となる谷が走り、三方を急な山に囲まれ前方は海。この地形が自然の要塞となってこの共和国の繁栄の要素となった。そこに築かれていった茶黄色メインの家々が美しい。

 写真上左:アマルフィのホテルからの眺め  写真上右:夕食のパスタ・パッケリの黒トリフ乗せ

羅針盤、造船、紙漉き、そしてレモンとオレンジ、もちろん海の幸、漁師の守護神・聖アンドレアを祀って繁栄していた。

アラブ国家との交易もあり、その影響をうけたのは当然でこの急峻な地形にみごとに建てられた大聖堂にそのことが現れている。その扉はコンスタンチノープルから運んだものとか。ファサードは金箔でおおわれ 夕陽をあびて金色に輝くのだそうだ。今回曇り空だったのでその光景は見られなかったが・・

ナポリ王国、アラゴン、フランス、スペインと覇権争いにさらされてやがて没落したアマルフィ。19世紀にナポレオンがナポリからの陸路を整備したのだという。ナポレオンの思いとは別に、今や観光道路として彼に感謝すべきなのだろう。こうした歴史と自然の美しい海岸が1997年世界遺産に登録された。

<10月3日 アマルフィ→モンテペルトーゾ→ポジターノ
→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ>

わあ晴れだ 朝陽海から 部屋に差し 今日の行程 いよいよ楽しみ
小型バス モンテペルトーゾへと 駆け上り そこから降る 1300段を
この村は 黄色の塔が 目印の ポジターノより 上にある村 
トレッキング ガイド・パオロさん にこやかに 彼の基本は 山への誇り
木々の間に 徐々に見え出し 招いてる ポジターノの 家並みの群れ 

ポジターノ 聖母教会 細い道 通り過ぎると ビーチにでた!
この景色 こうだったのか ビーチから 振り向き仰ぐ 山肌の家!
ビーチには 泳ぐ人より 寝転んで 日焼け楽しむ 老若男女
絵筆振る イタリアーノは にこやかに ここがおいらの アトリエなのよと
狭い道 所狭しと 店があり 白にブルーの リネンシャツ選び

写真上左:ポジターノへ舟で   写真上右:舟でポジターノからアマルフィ海岸へ

こんなとき イタリア語出番 頑張ろう ムニャムニャ言って 2割のダウン!
船にのり 海から眺める ポジターノ アマルフィまで 山の家続く
ラヴェッロへ 行くバスが出ると 乗り込んだ 疲れを知らない 旅の足腰 
あの映画 「イタリアは呼んでいる」 のテラス 時間が遅く 閉じられ残念
この高さ ラヴェッロからの アマルフィ これだけを観て 帰りのバス待つ

待つ間 ローマの人と なにやらと 塩野氏須賀氏の 話をしてみる
やっと来た バスに無理やり 乗り込むも あらら小さな 村まわりらし
Scalaと いう村らしい 谷あいの わずかな平地に ぶどうの棚が
大聖堂 前に帰りて ありがとう 長くて濃密 今日一日を

●ポジターノ
アマルフィ海岸の最も西に位置するポジターノは、「アマルフィ女神の報酬」という日本映画のラストシーンを観て、なんという景色!いったいどのあたり?と思っていた。今回、モンテペルトウゾという、おそらくポジターノより少し高い隣の村まで小さいバスで昇り、そこから ポジターノのビーチめざして山の中の1300段の階段を降った。

ガイドによると昔からの道がだんだん整備され、今は素朴な階段状になっているのだとのこと。自然がそのまま残り、ときには鍾乳洞のような山肌もある山道だ。木々の間からだんだんポジターノの家並みが見えてくるこの山降りは気持ち良い晴天も幸いして、まことに楽しく素晴らしかった。

写真上左:モンテペルトウゾからの眺め  写真上右:モンテペルトウゾの階段状の山道 

ガイドはあちこちの葉をとり、臭いをかがせてくれ、これはハーブ、あれはクスリと自分の山への誇りがあふれるばかりの明るいモンテペルトウゾ・イタリア人だ。 出会う人誰とも知り合いらしく、このコミュニティーの一員だと分かる。

ポジターノに着くと、街中心の黒いマリアを祀るサンタマリア・アッスンタ教会にでる。そこから更に 両側に店がひしめいている降りの狭い道を通り抜けるとビーチにでた。振り返るとその風景は圧巻でどこから見たら一番かと彼方此方歩いては振り返る。

ジャクリーン・ケネディをはじめ 多くのセレブが訪れたとかで、漁師町ではなく、洗練され、ファッショナブルな服やカラフルなマヨルカ焼き、サンダルの店が並んでいる街だ。 大三角形ともいえる見事な家並みが山にへばりつき、そのカラフルな家並みだけで私達を魅了している。

筆者プロフィール
岩間 正子(いわま まさこ)
鎌倉市在住。初イタリアは1995年。以来、様々な国を旅した中でイタリアは10回を超えた。歴史、食文化、ユニークな街並み、どれをとっても興味は尽きない国。趣味のイタリア語も独学から始めて8年目、今は熟年クラスで月2回楽しんでいる。短歌形式の旅日記も写真とあわせるなど楽しみの一つ。

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