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短歌で綴るイタリアの旅 
15 Luglio 2020
Italia, Viaggio scritto in Tanka :Visite delle chiese romanesche di tre regioni

ラッツオ、モリーゼ、アブルッツオ州のロマネスク教会巡り        
第1回  ティボリ、スビアーコ、アナーニ、カッシーノ         

         

岩間 正子


岩間 正子さんの「短歌で綴るイタリアの旅」、今回はラッツオ、モリーゼ、アブルッツオ州のロマネスク教会巡りのお便りが届きました。 2019年10月1日から10月10日までティボリからカッシーノ、ラクイラを経てアルバ・フチェンスを訪れる旅です。 


写真トップ:カッシーノ修道院中庭

●ラッツオ、モリーゼ、アブルッツオのロマネスク教会を訪ねる
にわか勉強によるとロマネスク教会や修道院が建てられたのは900年代から13世紀半ばまでだという。紀元千年、キリストが再臨し裁きに来られると人々は恐れていた。しかし平穏の内に過ぎ、神は赦されたのだと安堵した。感謝のうちに荒れていた聖堂が整備され 新しい聖堂が建てられる。    

写真下:Aロマネスク教会巡りのルート  

それはちょうど民族の移動がおさまり農業改革がすすみ、市がたち経済が発展していった時と重なっ た。ローマへの巡礼が盛んとなり、巡礼路に教会が次々と建てられた。人々は神を身近に感じ、神学の教義ではなく、民の感性でフレスコ画を描き、彫刻で自分達の神の家を装飾したのだという。 今回、名前も知らないロマネスクの教会を3つの州に訪ねた。

<10月1日 成田 → ローマ泊>
・3つの州 田舎に遺る ロマネスク 訪れる旅 14名の
・ローマ行 オンタイムにて スムーズに 飲み物やはり ブラッドオレンジ
・ローマ着 ホテルは郊外 明日からの ためにと思うも 少しも眠れず

<10月2日 ティボリ → アナーニ → カッシーノ泊>
1.ティボリ  サン・シルヴェストロ教会
・ティボリの 別荘群には 目もくれず サン・シルベストロ 教会目指す
・ティブリティーナ 山の斜面で 水、豊 ローマの民に 注がれており         
・教会は 聖シルベストロに 奉げられ コンスタンティヌス帝に 洗礼授けし

写真下左:Bティボリのサン・シルヴェストロ教会   写真下右:C同教会内部 

・旧市街 心惹かれる 階段道 ゴシック建物 遺されており 
・ガイド氏は 別荘でなく 旧市街 来てくれたと言い 熱心に案内

写真下:DEティボリ旧市街

<ティボリ  サン・シルヴェストロ教会>
ローマの東30kmほどにあるティボリを訪れる人は殆どエステ家などの別荘群に行くらしい。「ロマネスク教会を見る」私達は旧市街にある聖シルヴェストロ教会を目指す。キリスト教を公認したコンスタンチヌス帝に洗礼を授けた教皇・シルヴェストロに捧げられている。天井は木製、床にはモザイク、祭壇のフレスコ画も青が美しく綺麗に遺っている。

2.スビアコ  聖ベネディクト修道院
・スビアコの 洞窟3年 黙想し 聖ベネディクトは 修道院創設
・この先を 登るとそこに 修道院 洞窟含む 一大聖域
・山肌が 壁の一部に なっており 40mの崖 背後に聳え

写真下左:Fスビアコの聖ベネディクト修道院入口   写真下右:G聖ベネディクト修道院

・祭壇の 見事なモザイク 大理石 コズマーティー という細工師の
・アッシジの フランチェスコ 修業中 訪れた証し フレスコ画あり
・この一部 ロマネスク様式 遺っており 見上げる程に 如何に建てしか?
・日本人 訪問喜び 修道士 自分のスマホ でも撮りたいと

写真下左:Hサン・ベネディクト像   写真下右:I見事なモザイクの祭壇

・ベネディクト スコラティスカは 妹で 少し下ると 彼女の修院
・修道院 レストランにて ランチには ラルドブルスケッタ サルティンボッカ 

写真下左:Jロマネスク建築   写真下右:Kフランチェスコのフレスコ画

<スビアコ  サン・ベネディクト修道院>
スビアコの山は400m、この山が一大聖域、崖に聖ベネディクトが6世紀3年間こもって修行していたのだと言う。その洞穴を含む修道院が山肌を壁にして建てられている。内部は迷路、上がったり下りたり広い。アッシジのフランチェスコが修業時代ここを訪れたそうで、彼の聖人画像ではない唯一のフレスコ画が大切に保存されている。背後は40mの切り立つ崖、崩れないのだと言う。ベネディクトが支えている像があった。前面も急斜面だ。どうやって建てたのだろう!
写真下:L修道士と一緒に

3.アナーニ  アナーニ大聖堂
・アナーニは 教皇4人 輩出し ボニファティウスや イノチェント3世 
・教皇位 奪い取ったと ボニファティウス 8世ダンテ 地獄篇に
・イノチェント 3世教皇 フランチェスコ 会を承認 したあの教皇

写真下左:Mアナーニ大聖堂入り口   写真下右:N鐘楼

・ファサードは 牛と狼 見張り役 ロマネスク彫刻 興味津々
・モザイクの 材料となる 色大理石 アフリカ・ギリシャ より持ち込まれ
・モザイクの 形に全て 意味があり サークル神の 完璧さ示す
・三角は 三位一体 表して 全ての模様に 神への思い

写真下:Oアナーニ大聖堂のモザイク 

<アナーニ  大聖堂>
この街は教皇を4人も輩出した街だ。フランシスコ会を公認したイノチェント3世、そしてかれの甥で、法学者でもあったグレゴリウス9世。彼は1227年、アナーニ大聖堂で、十字軍実行の約束を果たさなかった皇帝フリードリヒ2世を破門した。さらに この旅で後に出逢う教皇チェレスティーノから略奪して教皇になったといわれるボニファティウス8世。大聖堂は内陣仕切りや床のモザイクが見事。

写真下:Pアナーニ大聖堂の床モザイク

色大理石の緑はギリシャ 黄はチュニジア 赤はエジプトからもたらされたのだという。このモザイクは この後も多くの聖堂で出逢う。コズマーティーというローマの一家・一派の作だ。図案には全て意味がこめられているという。修復されたみごとな鐘楼も備えていた。

<10月3日 カッシーノ>
4.カッシーノ  カッシーノ修道院

・部屋の窓 あの山頂へ 行く朝に くっきり見える カッシーノ修道院

写真下:Qホテルから見るカッシーノ修道院

・519m 山頂にある 聖ベネディクト 修道院の 始まりの場所
・ベネディクト 祈りと労働 モットーに その彫像が 中庭に置かれ

写真下左:Rカッシーノ修道院   写真下右:Sカッシーノ修道院回廊

・ファサードに パウロ6世 聖ベネディクト 画家はピエトロ アニボリと知られ ・宝物館 ボッティチェリの ロトンドは イエス誕生 貴重な一幅

写真下左:21)サン・ベネディクト像   写真下右:22)洗礼式

<カッシーノ  カッシーノ修道院>
アナーニから南東に80km 山頂519mに大修道院がある。カッシーノ大修道院だ。聖ベネディクトは修道院の祖だが、ここがその始まりなのだ。あまりに広くてガイドについていくしかない。入口すぐの回廊には白いハトが遊んでいて天国か? 見下ろすと、ぶどう畑が並び、ワインを?と想像した。クリプタはこれまた広くフレスコ画で覆われ、修道女のモットーである 清貧 純潔 従順をイメージするモザイクなど、頭は飽和・・・博物館もありさらに飽和・・・ヴォッティチェリのイエス誕生の一幅が至宝のようだった。

写真下:23)見下ろすと葡萄畑
写真上左:24)クリプタの天井   写真上右:25)ヴォッティチェリのイエス誕生

この修道院は 第二次世界大戦のイタリア戦線・カッシーノの戦いと言われる舞台となった。1944年ドイツ軍はこの地に配備されていなかったのだが、連合軍は爆撃し修道院は破壊されてしまった。幸いにも 内部の宝物、図書などはローマに運び去っていたので破壊は免れたという。戦後、国の援助により17世紀の様式に復元され、1964年に教皇パウロ6世により献堂式がおこなわれた。

筆者プロフィール
岩間 正子(いわま まさこ)
鎌倉市在住。1995年の初イタリアから、これまで17回訪問。歴史、芸術、食文化、ユニークな街並み、どれをとっても興味深く訪れたくなる国。イタリア語も独学から始め、熟年クラスを経て、今はまた独学。短歌と言える程のものではなく、全くの自己流説明文。写真と合わせて記録している。
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