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イタリア・トラム探索の旅
15 Luglio 2021

Italia, Viaggio in Tram

第9回 
ローマ
永遠の時を刻み、ゆっくりと復活 



市川嘉一


●かつては140キロ超す大規模路線網、今は6系統36キロに縮小
イタリアの首都ローマも古くからトラムが走るまちだ。かつてミラノと並び、イタリアで最大規模といわれる140キロに達する路線網を有していた。今ではミラノ、さらにはトリノと比べても路線ネットワークは見劣りするものの、それでも全部で6路線、計36キロの路線網を維持している。このうち、後述する8系統は1998年に超低床車両が走る専用軌道として新設され、2013年には都心の起終点はヴェネツィア広場まで延伸された。永遠の都ローマでもゆっくりとしたテンポながらも、トラムは復活し始めている。

トップの写真:@ローマのトラムは修道女もよく利用する。リソルジメント広場の電停で=2010年7月5日撮影 

ローマで現在の電気駆動のトラムの前身である馬車トラムが走り始めたのは1877年。ポポロ門近くのフラミニオ広場から北部のマンチーニ広場まで走る現在の2系統のルートに似た運行ルートだったという。

写真下:A鉄道が出来る前、王侯貴族や巡礼者らが馬車などでローマを訪れる際の玄関口だったポポロ門(=フラミニオ門)=2010年7月5日撮影           

馬車トラムが登場したのはイタリアで最も早かったトリノ(1871年)と比べれば6年遅かったが、ミラノよりは4年早かった。当初は他の都市と同様、民間企業の「ローマ路面軌道会社」(Societa Romana Tramways Omunibus=SRTO)が馬車トラムを運行、1895年には今の形である架線集電のトラムに移行し始め、1904年までに全路線が電気駆動のトラムになった。

1909年から市側もAATM(Azienda Tranviaria Municipale)というトラム運行会社を設立し自らの路線を敷設し運行。徐々にSRTOの路線も引き継ぎ、1929年にはAATMは新たな公営運行会社(ATAG=Azienda Tranviaria del Gobernatorato)に生まれ変わり、その年に路線網は計59系統、140キロと最大規模に達した。ただ、その時がピークで、その後すぐに内環状部から内側の全系統を廃止するなど運行系統の大幅な整理が行われるようになる。第2次世界大戦後にATAGが現在の運行会社であるATAC(Azienda Tranvie ed Autobus del Comune di Roma) に生まれ変わってからの1950年代には内側環状路線を含め、さらに多くの運行系統が廃止された。

その後、1973年まで運行されていたのはわずか4系統に過ぎなかったが、その10年後の1983年に市北側のマンチーニ広場(Piazza Mancini)とベレ・アルティ大通り(Viale Belle Arti)までのフラミニオ通りを走る現在の2系統が復活。さらに、サッカー・ワールドカップのイタリア大会が開催された1990年には同系統の南側起終点をベレ・アルティ大通りから現在のフラミニオ広場に延伸した。

写真下:B2系統の北側起終点マンチーニで停車中の部分低床車両の9000形。リソルジメント広場行き=2010年7月5日撮影              

●1998年にトラステヴェレ方面の系統新設、2013年にはヴェネツィア広場に延伸
その後もローマのトラムは復活へ向けて動き出す。1998年3月に新たなトラム路線として歴史的都心地区のアルジェンティーナ(Argentina)と市南西部のジャニコレンゼ地区カザレット(Gianicolense Casaletto)を結ぶ8系統が誕生した。この8系統はローマの西側を流れるテヴェレ川を越えた先にある下町のトラステヴェレ地区を通り、観光ルートとしてもお薦めしたい路線だ。

画像下:Cローマ・トラム路線(筆者作成)   

この8系統の開業に併せて、車両はフィアットの鉄道子会社(Fiat Ferroviaria)から「シティウエイ」(Cityway)と呼ばれる9100形(Serie9100)の100%超低床車両が28編成導入された。ちなみに、現在、運行しているローマのトラム車両には大きく4種類ある。戦後間もなく1948―1949年にイタリアのスタンガ社(Stanga)が製造した旧式の2車体連接車の7000形(Serie7000)、1990年代初頭(1990―1991年)にソチミ社(Socimi)製造の9000形(Serie9000)の部分低床車両、そして先ほどの9100形(Serie9100)、さらに9100形の車両フロント部分を流線形にした最新超低床車両の9200形(Serie9200)である。    

8系統で特記したいのは、さらに2013年6月に都心側の起終点が延伸されたことだ。近くに古代ローマ時代の遺跡がある広場(Largo di Torre Argentina)で知られるアルジェンティーナから、ローマ都心地区の交通の要衝であり有名な観光拠点のヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂が聳えるヴェネツィア広場(Piazza Venezia)、正確にはサン・マルコ広場(Piazza San Marco)まで450メートル延びた(これまで起終点の電停があったアルジェンティーナ劇場前までのレールは撤去された)。

写真下左:D8系統の都心側起終点だったアルジェンティーナ=2012年9月19日撮影
写真下右:Eアルジェンティーナから450メートル延伸され、8系統の新たな都心側起終点になったヴェネツィア広場=2018年3月17日撮影
写真下:Fサン・マルコ広場にある電停「ヴェネツィア広場」。右奥に見えるのはヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂=2018年3月17日撮影

たとえ500メートル足らずとはいえ、過度な車の通行を抑制するまちづくり・交通政策の取り組みとして、都心の真ん中までトラムを再び通した意味は大きい。あれだけ車の通行が多いローマの街なかのど真ん中に線路を通すのは容易ではなかっただろう。3年前(2018年3月)に現地を訪れたところでは、これまで起点の電停があったアルジェンティーナ通りからヴェネツィア広場方向に右に入ったボッテーゲ・オスクーレ通り(Via Botteghe Oscure)が延伸区間になっており、このうち両側4車線だった車道部分は下り方面だけの片側2車線に減らし、その空いた片側部分にトラムの上下線を通していた。サン・マルコ広場近くの道路では道幅が狭いため、線路は単線になっていた(ボッテーゲ・オスクーレ通りは日本語に訳せば、「無名工房通り」か。かつてのイタリア共産党ローマ本部の建物があった通りとしても知られる)。

写真下左:G車道部分を片側2車線に削り、トラムの複線線路を敷いたボッテーゲ・オスクーレ通り=2018年3月17日撮影 写真下右:Hテルミニ駅方面のバスが走る目抜き通りのナツィオナーレ通り。奥に見えるのはヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂=2018年3月17日撮影

8系統は元々、ヴェネツィア広場からさらに東側にある目抜き通りのナツィオナーレ通り(Via Nazionale)を進み、テルミニ駅まで延ばす計画があったというが、果たして、今後どうなるのだろうか。今後の行方にも注目したいところだ。

                                             ●移設されたテルミニ駅前の電停
さて、観光スポットも引き寄せて、ローマのトラム路線をいくつかご案内しよう。 乗りやすさの面でお薦めできる場所はローマの鉄道の玄関口であるテルミニ駅(Termini)前の電停だ。同駅の正面出口を出て左手にある駅前通り、ジョヴァンニ・ジョリッティ通り(Via Giovannni Giolitti)にその電停はある。

写真下左:Iテルミニ駅前の電停から出発するトラムには多くの乗客が乗り込む=2010年7月4日撮影  
写真下右:Jユニークな屋根を持つテルミニ駅をバックに電停で待機する9000形と7000形。出発後、すぐに左に急カーブする=2010年7月5日撮影  

この通りの名前は19世紀末の1892年からムッソリーニのファシスト政権が誕生する直前の1921年まで計5度にわたってイタリアの首相を務め、「ジョリッティ時代」と呼ばれるほど長くイタリア政治を支配していた自由主義政治家ジョヴァンニ・ジョリッティにちなむものだ。ただ、ピエモンテ出身のジョリッティはあまりローマっ子には人気がなかった政治家といわれる。イタリアのどこのまちの目抜き通りによく冠されている近代イタリア史の4傑(ガリバルディ、カブール、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世、マッツィーニ)ではなく、どうしてまた不人気でどちらかと言えば地味な後代の政治家の名前を戴いたのだろうか。

それはさておき、話をトラムに戻そう。テルミニ駅前の電停は5系統と14系統の起点である。薄緑色の車体に緑色のストライプをまとった旧型の2車体連接車(Serie7000)や、同じくツートン色の超低床車両など様々タイプの車両がほぼひっきりなしにやってくる。

両系統とも発車すると間もなく左にほぼ直角に旋回し、四つ星の「マッシモ・ダゼリョ」など駅前のホテルが軒を連ねるカブール通りを直進。しばらく進むと、今度は3つ目の交差する通り(ファリーニ通り、Via Farini)を左折する。

少し前と言っても、10年ほど前まではこの電停の場所はテルミニ駅前の通りにはなかった。ワンブロック1つ奥に入ったややさびれた通り、アメンドーラ通り(Via Amendola)にあった。インターネットの百科全書「ウィキペディア」によると、2010年に地下鉄駅の出口に近づけるために、アメンドーラ通りからテルミニ駅近くに移転したとある(ただ、私が2009年夏に訪れた時には電停は既に今のテルミニ駅前のジョヴァンニ・ジョリッティ通りにあった)。

だからなのか、トラムを運行するATACのウエブサイトを見ても、記載されているトラムの電停名は今でも「ジョヴァンニ・アメンドーラ通り」(Via Giovanni Amendola)なのだ。正確に「ジョヴァンニ・ジョリッティ通り」と名付けるか、旅行客らには分かりやすくするため、「テルミニ」と呼んだ方がいいと思うのだが、いかがなものだろうか。

日本の代表的な地図出版社である昭文社が出しているイタリア旅行案内のガイド本はさすが地図専門の会社だけにローマの地図にはトラムの路線ルートまで細かく記されているが、電停が駅前通りに移転してからもしばらくの間、電停の位置やルートは昔のままだった。いずれにしても、電停のある場所が表側の駅前通りに“昇格”になったことで、トラムは多くの観光客らの目に触れることができるようになったのはうれしいことだ。      

●トラットリアの軒先走る駅裏の小道
テルミニ駅前の電停をめぐる話で最後に一言。テルミニ駅前には「下り」と「上り」のトラムが行き先を折り返すためのループ状の専用空間がないため、それに代わる仕掛けがある。ファリーニ通りからテルミニ駅前に戻ってくる「上り」のトラムがカブール通り手前にある小道のマニン通り(Via D.Manin)を右折して、軒を連ねるホテルやトラットリアなどの店先をかすめながら進み、テルミニ駅前のジョリッティ通りに姿を現すのだ。

写真下左:Kカブール通りはいわばループとして使われているため、線路は単線=2009年8月19日撮影   写真下右:Lファリーニ通りから右折して、トラットリアなどが軒を連ねる小道のマニン通りに入るトラム=2010年7月10日撮影 

一方通行のトラムしか走れないようなこの道路幅の狭いマニン通り。トラットリアなどの飲食店舗が歩道に張り出す形で置くテーブルにはいつも地元客なのか観光客か分からないが賑わっている。客が飲み食いするこのテーブルの横をトラムが潜り抜ける様はなかなか見られない風景だ。この裏通り、まさに庶民的な雰囲気を醸し出す場所。名匠フェデリコ・フェリーニが1972年に撮った映画「ローマ」(Roma)にも同じような光景が出てくる。1939年という設定でトラットリアのテーブルで埋め尽くした弓なり状の「アルバロンガ通り」を古いトラム単車がひっきりなしに走っている。ローマでトラムが飲食店舗のテーブルすれすれに走るところは他にはないと思う、それだけに、このテルミニ駅裏の小道の風景を見るたびに、フェリーニの「ローマ」が思い出されるのだ。

写真下左:M歩道に張り出したテーブルの横を潜り抜けるトラム=2010年7月10日撮影   写真下右:Nトラットリアの店先をかすめながら、テルミニ駅前の電停に向かうトラム=2012年9月19日撮影    

ちなみに、ローマの風景の1つとしてトラムをフイルムに収めたイタリア映画は少なくない。個人的に好きなピエトロ・ジェルミの「鉄道員」(Il Ferroviere,1957年)でもトラムが映し出される場面はいくつかある。最後の場面で子役サンドロが朝の通学時、働きに出かける年長の兄と一緒にトラムに飛び乗るシーンはとりわけ印象に残る。 フェリーニもトラムのことが好きだったのか、妻で名女優のジュリエッタ・マッシーナが薄幸な娼婦カビリアを演じた「カビリアの夜」(Le Notti Di Cabiria,1957年)でもマッシーナを乗せてローマの街なかを走るトラムをアップで映し出している。

●一大ターミナルのマッジョーレ門は古代ローマ城壁の一部
少し横道にそれてしまったが、再びトラムの旅を続けよう。ファリーニ通り、ナポレオーレ通りなど通りの名前は変わるが、東側に向かう一本の道を進み、6つ目の電停がローマにおけるトラム路線の一大ターミナルになっているマッジョーレ門(Porta Maggiore)だ。トラム計6路線のうち4路線(3,5、14、19系統)がここに集結する。

マッジョーレ門はアウレリアヌス帝の時代である紀元271年、異民族の侵略を防ぐために建設が始まった城壁の一部。ローマには紀元前4世紀末ごろに造られた古い城壁(セルウィウスの城壁)があったが、その後、その城壁で囲まれた領域よりも市街地が広がっていったことが、新たな城壁建設の背景にある。わずか4年後の275年に完成したが、工期短縮などのため、既存の建築物を城壁の一部に取り込むことになった。マッジョーレ門もその1つで、元は紀元52年ごろにローマ水道(クラウディア水道)の合流点として築かれたアーチを持つ水道橋だった。

その名残でこの城壁門は所々、アーチ状になっており、現代では四方八方からやってくるトラムはこれらアーチを潜り抜け、電停として広場に集まる光景が展開されているのだ。古代の様々な遺跡が何気なく横たわるローマらしい風景と言えるだろう。トラムに少しでも乗れる時間があるなら、テルミニからこのマッジョーレ門まで行くだけでも十分訪れる価値があると思う。なお、アウレリアヌス城壁は19世紀までローマ市の境界線だったという。

写真下左:Oマッジョーレ門のアーチを潜り、東側終点のジェラーニ広場に向かう5系統=2009年8月19日撮影 
写真下右:P4路線が集結するマッジョーレ門広場=2010年7月5日撮影

私は2009年に初めてマッジョーレ門を訪れた時、古代ローマの城壁のアーチからトラムが次から次へとひっきりなしに現れる光景に目を見張ったが、この時、忘れられないことがあった。電停に滑り込んできたトラムをカメラに収めようと待ち構えていたら、運転手が突然、運転台から降りてきて、私に向かって運転席に乗れよと手招きしてきたのだ。滅多にないお誘いを受けて勇躍運転席に座ると、その運転手、背後から操縦し始め、なんと車両が動き出したではないか。わずかの距離だったとはいえ、さすがに驚いた。幸い、このトラム、このマッジョーレ門が終点でとりあえずの運行を終えたようで、車両正面の上部にある行き先表示板には「FUORI SERVIZIO」(「運行休止」)の文字が掲げられていた。客は乗っておらず、問題はなかったが、日本では考えられないような“おもてなし”にいたく感激したことが今でも懐かしく思い出される。

写真下左:Qマッジョーレ広場で停車中のトラムの運転席に乗れよと手招きする運転手=2009年8月19日撮影   

●コロッセオ・トランステヴェレ方面の3系統、母体はかつての循環路線
5系統と14系統はマッジョーレ門を過ぎると、ともに東側の郊外住宅地域(5系統の終点はジェラーニ広場=Piazza dei Gerani、14系統の終点はさらに先の同じく住宅地域のパルミーロ・トリアッティ大通り=Viale Palmiro Togliatti)に向かう。ただ、時間に限りがあるなら、そこまでは行かずに、マッジョーレ門から3系統もしくは19系統に乗り換えることをお薦めしたい。両系統とも循環路線ではないが、ローマのまちを大回りに巡る路線だ。

まずは、3系統からご紹介したい。ローマ都心地区を北から東、南西へと大きく右半円状に回る路線。具体的には後述する19系統と並走する北側のトルヴァルセン広場(Piazza Thorwaldsen)のヴァッレ・ジュリア(Valle Giulia)から南東方向に向かい、マッジョーレ門、コロッセオの南側脇を通って、市南側のオスティエンセ広場(Piazzale Ostiense,正確には同広場北側にあるサン・パオロ広場Piazza Porta San Paolo))を経由しテヴェレ川を渡り、イタリア鉄道のトラステヴェレ駅(Stazione Trastevere)まで行く路線で、系統距離は13.1キロで、19系統(14キロ)に次いで長い。

3系統の母体は、1975年3月に廃止された右回り(=時計回り)循環路線の旧29系統(Circolare Esterna Destra)だ。1931年から約45年間、リソルジメント広場(Piazza Risorgimento)を起点に先に述べたアウレリアヌス帝により造られた外側の城壁に沿って市内を巡る路線で、系統距離は18キロ。通称、「ED」(Esterna Dstra)と呼ばれた。

画像上:R「廃止された内側・外側循環路線図」 
(出所)Vittorio Formigari e Piero Muscolino- Tram e FILOBUS a ROMA, STORIA DALLE ORIGINI, TERZA EDIZIONE, CALOSCI-CORTONA, 2008      

高名なイタリア文学者だった故河島英昭氏もトラムがお好きだったのだろうか。著書『ローマ散策』(岩波新書)の中で、この「ED」について、若き日の留学時代にローマの地理感覚を身につけようとしてよく乗ったと愛惜を込めて回想している。当時の雰囲気がよく伝わる文章なので、少し長いが、該当する箇所を引用したい(同書84-85ページ)。

「この電車は環状線になっていた。それゆえ、大学都市(筆者注:同氏が通っていたローマ大学文哲学部)の脇で降りずに、乗りつづければ、おおむねアウレーリアーヌス(原文ママ)帝の城壁に沿って、市内を一周することができた。…… ローマ南郊エウル(新都市)までの地下鉄がやっと通じかけていた。1966年のことである。そのころ路面電車は、交通渋滞を生み出すという理由で、邪魔もの扱いにされていた。そして環状線も右回り一方向だけになってしまっていた。このため、通常は「チルコラーレ・デストラ(右回り環状線)」と呼ばれていた。また、行先表示板には「E・D(右回り電車の略号)」とだけ記されていて、」その頭文字が他の市電とは異なって赤く記されていたために、「チルコラーレ・ロッサ(赤い環状線)」とも呼ばれていた。 廃止(筆者注:1960年8月廃止)された左回りには、そのころは電車でなく、30番のバスが代わりに走っていた。しかし、なぜか、右回りの電車にばかり乗って、私はローマの地理感覚を身につけようとした、と記憶している。たぶん、バスよりも速度が遅くて、電車は視界がゆったりとひらかれていたからであろう。……時には、紀元前のローマの情景をめぐって、自分の考えをまとめるために、古代の廃墟に腰をおろして、私はぼんやりと次の電車が来るのを待ったりした。こうして、城壁沿いに何周かするうちに、ローマの地形の概略を、頭の中に入れることができた。」

旧29系統はその後、セミ(準)循環路線の旧30系統に受け継がれたが、2000年に南側の終点がサン・パオロ広場から、トラステヴェレ駅に延伸するのに伴い、系統名も現在の3系統に変わった。

●10年超す工事の末、2016年にトラステヴェレ駅までの運行復活
3系統はただ、2005年からは線路の付け替え工事のため、その後7年もの長い間、バスが代替運行し、2012年8月になって北側の起点ヴァッレ・ジュリアからサン・パオロ広場までの区間にトラムが再び走るようになり、その4年後の2016年8月にはサン・パオロ広場からトラステヴェレ駅までの残る区間でもトラムの運行が復活した。

私は2009年からこれまでに4回、ローマのトラムを探訪したが、先述の線路工事のため3系統に初めて乗れたのは3回目の探訪となった2012年9月だった。今振り返ると、ちょうど工事が終わったばかりだった。

写真下左:Sオスティエンセ広場方面の3系統が入ってきたマッジョーレ門広場=2012年9月19日撮影   

トラステヴェレ方面行きの3系統はマッジョーレ門を出ると南西方向に進む。ローマの7大聖堂の1つ、サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂(Santa Croce in Gerusalemme)を左に見ながら、カルロ・フェリーチェ大通り(Viale Calro Felice)をしばらく西方向に一直線に走ると、道が突き当たる。サン・ジョヴァンニ広場(Piazza di Porta San Giovanni)のところで、広場に面してサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(San Giovanni in Laterano)の白亜の建物が聳える。4大聖堂の1つで、教皇庁がヴァチカンに移るまでカトリック教会の中心だったところだ。

写真下左:21)カルロ・フェリーチェ大通り沿い、トラステヴェレ駅行き3系統の進行方向左側に見えるサンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂=2012年9月19日撮影    写真下右:22)やはり3系統の車窓から見える白亜の建物が印象的なサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂=2012年9月19日撮影  

突き当たった道を右に進み(道路下は地下鉄A線が走っている)、しばらくして左折するとマンゾーニ通り(Via Manzoni)、ラビカーナ通り(Via Labicana)と街路名は変わりながらも西進、コロッセオの威容がだんだんと近づいてくる。ラビカーナ通りを車とともに進むトラムはコロッセオの目の前で左に針路を変えると、間もなく停車する。そこが電停コロッセオ(Colosseo)だ。地下鉄(B線)のコロッセオ駅とはコロッセオを挟んで反対側にある。

写真下右:23)コロッセオなど沿線に見どころが多いせいか、観光客の姿も目立つ3系統の車内=2012年9月19日撮影
写真下右:24)コロッセオが目の前に近づくと、左に針路を変える3系統=2012年9月19日撮影

コロッセオを過ぎると、車と併用する道路ではなく、チェリオ(Celio)地区内の専用軌道を南進。ポルタ・カペーナ広場(Piazza Porta Capena)から再び併用軌道に入り、左側にカラカラ浴場を望みながら、引き続き南西方向に走ると、サン・パオロ広場に近づいてくる。

2012年の探訪時にはマッジョーレ広場からサン・パオロ広場(電停名はPiramide/Porta San Paolo)までトラムで行けたが、そこから先のトラステヴェレ駅まではまだ線路工事が続いていたため、代替バスに乗り換えねばならなかった。

●ピラミッドや城壁をバックに走る3系統、テヴェレ川を渡り8系統と合流
ただ、そのおかげか、サン・パオロ広場に立ち並ぶユニークなピラミッド(Piramide)と城門が強く印象に残った。ピラミッドは表面が白い大理石で覆われ、ひときわ目を引いた。イタリアにもピラミッドがあるのか、と妙に新鮮な気分になった。紀元前1世紀末に当時のローマの護民官ガイウス・ケスティウスの遺言に従って造られた墓で、本場エジプトのピラミッドより急こう配だという。一方、茶色のサン・パオロ門(Porta San Paolo)は紀元275年ごろにアウレリアヌス帝により建てられた城壁の一部。外側の門の両脇にどっしりと構える2本の塔は北ドイツなどの都市によく見かけるが、あまりイタリア的な感じがしなく、これも少し新鮮な驚きだった。

写真下左:25)オスティエンセ広場の電停近くにあり、目を引くピラミッドとサン・パオロ門=2012年9月19日撮影
写真下右:26)ピラミッドとサン・パオロ門のアップ=2012年9月19日撮影

3系統はサン・パオロ広場を過ぎて、テヴェレ川に架かるスブリチオ橋(Ponte Sublicio)を渡ると間もなくして、トラステヴェレ大通り(Viale di Trastevere)に突き当たり、線路は8系統と合流する。イタリア文部省(Ministero della Pubblica Istruzione)の建物が目の前にある電停(Trastevere/Ministero Pubblica Istruzione)で都心方面の8系統に乗り換えて、2つ目の電停ベッリ(Belli)で降りると、リストランテやトラットリアなど多くの庶民的な飲食店舗が軒を並べる下町のトラステヴェレ地区の繁華街はもうすぐそこだ。ファサードや建物内のモザイク画が美しいサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂(Santa Maria in Trastevere)を訪れるのにも、この8系統が便利だ。ちなみに、ベッリは19世紀初めから半ばにかけて活躍した詩人で、電停近くには彼を称える立派な記念碑がある。

写真下左:27)トラステヴェレ地区の繁華街に近い電停ベッリ=2012年9月19日撮影  写真下右:28)8系統の電停ベッリ近くにある詩人ベッリの記念碑=2012年9月19日撮影         

写真下:29)建物正面のファサードに刻み込まれたモザイクが美しいサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂=2012年9月19日撮影       

再び3系統の話に戻ろう。終点のトラステヴェレ駅方面は文部省前の電停から8系統と線路をともにする。残念ながら、まだ3系統でトラステヴェレ駅まで行ったことはないが、2012年には8系統に乗り、同駅近くの電停パスカレッラ(Pascarella)で下車し、駅に立ち寄った。その時、3系統は電停のある駅舎前の広場を半円状に回ることで、折り返し運転ができるようになっていることが分かった。

写真下:30)3系統の西側起終点であるトラステヴェレ駅=2012年9月19日撮影 
写真下:31)8系統の西側起終点である電停ジャニコレンゼ・カザレット=2012年9月19日撮影  

ちなみに、8系統はこの後、歴史のあるサン・カミッロ病院があるいわば郊外住宅街であるジャニコレンゼ地区を走り、環状道路(circonvallazione)になっている終点のジャニコレンゼ・カザレットに到着する。

●19系統は最長路線、ボルゲーゼ公園経由でヴァチカンまで一直線
次に、3系統とは反対にローマのまちを反時計回りに走る19系統を詳しくご案内しよう。19系統は5系統と同じ市東側住宅地域のジェラーニ広場と、ヴァチカン市国近くのリソルジメント広場を結ぶ計14キロの路線で、系統距離ではローマのトラム路線の中で最も長い。

写真下:32)マッジョーレ門北側のスカーロ大通り沿いにある電停スカーロ・サン・ローレンツォを出るリソルジメント広場行き19系統。ローマ7大聖堂の1つであるサン・ローレンツォ・フォーリ・ムーラ聖堂は近くにある=2010年7月5日撮影

リソルジメント行きのトラムはマッジョーレ門の電停を出ると、市の北東側を大きく迂回しながら大通り(Viale Regina Elena,Viale Regina Margherita)を直進。途中、ローマ大学(La Sapienza)の広大なキャンパスや瀟洒な高級住宅街を通りながら、長い直線区間をしばらく進むと五差路の交差点(Piazza Ungheria)を急角度で左折。ボルゲーゼ公園(Villa Borghese)の北辺に沿って走っていく。有名なボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese)は広大なボルゲーゼ公園の南東に位置し、トラムの路線ルートからはやや遠いが、途中にあるロッシーニ(Rossini)か市営動物園(Bioparco)のいずれかの電停を下車して、深い森の中を散策しながら訪れるのもいいかもしれない。

19系統はボルゲーゼ公園の北側を右折、左折、右折と3度ほど大きなカーブを曲がりながら走ると、国立近代美術館(Galleria Nazionale d’Arte Moderna e Contemporanea)近くの電停(Galleria Arte Moderna)に出る。さらに、その先のトルヴァルセン広場には、19系統と同じルートを並走する3系統の起終点となる電停がある。

●フラミニオ通りで2系統と並走
19系統はさらに西に針路をとり、左側にエトルリア時代の貴重な美術品を集めたヴィラ・ジュリア・エトゥルスコ博物館(Museo Nazionale Etrusco di Villa Giulia)の建物を見ながら進むと、フラミニオ通り(Via Framinia)と交わるベッレ・アルテ広場(Piazzale Belle Arte)に突き当たる。もうここまでくると、テヴェレ川まですぐそこだ。19系統はこの広場を左折し、フラミニオ通りをしばしばらくフラミニオ広場行きの2系統と並走し、海軍省の建物と隣接するマリーナ広場(Piazza della Marina)の近くで右折。間もなくテヴェレ川に架かるジャコモ・マテオッティ橋(Ponte Giaccomo Mateotti)を渡る。

橋を越えた19系統はチンクエ・ジョルナーテ広場(Piazza di Cinque Giornate)を抜けてミリツィエ通り(Viale delle Milizie)をしばらく一直線に進む。そして電停を4つ越え、アンジェリコ通り(Viale Angelico)と交差する5番目の交差点を左折すると、間もなく地下鉄A線(MA)駅もあるオッタヴィアーノ(Ottaviano)の電停、その次が終点のリソルジメント広場(電停名はRisorgimento/San Pietro)に到着する。同広場も他の終点と同様、片運転台の電車が折り返すことができるように線路がループ状に敷設されている。サン・ピエトロ広場やサン・ピエトロ大聖堂はここから南方向に約500メートル歩いたところにある。

写真下:33)3系統の西側起終点であるリソルジメント広場。サン・ピエトロ大聖堂はすぐ近くにある=2010年7月5日撮影

テルミニ駅前からトラム(5系統もしくは14系統)に乗車して、マッジョーレ広場で19系統に乗り換えてリソルジメント広場まで、1時間程度はかかるが、多様な顔を持つローマの風情を楽しめること請け合いだ。

19系統、3系統のいずれの系統も都心地区を大回りに走るため、時間はかかるが、その分、じっくり沿線風景を楽しめる。もちろん、これら観光スポットには地下鉄を使った方が早く行けるが、時間を気にしないゆったりとした旅ができるならば、ローマの街並みやローマっ子の生活風景を間近に見られるトラムに乗った方が旅の醍醐味をより堪能できるはずだ。

●狭軌軽便鉄道の旧パンターノ線がライトレールに昇格
ローマでは地下鉄の建設でも地下を掘るたびに遺跡が発掘されることもあり、工事はなかなか進まない。今運行している地下鉄は3路線(A線、B線、C線)。新しい動きでは最近と言っても、3年前の2018年5月に、最も遅い2014年に開通したC線の東側(都心)の起点がそれまでのローディ(Lodi)からA線との接続駅であるサン・ジョヴァンニ駅(San Giovanni)まで600メートル延伸されたことが話題になった。C線は近い将来、B線の駅があるコロッセオ方面まで延ばす工事を進めているが、掘れば古代ローマ時代の文化財に当たることが多く、「完成は神のみぞ知る」といわれるローマだけに、果たしてどうなるだろうか。

写真下左:34)マッジョーレ門にも駅がある狭軌軽便鉄道の旧パンターノ線=2009年8月19日撮影   写真下右:35)マッジョーレ門近くにはトラムの線路と旧パンターノ線の線路が交差するところもある=2010年7月5日撮影  

一方、トラムはどうか。現代的な装いの郊外トラムであるライトレール(=メトロトランヴィア)として早期に実現しそうなプロジェクトが出てきた。現在はラツィオ州政府が所有・運営するレール幅950ミリの狭軌軽便鉄道、旧パンターノ線(Linea Pantano)を、ATAC所有・運営のライトレール(1445ミリ)に移行するというのがそれだ。併せて、路線ルートも西側の起終点をラツィアーリ駅(Termini Laziali)からFSテルミニ駅(Termini FS)に500メートル延ばすとともに、東側の起終点もチェントチェレ(Centocelle)からローマ・トルヴェルガータ大学のあるヴェルガータ(Torre Vergata)まで3.3キロ延伸する。

旧パンターノ線は1916年に開通したローマ都心部とローマ近郊東南東部部地域を結ぶ路線延長137キロの狭軌軽便鉄道、ローマ=フィウジ鉄道(Ferrovia Roma-Fiugg-Alatri-Frosinone)が前身。その後、徐々に路線はカットされ、ジャルディネッティ〜パンターノ間は2008年に廃止、2015年には並行して走る地下鉄C線の開業に伴い、ジャルディネッティ〜チェントチェレ間も廃止された。

2020年6月にインフラ・交通省から2億1300万ユーロの補助金が交付されることが決まり、2022年の着工、2024年の開業を目指している。G線(Linea G)の名称で地下鉄網の一部であるメトロ・トランヴィア(ライトレール)として再出発する。

●ディナーとジャズの生演奏を楽しめる観光トラムも
ローマのトラムはミラノやトリノと比べ路線網が小さいとはいえ、やはり永遠の都だけあって、ローマのトラムの沿線には古代ローマ時代の観光スポットなど見どころが多く、何度訪れても楽しい。車内や車窓からローマっ子の生活を間近に伺うことができるのも、ゆっくり走るトラムならではの魅力だ。

写真下左:36)トラム・ジャズの車両=Tramjazzのサイトから引用    写真下右:37)ディナーだけを提供するトラム「RISTORO」もある 

最後に、ディナーを味わいながらジャズなど音楽を楽しめる「トラム・ジャズ」を紹介しよう。ほぼ毎日、夜9時前に例のマッジョーレ門を出発。生のジャズ演奏などを聴きながら食前酒のスプマンテから始まるコース料理を堪能し、3時間かけてコロッセオや夜のローマのまちを一周する。もちろん、夜景も存分に味わえる。2009年に始まり、ローマっ子を中心にかなり人気が高いという(料金は2人席の場合、1人80ユーロ、4人席では同65ユーロ)。ミラノにも夜景を楽しみながらコース料理を味わう「リストランテトラム」があるが、ローマの場合、さらにジャズの生演奏が加わっているというわけだ。

私も残念ながらまだ乗ったことはなく、今度こそはと念じている。ローマのトラムも魅力が尽きない。

写真下左:38)1928年から2003年にかけて運行された単車2000形(通称MRS)のHO(87分の1)模型    
写真下右:39)通称STANGA(スタンガ)と呼ばれる2車体連接車両7000形のHO模型 

著者プロフィール
市川 嘉一 Kaichi ICHIKAWA

1960年生まれ。都市・交通ジャーナリスト。1985年日本経済新聞社入社。経済解説部記者、地方部次長、産業地域研究所主任研究員として国内外にわたる数多くのまちづくりや都市交通の現場を取材。2018年に退社後は都内のまちづくり系シンクタンクで理事を務めるとともに、まちづくり、都市交通、イタリア都市をテーマにフリーランスのジャーナリスト活動を続けている。国の交通政策審議会地域公共交通部会臨時委員など政府・自治体関係の審議会・委員会委員も数多く歴任。博士(学術)。埼玉大学工学部非常勤講師。『交通まちづくりの時代―魅力的な公共交通創造と都市再生戦略』(単著)など著書・論文多数。2020年から月間専門誌「運輸と経済」にコラム「交通時評」を連載。先ごろ、公益財団法人日伊協会の会報誌「CRONACA(クロナカ)」2021年春号に特集記事「イタリアのトラム新時代」を執筆。


イタリア・トラム探索の旅 データ  
 

●ローマ・トラム路線図




イタリア・トラム探索の旅
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