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海と風の町 トリエステに生きる
15 Settembre 2018

第2回 
トリエステの数奇な歴史  



 
原田光嗣



●イタリアらしくない?
トリエステを訪れた多くの方が、「イタリアらしくない街並み」「異国情緒あふれる町」という感想をお持ちになります。それもそのはず、トリエステは第一次世界大戦の終結まで、オーストリア・ハンガリー帝国の領地だったのです。今回はトリエステが辿った数奇な歴史を、街中の観光スポットと合わせて駆け足でご紹介します!

トップ写真:@トリエステ運河周りの風景

●始まりは古代ローマ人?
トリエステの町が初めて歴史上に現れたのは、古代ローマの植民都市「テルジェステ(Tergeste)」としてで、大政治家ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」にて言及されています。しかしそもそも、その町の名前Tergesteの由来はローマ人が用いていたラテン語では無く、この地方に住み着いていたと思しきヴェネト人の言葉で「Terg=市場、este=町」だという説もあり、古代ローマ人に征服される以前から大規模な集落があったと推測されています。

●丘の上の城壁都市
古代ローマ時代の遺跡は、トリエステの中心街にいくつも残っています。まず最も分かりやすいのが、中央広場から徒歩5分もかからない位置にあるローマ劇場跡。当時はこの劇場のすぐ前まで海が迫っていたそうです。

写真上左:Aローマ劇場跡  写真上右:B古代ローマ時代の中心街跡

少し見つけにくいですが、中央広場の後ろの丘の頂上にあるサン・ジュスト聖堂へと続く登り坂の途中に、リッカルドのアーチと呼ばれる、紀元前1世紀の城壁の一部と見られる門も残っています。また現在サン・ジュスト聖堂がある辺りは古代ローマ時代の町の中心部で、聖堂の鐘楼の中に入ると1世紀から残っている柱や壁を間近に見ることができます。

写真下左:Cリッカルドのアーチ       写真下右:Dサン・ジュスト聖堂の鐘楼、入り口は土産物屋になっている  
写真上:Eサン・ジュスト聖堂の鐘楼を上る途中で見ることができる見事な装飾

●中世以降のトリエステ
西ローマ帝国の崩壊後は東ローマ帝国、フランク王国などの支配を受けますが、強国ヴェネツィアの支配から逃れるため1382年、ついにオーストリア公の支配下に入ります。その後、後背地でのワインの生産など主に農業を細々と続けていたトリエステですが、1719年にオーストリアの自由港として指定されたことにより、急速な発展を遂げることになります。

写真上:Fトリエステの発展を支えた港の全景

●トリエステの黄金時代
1700年代初頭には3千人に過ぎなかった住民の数が、1900年代初頭には20万人に達していたという事実だけでも、トリエステの黄金時代の想像がつくのではないでしょうか。海岸線は次第に後退させられ、女帝マリア・テレジアによる新市街の整備と、宗教の自由化に伴う異国の文化や建築の流入などにより、「イタリアらしくない」「異国情緒あふれる」街並みが形成されました。

写真上:I新市街ボルゴ・テレジアーノの道はとにかくまっすぐ

運河の左右に広がる「ボルゴ・テレジアーノ」と呼ばれる地区には石造りの重厚な館が碁盤目のように几帳面に並んでいますが、これはイタリアの曲がりくねった細道とはまったく正反対の町づくりです。またイタリアの町には珍しく、中央広場にカトリックの聖堂や教会が無いことも示唆的です。

写真上左:Gボルゴ・テレジアーノにある重厚な造りの中央郵便局       写真上右:H運河脇のポンテ・ロッソ広場

●イタリアへ併合
第一次世界大戦を勝ち抜いたイタリア王国は、1920年11月に悲願であったトリエステを領土に加えることに成功しました。それと共に、それまで単に「大広場(Piazza Grande)」と呼ばれていた中央広場が「イタリア統一広場 Piazza Unita d’Italia」という現在まで続く名称に変更されたのです。

写真上:Jイタリア統一広場

しかし、オーストリア・ハンガリー帝国の最重要港からイタリアの辺境都市への立場の変更は、トリエステに発展をもたらすものではありませんでした。また人種対立の混乱や第二次世界大戦の戦火にさらされ、街としての発展は止まってしまったと言っても過言ではありません。

●これからは?
長らく停滞を続けていたトリエステですが、EUが東に拡大するにつれて、少しづつ活気を取り戻しつつあります。トリエステを訪れる観光客の数は右肩上がりで増えていますし、東西ヨーロッパをつなぐ重要な中継地として高速道路や鉄道の整備も進んでいます。

写真上:K街中のあちこちが観光客で賑わっている

トリエステ港は、2013年を境にジェノバを抑え、イタリアで最も物流量の多い港の位置を守っています。複雑で魅力的な歴史と、東ヨーロッパへの玄関口としての未来。これからのトリエステに期待しましょう!




海と風の町 トリエステに生きる案内人プロフィール
原田光嗣 (Harada Mitsugu)

イタリア、トリエステ在住。コントラバス奏者、通訳・翻訳家、日本語教師。2006年に渡伊、イタリアをはじめアムステルダム、サンクトペテルブルク、ウィーンなどヨーロッパの主要都市にて演奏、CD録音にも多数参加。CILS Quattro(C2)取得。スタジオ・ジブリの映画や村上春樹に関する講演歴あり。趣味は読書。村上春樹、カルヴィーノ、ピランデルロ、いしいしんじあたりが好きです。ブログ「コントリ!」
ブログ「コントリ!」:contrinew.exblog.jp




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